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ロンサム

 浜辺に男が倒れていた。外傷らしい外傷は無い。全身ずぶ濡れで、砂まみれではある。男を波が洗う。
 そこを通りかかった女がそれを見つけた。女は男に息があるのかを確かめようとはしなかった。近づくと、男は顔をわずかに動かし、女を見上げたからだ。まるで太陽でも見詰めるみたいに目を細めながら。
「放っておいてくれ」男は言った。
「酔っ払ってるの?」女は尋ねた。
「いや」男は答えた。
「ここで何をしているの?」女は尋ねた。
「こうして死んでいくんだ」男は答えた。
「死ぬの?」女は驚く様子もなく尋ねた。
「いずれね」男は目を閉じた。
「わたしにここにいてほしい?」
「なぜ?」
「ひとりで死ぬのは寂しくない?」
「大勢で死ぬなんてことが可能なら、ね」男はため息を洩らした。
 女は海の果てを見やった。雲が低く垂れ込め始めていた。生温い風が強く吹いて、女の長い髪とスカートを踊らせた。波の音と、風の音以外に音は無かった。
「雨になりそうよ」
 男は何も答えなかった。
「死んだの?」女はしゃがみ、男の顔を覗き込んだ。スカートの裾が波で濡れた。
「いや」男は目を開けずに答えた。「まだだ」
「そう」女は立ち上がった。
「もう行ってくれ」男は消え入りそうな声で言った。
「邪魔?」
「いいや」男はため息混じりに言った。「誰も知らない場所で、誰にも知られずに死にたいんだ」
「ふうん」女は言った。
「本当は、どこか、うんと遠くへ行きたいだけだったんだ」男は言った。




No.881

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