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兼藤伊太郎

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「無駄」の首謀者、およびオルカパブリッシングの主犯格、兼藤伊太郎による文章。主にショートショート。
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2021年2月の記事一覧

世界が終わるまでは

世界が終わるまでは

「ねえ」と、彼は彼女に言った。「君は知ってる?」
「なにを?」と、彼女は言った。
「明日になったら」と、彼は言った。「世界が滅んでしまうこと」
「そう」と、彼女は言った。「じゃあ、それまでの残された時間、大切な人たちと過ごさないと」
「たとえば?」と、彼はおずおずと尋ねた。もちろん、彼としては自分の名前がそこに含まれていてほしい。いや、自分の名前だけが挙げられてほしいと思っている。
「ママとか」と

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洗いたての未来へ

 彼女が洗濯をしている、ということは彼女は不機嫌、ということだ。彼女は不機嫌になると洗濯をする。浴室の方でゴウンゴウンと洗濯機が唸り声を上げている。逆に、機嫌の良い時は洗濯をしない。洗濯はぼくの役目だ。ゴミ出しと洗濯はぼく、掃除と料理は彼女。最初からそういう役割分担があったわけではないが、それぞれの適性や好みが自然とそういう形を作った。彼女は朝が苦手だからゴミ出しはぼく。ぼくは味音痴だから料理は彼

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永遠の命と魂と

永遠の命と魂と

 男が悪魔と契約して手に入れたのは永遠の命、無限の寿命だった。それと引き換えに、悪魔が手に入れたのは、男が死んだ後の魂の権利である。
 男は首を傾げ、悪魔に尋ねた。
「私が死なないことには、お前さんは私の魂を手に入れられんのじゃないかね?」
「さようでございますな」
「お前さんの私に与えたのは永遠の命だ」
「さようで」
「そうなると、私は死なない。お前さんは私の魂を手に入れられない。さては、なにか

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詩人はどこだ?

詩人はどこだ?

 彼は武骨な人間だったので、芸術のようなものには全く興味が無かった。有名な画家の描いた絵画も、彼にとっては壁のシミも同然、音楽は耳障りな雑音だし、文学なんて戯言に過ぎなかった。壁を打ち砕くつるはしこそ現実であり、ボルトを締めるペンチのような実用性こそが尊ばれるものだし、食卓に並ぶ肉や魚、野菜や酒こそが求められるべきものだった。
 そんな彼が恋をした。いや、恋に落ちたという方が正確だろう。それは有無

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女の子と男の子

女の子と男の子

 列車の中にはそのふたりしかいなかった。女の子と男の子が、寄り添うように座っている。車窓の外は夜の闇、深い闇だ。列車は川をまたぐ鉄橋を駆け抜けて行く。車内を硬い金属音が満たす。川面で街灯の明かりがゆらめいた。遠くに見える高層ビルの頭の辺りで、赤い光が明滅していた。集合住宅が見えて、その一部屋一部屋の明かりを見、そこに家庭の温かさのあることを思う。夕食の匂い、団らん、笑い声。もちろん、そんな幸福な家

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桜の木の下で

桜の木の下で

「この種を飲み込んで」と、彼女はその舌の上にさくらんぼの種を乗せたのを見せて言った。「わたし、桜の木になるから」
「さくらんぼの木と」と、わたしは言った。「たぶん、イメージしてる桜の木は種類が違うよ。それに」
「それに?」
「種を飲み込んだとしての、木にはなれないと思う。種のまま出てくるだけだと思うよ」
「出てくる?どうやって?」
 わたしは肩をすくめた。
「なんでもいいよ、別に。桜の木になれれば

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ふしぎのきもち

ふしぎのきもち

 彼は自分が知らないことなどこの世にないと思っていた。幼いころから本の虫で、ありとあらゆる本を貪るように読んだ。食事時も本を読むのをやめないものだから、母親が怒って無理やり本を取り上げると、腹を立て、ぶつぶつ不平を言っていたのを、母親は放って置いたのだが、しばらくすると静かになっている。不審に思った母親が彼を見ると、一心不乱にドレッシングのラベルを読んでいた、そんなこともあった。
 そんな具合だっ

