「フツーに方丈記」
大原扁理 「フツーに方丈記」 (百万年書房)
「隠居生活10年目 不安は9割捨てました」の大原扁理さんによる「方丈記」の現代語訳&独自解釈。
と、いっても学術的云々・・・ではなくとてもポップな訳と解釈。
こちらも特別、「方丈記」を学術的に正確に読み解こう・・・というつもりで手にした本ではないのでそれで充分です。逆にそういう感じの方丈記論を求めえる方は避けた方がよいでしょう。
帯には”人生詰んだ!? そんな時、方丈記は役に立つ。”とあります。
が、特別人生詰んだと思っていない自分にも十分に役に立ちました。
「方丈記」ってつまり、世を捨てた人の本(ジツは鴨長明は世を捨ててからもパトロンがいて結構豊かだった、と聞いたこともありますが。)・・・と捉えられることが多いですが、少し視野を広くして”世の中の(自分にとっての)不便・不都合をすり抜けて生きた人の本”と捉えることも出来ると思うのです。
そしてそれであれば、自分が選んだ生活とそう大差はない。
インフラは整備されていますが自分で家を建て山に暮らしていること。
経済活動はしていますが会社勤め・勤労に生活を奪われ過ぎないやり方を選択していること。
そのためもちろん、社会的地位の向上に大きな意味を見出していないこと。
などなど。
さらに、自分たちの置かれている状況ってそんなに悪くないのではないか?とも思えてきます。
疫病・天才・悪政・・・言うまでもなく長明の時代の方が影響は大きかったでしょう。
しかし長明の置かれた状況もなかなか厳しかったのですね。
出世の道を絶たれ、世は疫病に襲われ・・・著者も書いていますが当時、その状況でこんな暮らしを選び尚且つ作品として残すという発想、凄いと思います。
そしてまた面白いと思うのが、これまた著者も指摘していますが僧侶・世捨て人・・・といったあたりのイメージとは程遠く長明、悟り切っていないのです。揺れまくっている。そこにまた自分の暮らしを重ねてしまいます。弱さへは投影しやすいのでしょう。
そんなことを感じ取れる「方丈記」現代語訳。
そこに大原扁理さんの周辺にまつわる考察が加えられていきます。
お金に関する考え方。
関連して東京という街の性質。
自らの目線によって大きく変わるものの見方・愉しみ方。
田舎(実家)に対する考え方。
そしてもちろん、疫病下の暮らし・・・。
もちろん大原さんは「方丈記」に好意をもってこの作品に取り掛かったのであろうから当たり前といえば当たり前なのですがここにも共通のバイブがあります。自分にとってとても好ましく読めました。
全く同意ではないけれど、概ね同じ方向を向いている。
そういう本が無難といえば無難だけど、やはり読んでいて心地いい。
そして「方丈記」がそれにあたるとは全く考えもしなかったですね。
古典から学ぶ・・・なんてガラでもない自分もとても愉しく読めました。
蛇足。
だからと言ってこの本、みんながみんな愉しく読めるかというと決してそうは思えません。
例えば社会的地位・キャリアの向上をひたすら求めるタイプの方。
(もしくは、それに類する日々を送られている方。)
もしくは人の指示で生きるのがラク・・・という方。
この本を読んで「それでいいんだ!」となるとはあまり思えません。たとえそれが帯にあるよう”人生詰んだ”状況にあっても”こっちの路線”は目指さないんじゃないか。あくまで”再上昇”や”復帰”を目指すんじゃないか?(あくまでなんとなくな私見ですよ。)
なんでしょうね。
なんとなくですが、その辺りに今の社会のおかしさが隠れている気がするんですけどね。
あれ?
そうじゃなくて自分が”人生詰んだ”ヒトなのかな?
大原さんではないですが、それで十分愉しんでいるのでいいんですけど。
そうそう。
冒頭はみなさん暗唱できるくらいに有名な「方丈記」ですが(ゆく川の流れは絶えずして・・・ですね。)その結び、エンディングって結構知らない方、多くないですか?
結構ショッキングなエンディングなんですよ。
そうなるのかよ!っていう。
本書、そこについてもちゃんと触れられています。
ぜひ手に取って、読んでみてください。
そして是非、感想をお聞かせください。
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