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兼藤伊太郎

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「無駄」の首謀者、およびオルカパブリッシングの主犯格、兼藤伊太郎による文章。主にショートショート。
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2020年11月の記事一覧

真夏の、ある朝

真夏の、ある朝

 男が部屋に飛び込んできた。女は身構えた。真夏の、ある朝のことだ。
 その朝は良く晴れていた。セミはすでに鳴き始めていて、うだるような暑い空気がねっとりと体にまとわりついた。女は汗で湿った浴衣を脱ごうとしていた。
 女が身構えたのは、そうして着替えの最中だったからというのもあるが、女と男のその時点の関係がひどくもつれたものになっていたからだった。女自身も、男にどうしてもらいたいのか、男をどう扱いた

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邪悪な魔法使いの存在を知るものはいない

邪悪な魔法使いの存在を知るものはいない

 あるところに邪悪な魔法使いがいた。非常に邪悪な魔法使いだ。邪悪な魔法使いは邪悪な魔法で好き放題していた。子どものポケットにこっそりダンゴムシを入れたり、ちょうど足の小指をぶつける位置に家具を動かしたり、遅刻しそうな時に限って五分くらい時計を遅らせていたりした。こんなものはかわいいもので、車椅子利用者用の駐車スペースに平気な顔で車を停めたり、電車の優先席に寝転んだり、深夜のコンビニの前にたむろした

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彼女を傷付けたのは真実だった

彼女を傷付けたのは真実だった

 ぼくは激怒した。彼女が傷付けられたからだ。
 彼女を傷付けたのは真実だった。しょうしんしょうめいのしんじつ。どこから見ても傷ひとつないような、完全無欠の真実だ。それがどうした、と、ぼくは腹を立てた。なぜなら、彼女が傷付けられたからだ。彼女はさめざめと泣いていた。打ちひしがれ、立ち上がることなどもう二度とできないのではないかという有様だった。なんてかわいそうなんだろうと、ぼくは思った。泣く彼女の姿

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巨人たちの絶滅について

巨人たちの絶滅について

 むかしむかし。
 かつて、この地上には巨人たちがいた。その天を衝くような巨体は、人類では到底及ばない怪力を持っていた。人類では十人がかりでも動かせないような巨石も、巨人は片手で軽々と持ち上げることができた。人類では何年もかかるような森の開墾も、巨人の手にかかれば草むしりみたいなもので、一晩で終わるほどだった。それほどの力の持ち主である巨人たちである。彼ら巨人たちが、地上の覇者となっていておかしく

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まつ毛が梢の女の子

まつ毛が梢の女の子

 彼女はなんら変わったところの無い、なんの変哲もない、ごくごく普通の女の子だったのだけれど、ただ他の女の子たちとちょっと違ったのは、そのまつ毛が梢だったことだ。彼女のまつ毛は梢だった。木の枝の先が、彼女のまつ毛だった。それは産まれた時から。
 産まれた時、その赤ん坊のまつ毛が梢であることに両親は少なからず驚いたけれど、その驚きもすぐに消え去ったのは、赤ん坊だった彼女の笑顔がとてもかわいかったからで

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月光騒動

月光騒動

 まだ人類がたったひとつの月しか持たなくなる前の話。
 それは、それぞれの人がそれぞれの月を空に戴いていた時代のこと、人類がそのひとりにつきひとつの月を持っていた頃の話。夜空にはその大地で息をする人々と同じだけの月が浮かんでいた。それはたったひとつの月しか夜空に昇らなくなってからの、つまりいま現在の月よりも小ぶりで、光も弱かった。そして、その持ち主が息をするのをやめると、音もなく消えてしまうのだっ

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ドライブ

ドライブ

 免許を持たない姉に車で出かけよう、運転してくれと頼まれて驚いた。ぼくと姉は歳も離れていたこともあり、普段あまり仲がいいわけではなかったのだ。仲が悪いわけでもない。いいわけでも、悪いわけでもない、無害な同居人がぼくにとっての姉であり、姉にとってのぼくもそれと大差ないだろう。
 一瞬、姉の頼みを断ろうかと思ったが、あいにくと言っていいのか、その休日、ぼくにはなんの予定もなく、咄嗟に何かの予定をでっち

