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抜里版・竹取物語~松村知沙さん&森繁哉さん・『くぐりこぶち』において~

松村さんと森さん

#松村知沙 さん、#森繁哉 さんと初めて出会ったのは2023年の抜里でのこと。
2024年は抜里版・竹取物語を楽しむことが出来た。

場所は #さとうりさ さんの作品『くぐりこぶち』のある藪の中。
始まる前はこんな狭い場所、足場もよくない場所で舞踏が出来るのかな、大丈夫かなと思っていた。

ここが舞台

藪の奥から#松村知沙 さんがピアニカを演奏しながらゆっくりと歩いてきた。

スタート

そういえば、竹取物語ってどんな話だっけ。
急いで頭の中にある記憶を引っ張り出す。

・最後は月に変える話だったよね。
・かぐや姫と竹取の翁が出てきたような気がする。

ってことは、ピアニカらしきものを演奏して歩いているのはかぐや姫か。
そうなると、 #森繁哉 が翁なんだろうな。

そういえばピアニカって、どんな風に演奏したんだっけ。
演奏したのは小学校の時かな。

そんなことを考えながら見ていたら、かぐや姫と竹取の翁が入れ替わった。

しまの竹やぶ

『くぐりこぶち』は昔、神社があり、その後現在の八幡社に集約されて合祀されたとか。
今はしまの竹やぶと呼ばれている。
地蔵が川沿いに残っているのは、その名残だろうか。

しまの竹やぶ

以前に聞いた話では、くぐりこぶちの近くには、綱繰舟着き場があったそうで、またこの「しまの竹やぶ」前が広場のようになっているのは、宴会など出来る建物があった場所とのこと。
今では抜里集落の端にあたる場所だが、ここが抜里の玄関口という時代の跡に違いない。

木材の運搬が河川を利用するものから鉄道利用に変わる契機となった大井川鐡道開業(この付近は昭和5年開業)後にも、この付近は渡し舟の発着場として機能していたそう。
いまは面影もないが、この場所が栄えた時代を想像する。

抜里版・竹取物語

その後も、じっと松村さんと森さんの舞踏を見た。

舞う
舞う

竹を切る場面、かぐや姫がこの地を去る場面などを感じた。

悲しみを感じる

一つ一つの舞踏が何を表しているのか、わたしには正解がわからない。
でも見ている中で考えたり、感じることがあった。

姫の悲しみ

でも、見ているうちに喜びや悲しみの感情が湧いてきた。
しまの竹やぶで風を感じたり、光を感じることが出来た。

クライマックス

わたしにはそれだけで十分だ。

森さんは、この舞踏を不自然な動きと表現した。
ああ、なるほどなと思った。
自然の中で感じる不自然。

でも森さんが対談する文章を読んで、身体を持て余し、自分でも明らかにできないようなことが強い衝動が一気にきたといった表現を見た。

松村さんや森さんは、しまの竹やぶで踊りながらどんなことを感じていたんだろうか。

わたしも踊ってみようかなんて思いは流石にない。

では。

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