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作品の感想はなぜ必要なのか。



小説、漫画、映画、ドラマ、アニメなど。
創作物を消化して、その作者に届けるわけでもない、誰かに向けて宣伝したいわけでもない、批評でもない本気の感想を書く人が一定数いる。
なぜそんなどこに届くわけでもない無駄に思えてしまうことを本気でやるのか。
答えは簡単だ。
作品を通じて思ったこと、感情を内側から外側に放出したいから。これに限る。
そして一定数いるとは言ったものの……自分の話なのである。

しかしこの度別の意味で、感想を書く必要があるのではないかと感じたので、その感情について深掘りを始めるべく、このようなどうでもいいことを書き始めた。

つい最近、無事に自作小説を完結させられたので、今度は未熟な語彙の勉強も兼ねて、読みたいと思っていたラノベを二冊ほど読んだ。ずっと挑戦したいと思っているチート要素無しの異世界ファンタジーものだ。
一冊を読み終え、続けて二冊目を読み始め、二冊目に関してはまだ続刊がある小説だったため、続きが気になりすぎて未完結のwebまで飛んで読んでしまった。
そしてその後感じたのは、感想を書きたい!ではなく、感想を書いた方が良いのではないかということ。

謎の使命感が沸き起こってしまったのだ。
これは一体なんだ?
自分でもよくわからない感情に自問自答する。

どちらも同じに見えて違いがあった。
感想を書きたい!という欲求には、自分の中に巻き起こる感情の渦を整理したい気持ちや、感動をとにかく吐き出したいという気持ちがあり、それは全て自分のためだ。そしてたまたま見た感想に共感してくれる誰かがいるのであればそれで満足する程度。
もちろん今回も書きたい気持ちは多少なりともあったのだが、それ以上に書いたほうがいい気がする、という漠然としたよくわからない感覚があった。その感覚というのは、これからその本を読んだ誰かに向けてのものだったのだ。

このようなことを書くと不快に思われるだろうが、自分はあまり、他の読者の気持ちを考えて長文で感想を書くようなことはしない。
自分の感情を吐き出したくて書くことがほとんどである。
では感想を書いたほうが良いと思ったのはなぜか。

昔、人は他者の感想が自分の感じたことと同じか答え合わせがしたい生き物だ、というようなことをSNSでおっしゃっていた方がいた。
確かにその通りかもしれない。
自分が本を読んだあとにすることといえば、まず誰かの感想を探すからだ。
小説や漫画だけじゃない。ドラマを見ている最中でも検索することがある。
人の意見や感想、視点が気になる。インフルエンサーや有名人などが発信したものではなく、自分と共鳴できる相手の感想だ。
もちろん、考えもしなかった事柄や視点に出会うのも楽しいし、正反対の意見を見るのも楽しい。
そう考えると、家に帰るまでが遠足と言われるように、感想を見たり書いたりするまでが作品を享受する者の役目ではないかと思えるほど必要不可欠なのではないかと思えてきた。

そして、今回読んだ作品の感想を探した際、本が発売してあまり日が経っていないということもあり、自分と共感できる感想に出会えないことにモヤモヤした。自分勝手だ。勝手にも程があるぞ、と思う。
しかしそのおかげで、今までただの衝動で自分のために書いていたと思っていた感想は、誰かの共感という導きに繋がることがあるかもしれないと感じることができた。自己満足の感想でも、誰かの役に立つこともあるのだなと強く思った。
だから今回は謎の使命感を持って、感想を書かなければいけないと思ったのではないだろうか……

以前、感情が爆発するがままレーエンデ国物語の感想を綴ったが、これは完全に自分のために書いた。
トリスタンが恋しくて、トリスタンに寄り添いたくて、トリスタンを救いたくて、自分のために書いた。
それが少ない記事の中で一番読まれている。なぜか。やはりみんな他者の感想が見たくなるものなのかもしれない。
感想に対する感想も頂いた。共感してくれた同じ読者の方からだ。
読んだ後に、気持ちの共有をしてもらえるのは涙が出るほど嬉しいことがある。救われるような感覚がある。言いたいことを言ってくれてありがとう、というような、感謝を伝えたくなる。
そして共感してもらえる側ももちろん嬉しい。共感してくれてありがとう、と伝えたくなる。win-winじゃないか。
その上で創作者の方や、編集部の方が熱い感想を読んで喜んでくれることがあるならば、世界はハッピーすぎるくらいハッピーだ。

ただ、誰かに届けるわけでもない、宣伝でもない感想を書くという無駄に思える行動は、正直に言えば、本気で書こうとすればするほどに面倒である。とてもめんどくさい。
面白かった!素晴らしかった!という率直な感想を書くことはさすがに面倒ではないが、魂を込めて中身の部分まで突き詰めて感想を書こうとすると、自分の場合は多少なりとも体力と精神を削られる。疲れる。おまけに時間も使う。だからほとんどの人が自己完結の感想は一球入魂して書かないのだと思う。それを知っているからこそ、自分の作品に勝手に熱心な感想を綴られていた日には大喜びするのだろう。(直接感想いただいた以外は今までないのであくまで憶測)

と、話は飛び飛びになってしまったが、感想を書けるというのもひとつの才能ではなかろうか。
本を読んだ後ではなく、選ぶ際にも、あらすじより誰かの読んだ感想やレビューのほうがあてになることがあったりもする。
あぁ、それで帯に感想を入れたりするのか、と妙な納得をした。
つまり消費者は、その作品の次の消費者の購買意欲を掻き立てる武器になれるということだ。
素敵な話じゃないか。感動した作品を届けてくれた作者の方(推し)の役に立てるのだから。

そしてこれだけ長く、感想についての文章を書いている人間もなかなかいないだろう。
他人からすれば時間の無駄だと思えることをしたがり、面倒くさいことは放棄したいのが自分の悪いところだとは理解している。
が、逆に考えれば長所でもあるのだから生かしていこう。
こんなことを書く時だけはすいすい進んでしまう。小説を書く際もこれだけ進みが早ければいいのに、やはりそれは難しいらしい。



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