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この世のすべて

この世のすべて

 大王がいた。大王は先代の王であった父から受け継いだ自国の領土を数倍にもし、富を数十倍にした。人々はその凱旋のたびに歓声をもって大王を迎えたものだった。偉大な王であった。王はすべてを手に入れたと言っても過言ではなかった。少なくとも、当時の人々がこの世に存在すると考えていたものすべて。誰もが大王を畏れ、そして敬った。
 大王の国には徳の高い僧がいた。幼い頃から一心に修行し、苦行も厭わず、悟りのために

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永遠のような愛

永遠のような愛

 永遠の愛を誓い合ったふたりは、その誓いを裏切らないために永遠に生きることにした。ふたりは実に誠実で、嘘を許さない人たちだった。死ぬことで、その誓いを破ることになるかもしれないと、ふたりは考えた。
 もちろん、もしかしたら、死後も互いを愛し続けることができるのかもしれないが、死後のことは死んでみなければわからないわけで、死んでみたら愛せませんでした、などということもふたりには許せず、それならばと永

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ラブソング

ラブソング

 その歌をぼくが初めて耳にしたのは、何気なくかけていたカーラジオ、夏休みで、ぼくはぼんやりと前を走る車のナンバープレートを見ていて、助手席の彼女は入道雲を見ていた。
 これといった予定はなかった。ぼくらは毎日を無為に過ごしていた。何かが起こらないものかという期待はしながら、その何かを自分で起こそうとはしていなかった。何か面白いことないかな、が口癖、そんな夏休み。それでも、希望がなかったわけではない

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男と女の孤独

男と女の孤独

 男は孤独だった。それと同じように女も孤独だった。
 男と女は深夜のさびれたレストランで出会った。場末と言う言葉がしっくりくるような場所、見捨てられた片隅。ふたり以外に客はいなかった。カウンターの中で、ウェイターが居眠りをしていた。
「立派な孤独を持ってるのね」男を見て女は言った。
「君の孤独も、とても素敵だ」女を見て男は言った。
 どちらからともなく、女と男は連れ立って店を出た。通りに人影は無く

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かりそめ

 目を覚ました彼は驚いた。自分を見下ろしている天井が、見慣れたものではない。あるいは、そういった感覚に陥ったことのある人もいるかもしれない。旅先のホテルで目覚めた時など、見慣れぬ天井に一瞬軽い混乱に陥るようなこともあるだろう。彼が驚いたのは、彼は目覚めて天井を見て、どこか旅に出て、ホテルで朝を迎えた時のような感じを覚えたのだが、それは見慣れたはずの、自分の家の天井であったからだ。
 彼はゆっくりと

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翼を持つもの

翼を持つもの

 落下する夢を見て、彼は目覚めた。あのビクッとなって起きるあれだ。まだ、夜深い時刻であった。落下は夢であったが、恐怖は現実のようだった。闇の中、彼は自分の鼓動で身体が揺れるのを感じた。心臓はその命の危機を現実として受け止めている。額の汗を拭った。落下するまでの夢がどんな夢だったのか、正確には覚えていなかった。残っていたのは、最後の落下する感覚のみである。あの、どうしようもない無力感。
「どうしたの

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恋する彼女は

恋する彼女は

 女がいた。男がいた。女は男に恋をしていた。
 それは叶わぬ恋だった。なぜなら、女は死んだ幽霊で、男は生きた人間であるからだ。女は自分がなぜ死んだのかを知らなかった。多くの生きている人間がなぜ生まれたのかを知らないように。
 幽霊と人間、それだけならまだよかったかもしれないが、悪いことに男は幽霊を含め、超自然的な事柄一切を信じていないという主義の持ち主だった。ありとあらゆる心霊現象は科学的に説明が

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