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◎スパルタ教育はダブルバインドの嵐?



2つの矛盾するメッセージに悩まされる「ダブルバインド」
https://note.com/shinrishik/n/n01f5138e95a5?from=notice

スパルタ教育においては、問題を解いて褒められたとしても次から次に問題を出されて正解できなければ罵られ、人間性を否定される。頑張っても頑張らなくても怒られるのが定めのスパルタ教育はダブルバインドの嵐だと思うが、アザーラは物心ついた頃にそのような教育受けて毎日泣かされていた。それが5歳から8歳くらいまで続いたろうか。物心がついた頃に二重拘束(ダブルバインド)されまくった者はその後どうなるのかが、非常に分かりやすいサンプルになる思います。

例えば保育園においては人の顔色を伺う癖が当たり前のように身に付いていて、とある泥棒事件起きたき、あまりにもスケールの小さい事件に感じて冤罪の罪を被ってしまいました。

小学生の頃は大切な玩具を上級生が欲しがるという、ただそれだけの理由で渡してしまいます。

ダブルバインドに洗脳された者は常に不安心理と共存し、そこなら抜け出したく安心を渇望している。嫌であり許容できない事であっても不安を材料に24時間体制でその問題を検討していると、ふと集中力がきれ、理性がマヒし、嫌であるはずなのに前向きに受け入れるような決断がでしてしまう瞬間的にも訪れ、譲歩してしまう。気付いた時には大切な何かを誰かに譲り忖度している。

幸いな事に保育園での冤罪問題にしろ、上級生への忖度譲りした件も、子供故になぜバカな事をしてるのかが納得できず、泣き出して親を巻き込んで取り返しています。(些細な紛失事件を盗難事件のように扱い世界の終わりかのように振る舞う保育士さんに共感できなかった。そして鬼の形相で怒ってくる姿に流石に忍耐力強めアザーラも我慢できなかったのだと思います。上級生についても欲しいものが手入って、とてつもなく幸せ発狂してくれる程の喜んでいるのならきっと返して欲しいとは思わなかったかもしれない。いや、むしろそれだけ喜べる上級生さんは大人な態度でそれを遠慮し、玩具を返すのが筋というものであるし、アザーラに返すのが正解である)


ただし子供だからこそ、取り返せたのです。もしも大人な立場であったなら、カッコ悪くて取り返し主張なんぞできないでしょう。大人であるならば理性が働き極端な忖度はしないでしょうが、しかし追い詰められたたりする条件があれば、非合理にも自分を犠牲にしてしまうでしょう。

スパルタ教育の本質的な悪いところは、将来への悲観(死にもの狂いで頑張らななければ社会では生きられないという恐怖心)を子供心に植え付けてしまう事なのかもしれない。
人一倍、社会に対して恐怖心を受け付けてしまうので、社会の出る前に社会不安を着実に成長させる。そんなスパルタ教育について、具体的にいえば面接等に対して人一倍大きなプレッシャーを与えてしまい、、余計な力が入りすぎて失敗リスクも大きくなるでしょあ。いくら勉強ができて成績を良く残せても社会に適応できなければ無意味である。

スパルタ教育は実質、親に虐められ慣れてしまう事から、学校等で虐め被害にあっても受け耐性ができてしまう。受け入れるといっても苦しいのは前提であるし自尊心は削られる。 スパルタ教育の影響は「できる子でなければ棄てられる」なイメージも子供に植え付けてもいます。虐め被害を自ら解決できない事は恥であり、解決できなければ親に棄てられるような圧があったり、逃げても後ろめたい。闘っても虐めに立ち向かう事はしんどい。親を通じて虐められ慣れているので耐えている方が精神的に楽にか、そして耐えるからこそ、立場はより 悪化していく。虐めがエスカレートしていったり、しかし子供故に悪化の流れを予見できないので、例えば後から被害問題を主張したところで思う。【「なぜ言わなかったのか? 」と説教されらたらどうしよう?】と考えてしまう。

虐め被害を主張できなかった件は、目の前の問題あら逃げていた弱い自分は勇気がない。責められてしかるべきものとして解釈し、罰として現状の不幸を妥協しようと努力してしまうかもしれない。アザーラの虐め被害の時期は小学5年からの1年間ですが、その一年の間に虐めの概念を受け入れている為に加害者への怨み等の感情がなくなります。自己責任の範疇に落とし込むことに成功していて、なんなら加害者の事を好きですらありました。大人になった今でも好きなくらいです。
子供故に完全な悪でもないのでしょう。探せば良いところもあるでしょう。アザーラを虐めた相手は運のく生粋のサディストではなかっただけ、だからこそ無事で済んだのもあるし、だからこそ好きな相手にカテゴラズできるし、好きな相手だからこそ虐められる事が何より辛い想いでした。

加害者は2人でしたが一人は交通事故で死にました。まるで親友が死んだかのようなショックを受けるアザーラですが、とても異常なことである。ジャイアン、スネ夫に虐められるのび太のような関係性であるのなら理解できるけれど、それほど深い交流がある訳でもない。虐めっこ(犯罪者)相手ですら、その距離感から親友とすら思ってしまう心理について、そんな人格形成がされた者がその先未来でどういう人間関係が形成されるのか、そもそも死にもの狂いで頑張らななければ社会では生きられないという恐怖心が植え付けられています。目の前に訪れる課題や試練についてを死ななくても良いのに死ぬ気で取り組むでしょう。しかしそれは将来に悲観しているからこその努力であるからして、努力するというのは見返りがなければ続かないもので、けれど努力はすればするほど、報酬が欲しくなります。その気持ちは失敗を受け入れらねない心理へと派生するでしょう。例により面接等で失敗するときの恐怖心を妄りに煽るでしょう。スパルタ教育を受けた者は社会と噛み合わないリスクが増大しています。

