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2024.1月に見たやつ@愛知県美&中之島美術館ほか

こないだみた前本彰子の作品が展示されてるのもあり、なんとなく見たいのが重なったため名古屋遠征し、ついでに大阪まで行ったのでその記録
・・・めっちゃ放置してしまったので何とかしたい


見た物は以下

▽愛知県美術館 コレクションズ・ラリー展

▽愛知県美術館ギャラリー 第10回日展巡回展(名古屋)

▽大阪中之島美術館 決定版! 女性画家たちの大阪

▽ヨシアキイノウエギャラリー コレクション展 – GUTAI works on paper –

まとまりのない記事になるのは目に見えてるが気にしない
文中敬称略

愛知県美 コレクションズ・ラリー展

[会期]
2024年1月16日(火)~4月14日(日)
[会場]
愛知県美術館(愛知芸術文化センター10階)
[開館時間]
10:00-18:00
金曜日は20:00まで(入館は閉館の30分前まで)
[休館日]
毎週月曜日(2月12日[月・振休]は開館)、2月13日(火)

公式より

四月までやってるので余裕で見に行ける展示
名古屋で主にみたかったものになる

コレクションズ、というだけあって、正直まとまりのない展示だが、それぞれ趣向を凝らした展示というか、対置があり、とてもよかった
ちなみに4章構成で、こないだ見たストロベリースーパーソニックの前本彰子の作品は2章にある

なお、撮影可だがSNS掲載禁止、など作品ごとに細かく規定されてた

第1章 JOMON
日本のやきもの史上、最古にして最大の人気を誇る縄文土器。その造形のどんなところに人々は惹きつけられるのか、土、形、紋様などの視点からその魅力を探りつつ、共鳴する作品とともに楽しみます。

第2章 うーまんめいど
映像作家・出光真子の著書『ホワット・ア・うーまんめいど』に着想を得たこの章では女性作家による作品を特集します。また、近年の両館の新収蔵作品も展示いたします。

第3章 ハードロック/ヘヴィメタル
硬い岩と重金属をあえて直訳したこの章では、文字通りゴツゴツした物質感や、重さや硬さなどを想像させる作品が並びます。

第4章 祈り
展覧会を締めくくるこの章では、仏教美術や墓の副葬品などを通して、作品に込められた祈りや死後の世界に対する人々の想いについて考えてみます。

公式より

はじめに

展示あるあるだが、1章の前になんか導入的な部屋があった
冒頭のあいさつをgpt君に要約してもらったのは以下

この展覧会は愛知県美術館と愛知県陶磁美術館の共同企画で、初の大規模共同企画として、4人の学芸員が各自のテーマに基づき選んだ作品で構成されるオムニバス形式の展示です。テーマは「JOMON」、「うーまんめいど」、「ハードロック/ヘヴィメタル」、「祈り」の4章からなり、古今の美術作品を通じてその共鳴を探ります。展覧会は美術館の収集と管理の努力の上に成り立ち、参加者により深い理解と協力を求めています。

要約gpt4

「古今の美術作品を通じてその共鳴を探る」ちゅうとこはコレクション展として非常に充実してたと思う

久野真 鋼鉄による作品 #272, 1975

1950 年代に石膏を画材とした絵画で注目された久野は、鉄、鉛を経て、 さびにくく時間が経っても表情を保つステンレススチールに出会い、以後晩年までこの素材と格闘し続けました。

展示キャプションより

↑のキャプションみてもらうとわかるが、この展示は全体的に各作品の説明が充実してて、担当者の気合が感じられた
そもそも現代美術は解説ないと意味わからんまでは言い過ぎだが、そこに至るまでの文脈がわかんないとつまらない

いや別に美術がって話じゃなく、マーベルとかスターウォーズとかみるとき、以前の作品も見てた方が面白いのと同じだろう
途中に出てくるおっさんが、ただの変なおっさんなのか、ルーク・スカイウォーカーなのかの差だ
古典回帰後のキリコとか、変身後のステラとか、晩年にまたコルク作品作ってる桂ユキとか、ブラックのタピエ・コレとか、文脈知ってると泣けるまである

長井朋子 美しい日曜日, 2008

「小さい頃の美術館の楽しい思い出が元になっている」絵らしい
けっこうストレートにニューペインティング、関西ニューウェーブ的なものの後継にも見える

昨年ホワイトチャペルギャラリーでみたニコール・アイゼンマンとは作品の年代も近く、共通点を感じた(ニューペインティングっぽく思ったのはその意味かもしんない)

