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「打席に立つ」しかなくね?

知らん。

何が「挑戦している君へ」だ。

挑戦している時点で、もう半分は上がりだろう。挑戦している君は、きっと報われるからだ。

世の中、挑戦できない奴の方が大半だ。

俺ならもっとうまくやれる。私ならこうするのにな。

独り、部屋でそんなことを思って。でも何もしない。何もできない。

鬱々と自分と対話して、きっといつかやれるなんて慰めて、いつかなんて来ない。

思い出したくもないのに、でも何か愛おしくもある、何者にもなれず、ひたすらうじうじして、そんな自分を隠すように、大袈裟に笑っていた童貞のころ。

そら、モテないわな。

先に書いておくと、大学生の僕は「ぼっち」ではなかった。友達もできず、本当に一人ぼっちの人からすれば、鬱陶しいリア充にすら見えていたと思う。

でも、何をやってもうまくいかなかった。

地方大学の一人暮らし。同じく親元を離れている周囲の友は、続々と彼女を作り、無責任で幸せな半同棲生活に入っていった。

僕の空回りっぷりったら、なかった。好きな子、気になる子はできるのだが、見事なくらい、何も起きなかった。新聞記者になりたいという夢はあるのに、何もしなかった。

そんな僕を横目に、誰よりも学生生活を謳歌していたのが、ダイスケだった。

ダイスケは、いわゆるヤリチンだ。

嫌味のないイケメンで、身長こそ高くないが、それがまた女子を警戒させない可愛げにつながっていて、次から次へと女の子をものにしていった。

そんなダイスケが、大学に入って最初に作った彼女が、ミワちゃんだった。

超絶モテていたダイスケは、あっさり浮気がバレて、その付き合いは2周間ほどしか続かなかった。

ミワちゃんはミワちゃんで、同級生の中でも目を引く可愛い子だったので、すぐに別の彼氏ができた。軽音部でビジュアル系バンドのボーカルをやっている、いけ好かないイケメンだった。

ダイスケの友だちという縁で、僕とミワちゃんも自然と話す仲になっていたのだが、正直、僕はミワちゃんのことをあまりよく思っていなかった。

純真無垢な童貞の僕からすると、知り合って10日も経たないうちに誰かと付き合い、体の関係を持ち、さらには別れてすぐまた次の男性と一緒になるなんて、信じられなかった。なんという軽い女の子だと思っていた。

もちろん、改めて書くまでもなく、僕は「そういう人たち」に激しく嫉妬していた。



童貞のど真ん中を歩きながら、履行した授業の単位を一つも落とすことなく、僕は2年生になった。

そして、英語の少人数制講義でミワちゃんと一緒になった。僕とミワちゃんは週に一度、小さな教室で一緒になることになった。互いに知り合いが他にいなかったので、隣に座るのが習慣になった。

悔しいかな、ミワちゃんは可愛かった。そして予想に反して、ミワちゃんは学業に関してはとても真面目だった。授業の予習を欠かさず、ズボラな僕は何度も助けてもらうことになった。

強烈に惹かれつつ、僕は改めてダイスケの凄さを噛み締めていた。こんな子を入学してわずか10日足らずで…。



英語の教室で、ミワちゃんが僕を見つめる時の視線のニュアンスが、変わってきている気がした。どうやらミワちゃんは、その夏に僕が友だちとアジアへ行くことに興味を持ったらしかった。

本当にベタだが、沢木耕太郎さんの深夜特急の真似事だ。友だち3人と行くのだから、真似事にもならない。珍しくもなんともないバックパッカーだ。ただ、確かに東北の小都市にある大学では、海外に行く学生自体があまりいなかった。

