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身体目当てで推している

 時代柄、Vtuber推しの人類が増えている。しかし、Vtuberのどこに触れ、何を具体的に推しているかについて説明できる者は少なく、そこまで掘り下げる機会は少ないにしろ、軽く見積もるだけでも分類となると天文学的な世界が顔をのぞかせる。本来、そこまで掘り下げる必要はないだろうし、平たく大きな概念を皆が一様に推しているのだと思うが、個人的に私はVtuberのいったい何を推しているのだろう?何目的で見ているのだろう?とふと疑問に思い、少し考えはじめた矢先、私はVの身体目当てで推しているのではないか?というかなり胸の張りづらい疑惑にぶち当たることになった。

 身体目当てで推してはないか?という疑惑にぶち当たるわけだから流石にオフパコ目当てとかではないとしても、そりゃあ、もちろん、やましい理由もあるさ。えっちなファンアートだって見る。しかし、身体目当てで推しているのではないかと思ったのにはそれだけではない理由がある。私は何を具体的に推しているか説明がつかないのだ。恐らく保身のためオブラートに包むと存在を推しているぐらいの表現になるのだが、引退したかつての推しが転生したと噂されるライバーについて見聞きできないあたり、私は本質的な中身や声といった存在だけというよりも、どちらかといえばそのVのガワも込みで、何ならガワ部分の方に多少なりとも重きを置いて見ているらしいということで、ガワはVtuberにとって身体に他ならないわけだから、Vの身体目当てで推していると一端は位置づけてみることにした

 言い訳をすると、完全に身体目当てだけでVを見ている訳はない。推しが同じ見た目のまま中身が変わってあからさまに違う声で配信が始まったなら、きっと私は推せなくなるだろうから。しかし、推しているVtuberのその声の主が違う姿で別の活動をしていると知った時、私は今と同じだけ推せる自信があるかと問われれば頷ききれない。加えて万が一、中の人が変わっていても決定的な違和感や根拠が希薄だったりして気が付けなかった場合、私はVtuberとしての身体や立ち姿に引きずられる形で変わらず推し続けてしまえる可能性だって大きい。案外、本質的な存在に心を惹かれているようで、付属する周辺要素をつまみ食いしているだけにすぎないような気もする。

 ただ、本質など得体がしれないのだから、人付き合いもコンテンツ付きあいも、周囲に付随する様々な要素を覗き窓にして、そこから見える景色のそのやり取りでもって関係性を構築するしかないのかもしれない。歌声が素敵だからと見始めたライバーに関して、私はこのライバーのファンというわけではなく、歌が上手ければ誰でも良いのかもしれないと不安に思わなくもないが、歌声を名の付く覗き窓に張り付く変態の一人に私が居ると思えば、それぞれの構成要素の集合体でもってその存在が認知的に成り立つわけだから、胸を張れないなりに推しと言ってみても良いのかもしれない。

 シンプルに配信者が授かった固有名詞的なバーチャルでの身体やその姿形を動かしている状態を自分の部屋にある画面に映したいのだ。私は自分の精神的安らぎや幸福感のため、そのVの姿を拝める日が少しでも続いてほしくいという願望を応援と言い換えているのかもしれない。となると、私はVの身体目当てで応援しているといって大した間違いはなさそうである。

 決して身体目当てだけでなどないのだよ!と言い訳をしてみたところで、えっち絵を使ってみた経験がある以上、どのみち既に私には言い逃れの余地と張れる胸などなかったわけだ。

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