長井は地元の作家らしいが、やっぱ各地の美術館は地元を推していくべきだと思うので、そういう意味でも出だしにでかでか展示しててヨイ

第1章 JOMON

ヴォーコスなど興味深い作品あったが、拡散禁止だったので写真は貼らない
ちゅうわけで先へ

第2章 うーまんめいど

展示の質、量ともに充実しててハイライトっぽいパート
ちなみにタイトルは

この章のタイトルは、映像作家・出光真子の著書『ホワット・ア・うーまんめいど』に由来します。 「女性がつくったもの」という意味の題名を持つこの自伝には、厳格な父 (出光興産の創業者出光佐三) に逆らえなかったことや、画家サム・フランシスとの結婚後も家事や育児に追われて十分な制作時間を取れなかったことなどが記されています。 当然 育った家庭環境や人生の歩みに個人差はあるものの、こうした悩みは多くの女性美術家に共有されてきたものと言えるでしょう。
家父長制の犠牲になりながら、 それでも作ることを諦めなかった彼女たちの作品を、ここでは等しく 「女性がつくったもの」と捉えてみたいと思います。

展示キャプションより

ちゅうことだったが、その出光の映像作品も展示されてて最高によかったので、画像はないが後ほどリンクだけはっときたい

三島喜美代 「Package」, 1971/1973

(実は近くに展示されてる)荒木高子とほぼ同時期に陶での作品を発表する三島の作品(※荒木の作品は拡散禁止なので写真載せてない

この2人が同時多発的に出てくるのがマジで興味深く、ここはずっと疑問に思ってて三島の個展も最近見に行ったが、ぜんぜん掘り下げられてない
(陶、広義でいえば土で作品作ってた女性作家はこの時代に何人かいるので、別にこの2人が特異的だったわけではない

高橋皓子 地衣のシリーズ, 1979
高橋皓子 行間, 1981 ※どっちも同タイトル

この作家も名古屋の人
「作者の高橋は1960年代に活動した前衛芸術集団 ゼロ次元のメンバーと
して活動した後、 テキスタイルを用いて作品を発表するようになります」
とのこと
ゼロ次元については自分は書けるほど詳しくないのでスルーで
完璧に余談だが、最近京都のギャラリー16に行って、自分たち東国の人間は上方の美術史をまったく知らんことをおもい知らされた事情もある

こういうテキスタイルの反立体的な作品は以前からあるが、70年代後半という時代を踏まえると、支持体ががっつりあるとこが特徴だと思う
作品を支える板や木枠に、ネオダダ→反芸術→もの派と乗り越えてきた歴史が、マジで透けて見える(あってるかどうかは知らんが
美術ライターなら「支持体との間に発生する緊張感」とか書いてるだろう

実際、ここから窺えるテーマは彦坂尚嘉、美共闘が追求したPWPにもつながってると思う

ノロ燐 胎芽とその兇星の寓話, 1966
ノロ燐 胎芽その刻印, 1964
ノロ燐 胎芽供養堂, 1973

このノロ燐3連発からの前本彰子はクライマックス感あってすごかった

ちなうろおぼえだが、自分はガキの頃にこのノロ作品を地元の美術館で見てる疑惑がある(四谷シモンと一緒に展示されてた記憶がある)

ノロも地元出身とのこと

浮かばれない胎児たちへのレクイエム
作者のノロ燐はある時、 大学病院でホルマリン漬けにされた胎児を見て衝撃を受けます。 自身の妊娠に関するトラウマを出発点として絵画を制作していた彼女は、その胎児たちを弔う気持ちからこの仏壇形式の作品を作りました。 その後、この作品は舞台美術としてアングラ劇団の巡業と共に各地を渡り歩きます。 前近代的な雰囲気を色濃くまとったこの作品は、 強い情念を発して見る者を釘付けにします。

展示キャプションより

絵画、立体とも60~70年代の作品だが、当時の美術手帖でノロ作品をみた記憶はねえので、たぶんロクに紹介されてないと思う
「舞台美術としてアングラ劇団の巡業と共に各地を渡り歩き」とあるので、作品形態として紹介しにくかった説はあるが、ちょっと前(50年代だと思う)までは舞台美術や衣装美術も熱心に取り上げてた雑誌なので、あんま言い訳にはならんと思う

