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まつ毛が梢の女の子

 彼女はなんら変わったところの無い、なんの変哲もない、ごくごく普通の女の子だったのだけれど、ただ他の女の子たちとちょっと違ったのは、そのまつ毛が梢だったことだ。彼女のまつ毛は梢だった。木の枝の先が、彼女のまつ毛だった。それは産まれた時から。
 産まれた時、その赤ん坊のまつ毛が梢であることに両親は少なからず驚いたけれど、その驚きもすぐに消え去ったのは、赤ん坊だった彼女の笑顔がとてもかわいかったからで、まつ毛が梢であるということで、彼女が不便そうでないことを見て取ると、特別なにか心配をしたりもせず、ごくごく普通に彼女を育てた。まつ毛が梢でない女の子を育てるみたいに。
 彼女のまつ毛には、小鳥たちが羽を休めるためにしばしば止まりに来た。小鳥たちはそこで四六時中ピーチクパーチクお喋りをしたものだから、幼い彼女は人間の言葉を覚えるよりも先に小鳥たちの言葉を覚えてしまったくらいだ。
 羽を休め終えると、小鳥たちは彼女のまつ毛に感謝した。
 止まり木をどうもありがとう。
 どういたしまして。
 彼女は小鳥たちの言葉でそう言った。
 梢のまつ毛は春になると芽吹き花を咲かせ、夏になると葉を生い茂らせ、秋になると紅くなり、冬には枯れて散っていった。彼女はそれを幼いときから繰り返し繰り返し見ていたわけなのだけど、それでも飽くことを知らず、花には心踊らせ、落ちる枯れ葉には胸を痛めた。
 彼女のまつ毛は梢だったので、小鳥たちが羽を休めていたものだから、彼女は小鳥たちのことを考えて、ゆっくり瞬きをした。止まっている枝が急に動き出したりしたら小鳥たちが驚いてしまうだろう。あるいは、振り落とされてしまうかもしれない。また、だから、いつも伏し目がちにして、あまり瞬き自体をしないで済むようにしていた。彼女のまつ毛は梢だったのだけど、彼女はごく普通の心優しい女の子だったから。でもいつも伏し目がちのせいなのかどうかはわからないけれど、少し人見知りで、あまり人付き合いが好きではない女の子だった。まつ毛が梢でない、人見知りの女の子と同じように。
 そして、普通の女の子と同じように、年頃になると恋をした。
 彼女が恋をした女の子は同じクラスの、普通のまつ毛をした男の子だった。普通のまつ毛をしていたけれど、ちょっと変わり者だというのがもっぱらの評判で、あまり友達もいないようだし、勉強は苦手だし、授業中はいつも窓から外を見ていた。なぜ彼女が、彼がいつも授業中に窓から外を見ていたことを知っているかと言えば、それは彼女が授業中はいつも彼の後ろ姿を見ていたからだ。そのせいで、彼女は数学のテストで赤点を取って補習を受けるはめになった。本当にそのせいかどうかはわからないけれど。
 そんな風に彼女はいつも彼を見ていた。そしてある時、彼が急に振り向くと、彼女の目と、彼の目が合った。彼女はとっさに目を逸らす。梢のまつ毛で羽を休めていた鳥たちは、急に彼女が動くものだから大慌て。
 ごめんなさい。と、彼女は小鳥たちの言葉で謝罪する。
「すごいや」と、彼。「君、鳥と話ができるの?」
 彼女は頷く。
「ぼく、鳥が好きなんだ」
 彼が授業中に窓の外を見ていたのは鳥を見ていたからで、彼女のまつ毛が梢で、そこに小鳥たちがやって来ることを知った彼は、彼女に小鳥たちを見せてくれるように頼んだ。もちろん彼女はそれを受け入れた。それからというもの、放課後になると彼は彼女の梢のまつ毛を飽くことなく眺めるようになった。そこにやって来る小鳥たちを。息がかかりそうなほど近くに彼女の顔に彼の顔が近づく。彼はそのまつ毛の梢に集まる小鳥をまじまじと観察する。帰りのチャイムが鳴るまでずっと。彼女はじっとしている。帰りのチャイムが鳴るまでずっと。そんな日々が続いた。彼女としては、彼とふたりでいられる、それだけでも満足だけれど、少し不満でもあった。たぶん、そんなものなのだろう。
 そんなある日、いつものように彼が梢のまつ毛を観察している時に、彼女のまつ毛で羽を休める小鳥の一羽が彼女に尋ねた。
 君はこの男の子のことが好きなんだろう?
 そうだよ。と、彼女は答えた。小鳥の言葉で。もちろん、彼にはどんな会話が交わされているのかはわからない。
 じゃあ、どうしてそれを伝えないの?
 だって。
「なんて言ってるの?」
「好きなんでしょ?って」
「誰のことが?」
「この男の子」
「え?」と、彼。
「え?」と、彼女。
 ふたりの顔は息がかかるほど近くて、そして、
 この先はまつ毛が梢でなくとも起こりうるようなことだから、わざわざ書くまでもないでしょう。
 小鳥たちは喜びの歌を歌って、きっと祝福するのでしょう。

No.367

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