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自分を幸せにする努力をしないことは一種の怠慢である

ある人から言われました。

第二子育休中、コロナ禍による巣篭もり。これまで自分自身のことを深く考える時間も余裕もなく、それでもある程度は「ちゃんとした」大人になれているような気がしてまぁいいかと過ごしてきてしまったわたしでも、これまでのこと・これからのことを考える時間が増えました。


わたしはやりたいことができているんだろうか?

やりたいことってなに?好きなことってなに?

わたしの30分間をだれかに売れるとして、わたしには何ができる?/そのだれかは何を得る?

やりたいことを仕事にできる?

やりたいことは趣味として楽しむ方が無難?

経済的自由を手に入れられたとしたら、いまの仕事を続ける?

どうしたら経済的に自由に、豊かになれる?


そんなことをぐるぐる考え、ぽつぽつ話してみたとき、オット(夫)から言われたのです。

自分を幸せにする努力をしないことは一種の怠慢である、って何かで読んだんだ
何のために生きてる?どんなふうに生きたい?って聞かれたら、幸せになるため、幸せになりたいって思うでしょ?
なのにさ、周りを見渡すと、自分が何をしたら幸せなのかがわからなかったり、ただ楽しいこと好きなことですら日々の生活の中でできてなかったりする人が多いよね


何気ない会話だったはずが、ハッとしました。

自分が幸せで満たされていないときって、人にも優しくできない。まさに産後ガルガルだったわたしの数々の醜態を思い返すと胸がチクチクする。

まず自分を『ちゃんと』幸せにすることが、『ちゃんとした』大人の権利でもあり義務でもあるのでは。

……

こう思い至り、いまここに文章を書いています。

なんとなく聞いたことがあったnoteを初めてのぞいてアカウントを作ってほかの人たちの文章を読んで記事を書いてみて。←今ここ(この表現で世代がバレる気がします)

いきなり有料記事を迷わず購入するほどとっても素敵な文章を書く人をお見かけして、その人のおかげで今ここで文字をカタカタ紡げているのですが、 note内のお作法がまだ掴めていないのでそれはまた別の日にご紹介できたら。


わたしはわたしを幸せにする。

わたしはわたしを豊かにする。

革命家のような義憤はないけれど、この小さな貪欲さがわたしの家族の幸せにもつながるはず。

起業家のような情熱はまだ見出せていないけれど、このゆるい想いにも共感してくれる人がいるかも。


キッチンにしゃがみこんで子供達に気づかれないようにアイスを食べながら、そんなことを思ったのでした。

ここを実践の第一歩に。


読んでくれた方にちょっといいことがありますように♪


むー

(photo by makurin san)

サポートしていただけたらこの上なく嬉しいです‼︎思考のお供のキッチンしゃがみこみ隠れアイスがちょこっと特別なアイスになります。見合うアウトプットを、だれかに響く文章を。多謝‼︎