今でも覚えている。

どういった流れかは忘れたが、ある日、「今日はダイスケとかと飲みに行くんだ」というメールをミワちゃんに送った。

すると、こう返ってきたのだ。

「いいなあ。今度、ミワともご飯に行ってよ」

この文面を見た瞬間、本当に胸が「ドキン」と鳴った気がした。マジか!と思う気持ちと、いや、騙されてはいけない!と抑えようとする理性が、押し合いへし合いとなった。

「ぜひぜひ。タイミング合えば行きましょう」

どうせ、ミワちゃんにそこまでの意思はない。メールの会話も、これで終わるはずだ。そう思った。

しかし、間髪入れずにこう返ってきたのだ。

「いつなら行ける? バイトって終わるの遅いんだっけ?」

勘違いしてはいけない。ミワちゃんくらいになると、男友達と食事に行くくらいなんでもないのだ。ただ単純に、それだけだ―。



学生がそんなに忙しいわけがなく、メールでやり取りしてから1周間も経たないうちに、僕とミワちゃんは食事に出かけた。

もう、可愛いのだ。百戦錬磨の女子ゆえ、まっすぐに見つめてくる。しかも、質問するのはミワちゃんばかりだ。僕のことを知ろうとしてくれている。僕の話を楽しんでくれている。

「今まであんまりちゃんと話したことなかったけど、そんなにちゃんと目標があって、いろいろと知らない世界を知ろうとしているなんてすごいね。なんか、私も海外とか行ってみたくなったし、もっと話も聞かせてよ」

もしかして、もしかして、もしかして―。



そういう風に2人で会うようになって、2ヶ月ほどが経った。童貞の僕はもちろん、キスどころか手さえ触れていない。ただ、その頃にはもう、完全に恋していた。

もちろん、ダイスケにも相談していた。

「ミワっていい子だし、根は真面目だし、意外とオマエに合うかもよ」

そんな風に、背中を押してくれていた。



そして、ある日のデートだった。食事後に、少し散歩でもしないかという話になった。僕のアパートの近くを流れる川沿いを歩いた。僕は、本当に勇気を振り絞って、彼女の手を握った。彼女は握り返してくれた。