世が世なら「呪術廻戦コラボいけたろこれ」という思いがすごい

前本彰子 Silent Explosion—夜走る異国の径, 1988

石川県生まれで最近地元で初めての個展もやった前本の作品
美術手帖で「超少女」ラベルを貼られて華々しく押し出された、雑にいえば80年代ニューウェイブの作家ってことになる

こうやって並べてみると、70年代のノロと、80年代の前本の間には、かなり大きな隔絶がある気がする
また脱線してアレだが、ギャラリー16で鷹木朗が70年代末期(78年くらいの状況)について、下の世代の中原浩大とかからは明確に、思想的な呪縛というか、それまでのミニマルとかもの派とかの禁欲的な態度はもう関係ねえ(意訳)みたいになってた(いい意味で吹っ切れていた)と教えてくれたが、まさにそういう世代的ギャップをこれらの作品は示してるように思う

まあ実際、榎倉康二(もの派)→彦坂尚嘉&堀浩哉(美共闘)→前本彰子という先生→生徒関係の流れで、前本らは前世代に反旗を翻しているので、だろうなって感じだ

横田典子 - ツチ・ビト-輪- ,2021

70年代のプロセス・アートかと思ったらめっちゃ最近のだった
(どんなのかっていうと、下に引用した関根伸夫のとか

確かにちゃんとみると、別に力が加わって変形したもの、って感じの作品ではないので違う理屈なんだろうという気がする

これは粘土で作った形が自重によってたわみ、潰れていく様を示しています。

展示キャプションより

だったので、作者の操作不能な不作為性を立体に持ち込んでる、ちゅう風に考えた方がよさそう

名知聡子 BOY,  2009

「自分や知人をモデルにしたポートレート作品」で有名な作家
ジェンダーロールというか、社会的な記号だけを男子学生に置き換えた自画像ということだった
出身は東京だが、今は地元在住とのこと

ノブコウエダ 作品, 1981

素材は御影石で、表面だけ磨いて作品にしているということだった
ミニマルっぽさを感じるが、とはいえ磨いてるとこや、結果として出力される形態がかなり自然の美というか、オブジェとして成立する造形をもってるのが違う点だろうと思う
(ものとの出会いとか関係項じゃねえだろうこれは、という感想

あとは先に触れた出光の動画作品「アムニス パート2」(1982)他も展示されてて、これもおもろかった(無事完走できた)
ちな、画面に出てるのは岸本清子である

この作品を見て気づくのは、すげえ反資本主義的というか、無政府主義的なことを岸本が語る作品なのに、撮影してる場所が豪邸っぽいっちゅう状況の皮肉さだ
まあ、豪邸かどうかはしらんけど少なくとも自分の知り合いにこんな家に住んでるやつはいねえ

あともう1個思うのは、なんでこういう映像作品には全身タイツが出てくるのか?ちゅう点だ(こないだの藝大卒展でも見たぞ・・・

なお、岸本はネオダダに参加してたこともある作家である

このパートはこんな感じ
他に田中君枝、四方れいの絵もよかったっす

第3章 ハードロック/ヘヴィメタル

戦後、それまでの絵画や彫刻、陶芸の有り方や考え方を問い直す動きが活発になりました。既成の芸術表現とは異なる有り方を試みるなかで、新しい素材、鉄やステンレススチールといった工業用素材を積極的に取り入れたり、伝統的なかたちや実用性から離れた制作を行なったりする作家たちが登場しました。また、作家の関心も、物体そのもののかたちゃ量感、質感だけでなく、周囲の空間を含めたものに拡大していきました。

展示キャプションより

というパートだったが、あんまり拡散OKな作品なかった
土谷武の「いきものⅡ」(1985)がマジで重厚すぎて印象に残った

第4章 祈り

仏教美術などを展示してた最後のパート

高畑郁子の「聖界」(1980)が密教的世界観を素晴らしく表現しててよかった
東京魔人学園剣風帖(PS、1998)好きはみんな好きまである

この展示のかんそうなど

非常に充実したコレクション展だったと思う 単純によかった
なんでよく感じたのかを箇条書きにしとくと

  • 各室で新旧の比較というか世代ギャップを見れた

  • キャプションが充実

  • 地元重視による知らない作家との出会い

ちゅうとこでしょうか
特にキャプションは先日行ったテートモダンとかと同じくらいの文章量で、形式的批評プラスじゃっかん読み(解釈)が入ってる、いい具合におもろく読めるInterpretationになってた

女性作家の取り上げ方も、なんか変にひねらないでストレートに女性作家集めたで!という潔さがあって好感度高かった

そんな感じで次へ

愛知県美術館ギャラリー 第10回日展巡回展(名古屋)

芸術の力!!!

