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兼藤伊太郎

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「無駄」の首謀者、およびオルカパブリッシングの主犯格、兼藤伊太郎による文章。主にショートショート。
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2022年4月の記事一覧

夏の、夕立のあと

夏の、夕立のあと

 真っ白な入道雲が真っ青な空にモクモクと立ち上がり、あっという間に辺りを暗くしたかと思うと雨が降ってきた。土砂降りで、その雨粒が地面を叩く音以外になにも聞こえなくくらい強い雨だ。
 夏休みの部活帰り、わたしは登下校で使うバスの停留所にいた。わたしひとりだった。その日の練習試合はわたしのミスで負けてしまったから、チームメイトと一緒にいるのがいたたまれなかったのだ。みんな慰めの言葉をかけてくれたけど、

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春の、穏やかな昼下り

春の、穏やかな昼下り

 それは実に穏やかな昼下りだった。前日までは強い風が吹き荒び、木々の枝は暴力的なまでに揺れ、看板が飛ばされたとかで怪我人が出た。まるで、巨大な何者かが、なにもかもを根こそぎ吹き飛ばしてしまおうと必死で息を吹きかけているのではないかというほどだった。それが、翌日になってみると打って変わって穏やかな日になった。風はほとんど無風だし、柔らかな日差しが降り注いでいる。その上、休日だ。これ以上望むべきものが

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光る言葉

光る言葉

 わたしの父は詩人だった。
 詩人とはなにをするものだろう。たぶん詩を作る人のことを詩人と呼ぶのに違いない。しかしながら、詩人の父を持つ幼いわたしにとって、詩人とは日がななにもせずにぼんやりと過ごす存在だった。詩人である父は日がななにもせずにぼんやりと過ごしていた。時折、簡単な仕事をしてお金を稼ぐと、お酒を買って酔っ払った。別に暴れたりはしない。いつもよりヘニャヘニャして、ヘラヘラするようになるだ

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ロンサム

ロンサム

 浜辺に男が倒れていた。外傷らしい外傷は無い。全身ずぶ濡れで、砂まみれではある。男を波が洗う。
 そこを通りかかった女がそれを見つけた。女は男に息があるのかを確かめようとはしなかった。近づくと、男は顔をわずかに動かし、女を見上げたからだ。まるで太陽でも見詰めるみたいに目を細めながら。
「放っておいてくれ」男は言った。
「酔っ払ってるの?」女は尋ねた。
「いや」男は答えた。
「ここで何をして

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なんて感動的

なんて感動的

 まずは感動の話から始めよう。感動する話ではなくて、感動についての話だ。
 街に感動のことを知らない人間はいない。感動は有名人なのだ。しかし、その知名度のわりに、誰ひとりとして感動の姿を目にしたことのある者はいない。
 なぜ、そんなことが起きるのかというと、まず、感動の姿が実に目立たないからだ。とにかく人目につかない。感動はとても小さかったり、透明もしくは保護色である場合もある。だから、誰もその姿

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春夏秋冬

春夏秋冬

「春が来たよ」という子どもたちの声に客間を覗くと、もう春はくつろいだ様子で「すいません、お忙しい時に」とかなんとか言う。「あ、お構い無く」
 子どもたちは春が来たのではしゃいで、遊んでくれ遊んでくれとしきりにせがみ、春は春で満更でもなさそうだし、こちらはこちらでちょうど手が離せないので、春の相手は子どもたちに任せることにした。あるいは、子どもたちの相手を春に任せたのかもしれない。
 子どもたちは

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沈黙の男

沈黙の男

 彼は黙っていることにした。
 彼は喋れないわけではなく、黙っているだけだ。しかし、彼の周囲の人々はそれを知らない。彼がなにも喋らないものだから、人々は彼が喋れないものだと思っていた。
 彼は几帳面で真面目である。言葉を変えると潔癖症でもあるし、完璧主義でもある。何か遺漏があることを彼は許せない。それが彼が黙っていることにした理由である。
 どういうことかと言うと、ある時、彼はリンゴについて尋ねら

