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『日本刀に宿るもの』2


  妖刀

 不吉な予感を抱えながらも、一樹は鬼神丸信俊の魅力に引き込まれていった。夜になると、鬼神丸を手に取り、その激しい地刃を鑑賞することが習慣となった。すると、手にするたびに、心の奥底から何かが囁くような感覚が広がった

 最初の兆しは小さなものであった。
 ある晩、一樹が刀を手にしていると、手のひらに小さな切り傷ができていることに気づいた。最初は油を拭き取る際にうっかり刃に触れてしまったのだと思っていたが、その後も同じことが繰り返されるようになった。刀を見つめるだけで、手や腕に小さな傷ができていることがしばしばあった。

 「どうしてこんなことが起こるんだろう?」

 一樹はその原因を探ろうとしたが、答えは見つからなかった。
 さらに、彼の生活にも変化が現れ始めた。

 ある日の夜、一樹は親友の伊藤と居酒屋で飲んでいた。仕事や趣味の話で盛り上がっていたが、一樹の様子がいつもと違うことに伊藤は気づいた。どこか疲れ切っており、話す内容もどことなく暗かったのだ。

 「田中、大丈夫か?最近ちょっと元気ないんじゃないか?」

 伊藤の問いかけに、一樹は一瞬笑みを浮かべたが、その笑顔はすぐに消え去った。

 「いや、なんでもないよ。ちょっと仕事が忙しくてね」

 そう答える一樹の声には力がなかった。伊藤は心配そうに一樹を見つめたが、それ以上、深く突っ込むことは避けた。しかし、その後の会話はどこかぎこちなくなり、二人の間には微妙な距離感が生まれた。

 家庭でも、変化は顕著だった。一樹は以前ほど家族との時間を大切にしなくなり、家にいる時間も減っていった。妻の美咲は一樹の変化に気づき、心配して話を聞こうとしたが、一樹は避けるように自室にこもることが増えた。

 「あなた、最近どうしたの?何かあったなら話してくれない?」

 美咲の問いかけに、一樹は苛立ちを隠しきれず、短く答えた。

 「何でもないよ。ただ疲れてるだけだ」

 その言葉に美咲は深いため息をついた。彼女は一樹の変化に気づいていたが、どう接すればいいのかわからず、不安を感じていた。

 仕事にも影響が出始めた。集中力が欠け、ミスが増えていった。取引先との連絡の行き違いも多くなり、同僚たちの視線も冷たく感じるようになった。

 「田中さん、最近どうしたんですか? ミスが多いですよ」

 同僚の佐野が心配そうに声をかけたが、一樹は苛立ちを抑えきれずに返事をした。

 「わかってる。気をつけるよ」

 その後もミスは続き、一樹は次第に職場でも孤立していった。彼の心は徐々に追い詰められ、周囲との関係がぎくしゃくし始めた。

  研師の話

 そんなある日、一樹は鬼神丸を持って研師の鈴木健を訪ねた。鈴木は古くからの友人であり、刀剣愛好家としての一樹を支えてくれていた人物だった。

 「これは最近手に入れた鬼神丸信俊なんですが、これを手に入れて以来、奇妙なことが続くんです」

 鈴木は自らの経験を語った。

 「研師をやってると色々な刀を研ぐ。以前、守り刀にしたいと言って短刀を持って来た人が来たんだが…」

 一樹は鈴木の言葉に耳を傾ける。

 「その短刀を研いでいると、決まって嫌な気分になったんだ。触れられたくない心の傷、思い出したくない嫌な記憶を弄られるような…。変なことも起きたよ。風もないのにドアが閉まったり、人が歩くような音がしたり」

 息を飲んで聴く一樹を前に、鈴木は遠くを見るような目付きで続けた。

 「それでその短刀の持ち主に、守り刀にするならお祓いしてもらった方がいいですよ、と言ったんだ。でもその人は気にする様子はなかった。迷信だと思ったんだろうな。それから3カ月もしないうちに、その人は死んでしまった。それまで元気だったのに、喫茶店でコーヒーを飲んでいたら心臓麻痺で急死したそうだ。まだ30代だった」

 そして一樹を見て、

 「刀は魔物だよ。この信俊には、あの短刀に似た異様な力を感じる。いや、もっと強い力だ。一樹さん。この刀を持ち続けるのは危険かもしれない。あなたの周囲で起こる不吉な出来事は、この刀が原因かもしれない」

 しかし、一樹は驚きつつも、鈴木の忠告を無視し、自らの決意を固めた。

 「そんな力があるなら、むしろ有難い。魔物を御すことができれば、強い力を手に入れたことになる。僕はこの刀が持つ力の謎を解き明かしたい」

 健はその決意を見て、深くため息をついた。

「ああ… 魔物に魅入られちまったな。だが、気をつけるんだ。君の心が闇に飲み込まれないように」

続く



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