県美の下の階でやってたので、完全に事故的に見た
初日だったので、わざわざ初日にチケット買って入るすげぇ熱心な日展ファンだと思われたかもしんない・・・

日本画と洋画

途中に看板あって切り替わってるんだけど、しょうじき区切りがわからんかった

宮下陽子 ザンスカールの祭り

すでに題材でかなり勝ってるところあるが印象に残った作品
なんか中華インフルエンサーの自撮りみたいな絵が多い中で、こういう自然な感じのポーズはよく見えた

鈴木義伸 2022.10.8

明らかにオーラが違う作品
この絵だけ浮き出てるような印象あった

題名も抽象画みたいな無機質さがあり、作家の作品に対するスタンスというか矜持が感じられてかっけえ

彫刻

山川芳洋 海女 176

海女さんっていう題材に、素材、ポーズ、テクスチャっていうのか表面の地肌までが一致しててよかった作品
こういう題材は変に素朴に見せよう、みたいな印象を受けることあるが、これはてらいのない作品で素直に鑑賞できた

176っていう数字がついてたが、もしかして海女さん176体目なのかもしんないと思うと怖い

田原迫華 パンジーは俯瞰する

題名の意味はまったくわからんのだけど、表情がすげえよい

せつねえ・・・

工芸

工芸もあるのがおもろかったが、工芸と彫刻・絵画との差is何???という根源的疑問を観客に投げかけるものでもある
ちゅうか平面作品はほぼほぼ抽象主義みたいなもんである

とりあえず現状の結論として言えるのは、売ってる場所によって変わる、ってことぐらいだろう

かんそうなど

みんな超うまいし大作ぞろいですごいんだが、美人の自撮りor寝てる美女みたいな作品が多すぎる印象だった
いや、何もそんなにごろんごろん寝なくてよくね?

とはいえ、それは平面作品の話であって、立体作品になるとそうでもない
佐藤忠良とか含めて街には裸婦が転がりすぎててあんまり作る必要がないのかもしんない

つまり、いまの美術だと裸婦とか美人画とかはそんなにないから、その分題材になりやすいとか、そういう事情があるのかもしんないと思った

大阪中之島美術館 決定版!女性画家たちの大阪

会期は「2023.12.23 – 2024.02.25」なのでちょうど終わったとこ
大ボリュームで腹いっぱいになる展示だったが、きほん写真はダメなのであんまり書くことはない
おぼえてることをつらつら書いてきたい

「女四人の会」の写真

それぞれ(たぶん)自分がいいと思ってる自作の前に立って撮った写真らしいが、すげえいい表情の写真だ
左から岡本更園、木谷千種、島成園、松本華羊、らしい

生田花朝の絵に出てくる「蛸々眼鏡」の衝撃

タコタコ眼鏡、だ
花朝は四天王寺に密着した絵を描いてる人という紹介がされてたが、かなりキャラ(人物造形)に特徴がある作家だった

で、問題はそこに出てくる「蛸々眼鏡」という遊びというか興行みたいなもので、自分はまったくしらんかったがこういうものらしい

三露千鈴《殉教者の娘》

すげえよかった

最後の島成園の自画像

鬼気迫るなのか、生活の疲れなのかわからないが、怖い絵だった

そんな感じである

ヨシアキイノウエギャラリー コレクション展 – GUTAI works on paper –

前に東京現代でみて、おもろい話を聞かせてくれたギャラリー
現地に行ったので当然寄った
(↓東京現代の記事はこれ これのE11を参照

場所は心斎橋
なんかしらんけど近くのアーケード街にはアルファードで送迎中の中国人らしき団体さんがいた

まあすぐ近く
入口はこんな感じで東京だと京橋のギャラリーの雰囲気に近い

展示内容

具体美術協会(GUTAI)は、1954年、兵庫県の芦屋で結成された前衛美術家集団であり、リーダーの吉原治良を中心に既成の概念を捨て、さまざまな実験的な制作を通じて「われわれの精神が自由であるという証を具体的に提示」しようと活動しました。