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予告状

予告状

 予告状が届きました。
『あなたの一番大切なものをいただきます』とあります。
 盗みの予告です。なんと大胆な。しかし、なんと愚かな。こんな風に予告をしてしまえば、こちらとすればいくらでも対策を立てられるわけですから、その分盗みづらくなるではありませんか。なにか裏があるのでしょうか? そう考えないと、釈然としない感じもします。もしかしたら単なるイタズラ? なにかの罠? 様々な想像が浮かんでは消えます

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星を狩る人たち

星を狩る人たち

 その土地は完全なる砂漠だった。見渡す限りの砂の大海原、植物は一切生えず、わずかな昆虫や虫、爬虫類がかろうじて生息するだけである。その小さい生き物たちは互いに食べ食べられ、そうしてどうにか命を繋いでいた。川も泉も無い。水分は海の方から時折やってくる霧から摂る以外になかった。小さい生き物たちにしても、それはいささか不足で、彼らでさえいつでも渇きにあえいでいたし、もっと大型の動物、鳥や、哺乳類では食物

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光よりも速いもの

光よりも速いもの

「光より速いものを見付けたの」と彼女は言った。「恋に落ちる時の落下速度」
 彼女の周囲の人々は、恋に落ちたな、と思った。実際、彼女は恋していた。
 なれそめはこうだ。
 彼女の部屋のチャイムがなった。郵便物だ。「お届けものでーす」彼女は警戒することなく扉を開いた。それが命取り、郵便配達を装った強姦だったのだ。
 男は手にしていた箱を彼女に投げつけると、間髪入れずに平手で彼女を打ち、口をふさいだ。そ

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口述筆記

口述筆記

「さて、始めようか。一言一句書き漏らさないでくれたまえ」
 さて、始めようか。一言一句書き漏らさないでくれたまえ
「いや、違う。いまのはまだ書かなくていい」
 いや、違う。いまのはまだ書かなくていい
「違う違う。これはまだ始まっていない。書かなくていい」
 違う違う。これはまだ始まっていない。書かなくていい
「ここまでは一旦消してくれ」
 ここまでは一旦消してくれ
「だから、違うんだって。これは書

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悪い手

悪い手

 雑踏には様々な人間がいる。様々な人間が行き交う。これだけ様々な人間がいながら、誰も自分の役割がわからなくならないなんて驚きだ。まあいい。すべてが一点の曇りなく現実であり、ひとつとして作為の入る隙は無い。
 人がたくさんいれば、ほめられない癖を持つ者のひとりやふたりは間違いなくいるものだろう。
「あれ、財布がない!」
「嘘、ちゃんと探したの?そのポケットは?」
「いや、ないよ。あれぇ、どこかで落と

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吠える

吠える

 喉が苦しかった。それがいつからかはわからない。昔はそんなことはなかったように思う。清々しく呼吸をしていたはずだ。それが、苦しくてたまらない。
 まるで、大きな何か、飴か何かを丸飲みしてしまって、それがつっかえているみたいだった。それは粘着質で、喉の奥に落ちて行くこともなければ、吐き出すこともできない。と言って、医者にかかっても首を傾げられるばかりだ。
「これと言って」と、医者はレントゲン写真をま

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愛の証明

愛の証明

 男は後ろ手に縛られ、横たわっている。顔は見るも無惨に腫れ上がり、元々がどんな顔立ちだったかは窺い知ることもできない。
 女が男に歩み寄り、その腹に蹴りを入れた。男は力ない呻き声を上げた。
「これでも、わたしのこと愛してる?」女は男の髪を掴んで引き上げ尋ねた。
「愛してるよ」男は口を僅かに動かして答えた。
 女は髪を掴んだのとは逆の手で男の頬を力一杯殴った。平手ではなく、拳でだ。何かが飛ん

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