失敗を受け入れたくない心理は学校行事等にも悪影響があるでしょう。レクリエーションやチームによる球技等。それが些細な事で仲間の足を引っ張ることがあるとして、人一倍に失敗を受け入れたくない心理があるので、失敗をきっかけに自信が失われます。心の隙間につけいれるように単なる笑い話で済むはずの失敗が、死にもの狂いで生きなければいけない心理と一緒になって自らを死に際へと追い詰めます。それは端から看れば些細な出来事でしかいないのに、心理的には人生に挫折した状況である

社会の縮図である学校ですら挫折しているのであるからして、将来、社会に対して悲観する想いしかできなくなり、卒業する頃には憂鬱一色に染まっている。 スパルタ教育を切欠にして社会に出る前に戦闘不能(PTSD)等を得るでしょう。皮肉なことです。子供の将来を思って心を鬼にして努力させた結果が自らの手で子供を破壊しているのです。
世の中そのようなアホをやってしまう親はアザーラの親以外にも沢山いるでしょう。
悲しい事に変な耐性力がついているのでSOSは発しません。そもそもSOSを発するというのは親の頑張りが無駄であった事を親に気付かせるという親不幸してしまうリスクと共にある。親に問題があっても親に問題があったように気付かせない生き方をしてしまう。
ニートであるとすれば、幸せなニートを演じて怠け者に観られてしまい家庭での居場所を失くしていきます。実質対人恐怖の引きこもりであるのに、幸せニートを演じてしまう事でより立場を危うくしていく。

親は心を鬼にして口汚い言葉を使い、家庭での居場所を無くして外に向かわせるように仕向けようとしますが、死にもの狂いで努力してきた者はどれだけ居心地が悪かろうとも、死にもの狂いで引きこもり生活を選べます。二度と家から出れないとしても、そちらが楽だとして受け入れていきます。「なぜウチの子だけが…」と嘆く引きこもり親御さんを良く相談サイトで見かけますが、教育過程にてダブルバインドに気付けなかった事に多くの原因があるでしょう。

スパルタ教育がもたらすデメリットについて、恐らく多くの人は認知しないと思います。
当事者でさえ言語化するのが難しいダブルバインドの概念は、加害者の視点では何が問題なのかは決して気付ける立場にいないと思う。親になる立場の者は親になるまでに虐め等被害を味わってない確率が高い。挫折してないからこそ世界に悲観せずに子を作れてしまう。
子が被害側になるとして、その視点に想像が及ぶ経験値がそもそも親にないのです。
ダブルバインド(二重拘束)の加害者になりうる事についても気付けない。

子が不幸になったあとから原因を知ったところで寝耳に水であり、子供から原因を指摘されたところで、専門家ですらない子の意見を真に受けるはずもなくです。

親の立場だと【嫌なら嫌と言えば良かったのに】の一言で終わらせることができるし、不幸な現実から目を背けようとしてそう言うでしょう。

正論という凶器を使えば被害者の口を脅して封じる事ができるような仕組みになっています。少なくとも親に視点においてはです。

それがスパルタ教育がもたらすダブルバインドなる被害なのでしょう。

そんな見解をもつアザーラから見た親の観測はときどき、ナイフが飛んできて死ぬかと思うような気分で頭が真っ白になります。(※実際にはナイフは飛んできません。例えば何気ないため息をする親が「死ねばいいのに」と言われてるような気持ちなりますが、そんなナイフのような意味合いでしょうか…)

アザーラ程ではないにせよ、ダブルバインドはスパルタ教育のみにあらずでしょう。子供の口数が子供よりも多い親がいます。きっと子に何かを要求しがちな親は知らず知らずの内に二重拘束(ダブルバインド)で洗脳していて、子供から言論の自由を奪っているのかもしれない。
「ウチの子はおとなしい。何考えてるか分からない」等と言ってしまう親がいますが、危険な罠に陥っているかもしれない。ダブルバインドしてる自覚がないだけに、子供が壊れるまで行き着くところまで追い詰めていきかねない。気付いた時には後戻りできない程に後悔する日が来るかもれない。

もしも貴方がこれまでの人生でダブルバインドした加害経験に思い当たらないとしても、被害者としてダブルバインドされた記憶は思い出せると思う。人は多かれ少なかれその経験はあるだろうし、その経験をサンプルに過去の自分に問題がなかったのか考えてみると良いかも。おそらくアザーラも誰かに加害のダブルバインドをしているはずだが、全く思い出せない。傍若無人の加害者気質の王様設定であるアザーラ様ですら心当たりなく思い出せないのだからして、人畜無害な一般人であれば尚更加害者だったとしても心当たりないだろうと思います。それくらいダブルバインドに罠がある。こえー!


知らんけと気付いたら相手に嫌われてた。そんな経験ありならダブルバインドしてた可能性ありかも



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