今展では、これまでYoshiaki Inoue Galleryよりご紹介させて頂いております作家たちを中心に、コレクションを加えてそれぞれが工夫を凝らした特徴的な紙の作品をご紹介致します。

公式より

ちゅう展示である
「アンフォルメルと合流してつまんなくなった」とよく言われる平面作品が多くなってからの具体の作家たちの作品である

ぼけぼけだが展示風景 どっちも吉原治郎の作品

松谷武判、白髪一雄、嶋本昭三、吉原治郎、吉原通雄、元永定正、吉田稔郎の作品があった
ちなみに通雄は吉原治郎の息子である

展示風景とか

松谷武判 OBJECT O-2/オブジェ, 1995

ちょい前にハードエッジ的な作品の個展を見に行った松谷の作品
これはぜんぜん趣が違ってて、95年の作品だが、かなり初期具体の精神を感じる何かだった

隣らにはボンドを使った平面作品(88年)もあってそれが見れたのでよかった

嶋本昭三 Untitled, 1958

目玉っていってもいい嶋本作品
58年なので、さっき書いたアンフォルメル旋風直後というか、その真っ只中で作られたもの、ちゅうことになる

みるとわかるとおり、この平面作品には穴が開いてるが、これは「キャンバスが買えず、新聞紙をのりで貼り合わせたものに急いで描いたら穴があいた」(by会場に展示されてた京都新聞の記事)もので、偶然の産物らしい

穴の開いた絵っていえば当然フォンタナが思い浮かび、吉原治郎にもそういわれて「やめろ」と言われたそうだが、のちのちわかったこととして、この作品に58年と書いてあるのでフォンタナに先行したオリジナルなのが証明された、との小咄がある

この作品は当時アンフォルメルの影響はそこまで強く感じない、どっちかというとアクションペインティングの文脈に近いとは思うが、アクションとかよりもより強力に絵画の枠組みから逃げようとしてそう
少なくともこれをアンフォルメルの影響、みたいな風には片づけられないんではなかろうか

白髪一雄 Work, 1976

白髪一雄の76年の作品
よく見る白髪作品とはまた違った、円のモチーフが入ってるおもろい作品

元永定正 Work, 1976

元永定正のアクリル作品
この作家らしく寄ってみるとすごい複雑な景色が見える作品だった

垂らしこみと同じような、なんか焼き物っぽい模様が出ている
吉原通雄 Work, 1976

スクリーンプリントと書いてあった
吉原通雄の作品は見たことなかったので興味深かった

吉田稔郎 Work, 1976

なんかみんなタイトルが「作品」ばっかだな・・・
と思いつつ見た吉田稔郎の作品

かんそうとか

という感じでざっと見ただけだが、とてもおもろかった
会場には嶋本昭三が今回の展示作品についてだいぶ盛った話をしてる記事なども資料としておかれてて参考になった

例によって正木利和記者の記事
この人がいなくなったら誰がこういう記事書いてくれるんだろうか

画廊の人によるとこの盛った話のおかげで見に来た人もいるそうなので、やっぱ興業としての美術展っていう側面は大事なんだと思う
作品を「売らんかな」で作るのと、展示を「面白くしよう」というのは違うでしょ説である

冒頭で書いたように、アメリカで展示をして以降というか、平面作品が多くなったアンフォルメル旋風以降の具体は、当時の評論家にアンフォルメルの追従者的にいわれたりするが、こうやって作品を見ると、同旋風の盛衰と関係なくそれ以前も以降も淡々とやってたんだなとわかるので、あんま同一視しすぎるのはどうかと思う

また今回は76年頃の作品が多く集まってて、日本現代美術史においてかなり微妙な70年代末期(もの派→ポストもの派→ニューウェーブ出現直前の謎に平面回帰が進んだ時代)ということもあり、そういう面でも興味深い展示だった

以上!

・・・ちゅうくらいで終わる
ちな中之島のホテルの中には具体の美術館(グタイピナコテカ)の跡地だっていう記念のプレートが残ってる
金山明によると、この施設ができてから具体は会社的になってしまい・・・みたいな苦言も呈されてる施設だが、なんとかして残っててほしかった施設の一つではある

ホテルのフロントには具体の作家である前川強の作品も展示されてたっす


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