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仇討ち

仇討ち

 父上が殺された時、弟はまだ乳飲み子であり、物心つく前だったので、あの男の、あの瞬間の、あの目を見たのはこの世でわたしだけなのでございます。それを見たもうひとりの人間である父は、その次の瞬間、この世の人ではなくなっていたのですから。憎き仇敵の、あの男の、その一太刀で。わたしと弟の目の前で、父上を斬り殺したあの男。
 父上は決してあの男に劣る剣士ではございませんでした。決して、断じて。実際、あの勝負

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ナイトクルージング

ナイトクルージング

 水の音で目が覚めた。いや、それに眠りを破られたわけではない。目覚めた時に耳にしたのが水の音だった。ちゃぷ、ちゃぷ、と、水がなにかを撫でているようだった。たゆたうような、たゆたっているような、そんな感じだった。
 目覚めてはいたが目は開かなかった。横たわっていたのだが、そのままでいた。目を開こうと思えなかったし、起き上がろうとも思わなかった。目を閉じたままでも、あたりが暗いことがわかった。瞼を透か

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背の高い彼

背の高い彼

 背のとても高い人と付き合っていたことがある。本当に背が高くて、天をつくとはまさにそのこと、頭に雲がかかるのではないかというくらいだった。そんなことを誰かに話すと、絶対に嘘だと言われるけれど。
 わたしはと言えば、子どものころから背の順で並ぶと絶対にいつも一番前になるくらいずっと背が小さくて、大人になってからも、お酒を飲もうと思えば必ず年齢確認されたし、夜のカラオケには身分証がないと入れないような

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そして、わたしはバスを降りた

そして、わたしはバスを降りた

 盗み聞き、と言えば人聞きが悪いが、そう言われてもしかたあるまい。乗り合いバスに乗っていた時、わたしの後ろで話していた若い娘二人の話である。
 普段であれば乗り合いバスになど乗らないのだが、その時はどうしたことかタクシーが捕まらず、仕方なくバスに乗ることにした。座席は埋まるくらいの混雑ではあった。わたしの腰を下ろした後ろには若い娘二人が座っていた。わたしは文庫本を取りだし、それを読もうとしたのだが

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サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ

サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ

「ええっ!?」と、少年を思わずその席から立ちあがらせたのは少女の一言だった。
「引っ越すことになりました」と、少女は教壇の上、教師に付き添われながら言ったのだった。
 少年が急に大声を上げたものだから、教室中が彼を見た。
「どうした?」教師が尋ねた。おそらく、その教室にいた誰もが思ったことだろう。クラスメイトたちの視線もそれを尋ねている。
「あの、ええと」と、少年は言いよどんだ。「ちょっと、寝てて

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ほんの、ささいな、プロポーズ

ほんの、ささいな、プロポーズ

 その頃のぼくは、まだほんの子どもだったので、自分の前方には見渡す限りの地平が広がっているものと思っていた。無限の可能性。なんて月並みな表現。そんな月並みな表現が似合うくらい月並みな感覚。なろうと思えば、宇宙飛行士にだって、大統領にだってなれる気がしていた。もしもそうならなかったとしたら、そうなろうと思わなかっただけ、そんな気がしていた。遅刻ばかりで、叱られてばかりの落第生が何を言うか、と、ぼくが

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タネも仕掛けもございません

タネも仕掛けもございません

 凄腕のマジシャンがいた。シルクハットからウサギを出すとか、アシスタントの体を真っ二つにするとか、そういうありきたりなものは当然のことながらお手の物。高層ビルを消して見せたり、橋を消す。タキシードの懐から象を出す。金魚をクジラに変えて見せる。そのスケールは桁外れ、他の同業者たちは自分の影が薄くなると結託し、殺し屋を雇ってそのマジシャンを抹殺しようとしたが、その殺し屋はマジシャンの手で猫に変えられ、

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