別に決めていたわけではなかったが、告白しようと思った。童貞の僕にだって、今がそういう流れだということはわかった。

どこで話そう。どこかに腰を下ろそうか。

そんなソワソワした空気を、経験豊富なミワちゃんはすぐに察したらしかった。

そして、機先を制するように、こう言ったのだ。

「ねえ、あのさ。私、実はまだ彼氏がいるんだ。ちゃんと言わなきゃって。でも、ちゃんと“考えている”からね」

つまりミワちゃんはまだ、ダイスケと別れた後に付き合った、バンドマンのボーカルの彼女なのだった。

握っていた手を離した。正確に言えば、力が入らなくなった。童貞の僕からしたら、ありえない裏切りだった。

「そっか。なんか、ごめんね。あいつと別れていなかったんだね」

そう言うのが精一杯だった。

彼女を見送った。「今から彼氏の家に行くのかな。彼氏の家に行って、一緒に寝るのかな」。そんな風に思うと、涙が出てきた。悔しかった。

アパートに帰り、ひとしきり泣いた。

「だから言っただろ。舞い上がるなって。あの子は“そういう子”なんだ」

僕の純な部分を踏みにじられた気がした。弄ばれた気がした。失敗を繰り返して、自分の恋愛に欠片ほどの自信もなかった僕には、もうどうにもできない気がした。

また、一から始めるのか。

最悪だ。



ダイスケに電話をした。まずは飲もう。そう言われ、ダイスケのアパートまで自転車を走らせた。

チューハイと「キャベツ太郎」を買って、チャイムを鳴らした。ダイスケの部屋は、相変わらず女の、いや、もっと正確に言うと「性」の匂いが残っている。

顛末を伝えると、ダイスケは半分笑いながら、こう言った。

「ああ、まだ別れていなかったんだ。別に確認する必要もないと思っていたから、ミワに聞いたりもしなかったけど」

僕は彼女を責めた。普通、ありえなくねえか? 最初に言うだろ、そういうの。つうか、別れてからじゃないと、だめだろ。まじ軽いわ。

グビグビと缶酎ハイを飲みながらくだを巻き続ける僕に、ダイスケは業を煮やすようにこう言った。

「オマエさ、いいかげんにしろよ」

一緒になって文句を言ってくれるかと思っていた僕は、面食らってしまった。

ダイスケは、本気で怒っていた。そして、まくし立てた。

「相手に彼氏がいるとかいねえとか、まじ関係ねえよ。オマエはどうしたいんだよ。オマエの気持ちはどうなんだよ。ミワが彼氏と別れていなかったからって好きじゃなくなるなら、それまでだろ。それ以上でも以下でもねえよ。オマエが決めろよ。人間ってさ、そんなに単純じゃないんだよ。オマエはガキなんだよ。だからだめなんだよ。オマエだって筋の通らないことやるときあるだろ。オマエの『好き』がこれでなくなるくらいだったら、それまでだよ。オマエがどうしたいかを、オマエが決めろよ。それだけだよ。もう家帰ってオナニーしろよ」

何も言えなかった。本当に、何も言えなかった。情けなかった。確かにそのとおりだった。

うなだれる僕に、ダイスケはこう畳みかけた。

「お前はさ、打席が用意されているのに、ちゃんと立とうとしないんだよ。自分丸ごとでバットを振ろうとしないんだよ。恋愛だけじゃないよ。お前は新聞記者になるって夢があるんだろ。やりたいことがちゃんと決まっているのって、すげーよ。俺らの周りだとお前くらいじゃないの? でもお前、いつも言い訳ばっかりして、何もしようとしないじゃん。ライターの事務所でアルバイトを募集しているって教えてあげても、やらなかったじゃん。何を目指したらいいかわからない俺からしたら、お前はうらやましいんだよ。でも、何もしないじゃん」

僕はさらにうなだれた。

ミワちゃんにも、自分にも、ちゃんと向き合っていないのは、僕の方だったのだ。

「そうか。本当にそうだ。ごめん。ダイスケ、ありがとう」

そして、ダイスケはこう笑った。

「童貞くんはまじ、世話焼けるわ。まずは飲め」

ダイスケは、こうして優しいのだ。



その晩、ダイスケはこれまで教えてくれなかった、ミワちゃんの話をたくさんしてくれた。

2年生になって英語の授業で一緒になってから、ミワちゃんがダイスケに僕はどういう奴かを何度も聞いてきたこと。そして、ダイスケが僕のことを「童貞だけどあんなに良い奴はいない」と推してくれていたこと。

そして、それをダイスケから聞いているミワちゃんの声が、とてもうれしそうだったという、こと。

「俺が裏でアシストしているの教えずに、オマエに自信持ってほしかったんだよ」

ダイスケがモテるのは、当たり前だった。こんなにも、優しいのだから。

空が白んじてくるころ、僕は自転車でアパートに帰った。

眠気はなかった。自分に問いかけた。

オマエは、ミワちゃんが本当に好きなのかと。

いや、問いかけるまでもなかった。

それはもう、大丈夫だった。彼女のことをもっと知りたかった。もっと笑わせたかった。一緒に、色んなものを見たかった。

彼女が彼氏と別れていなかろうと、関係ない。彼氏と別れないという決断をされたとしても、大丈夫。

告白をしようと決めた。



ミワちゃんにメールを打った。

「近いうちに、また夜の河原を一緒に散歩してください。俺の方から、ちゃんと話をさせてください」

それから10日ほどして、ミワちゃんは僕の彼女になった。

20歳と3ヶ月。

僕の童貞ライフは終わった。それは完全に、ダイスケのおかげだった。

ダイスケに報告すると、こう返ってきた。

「ミワ、すげーよかっただろ」

ダイスケはこうして、僕の最低で最高の親友で、そして「アニキ」となっていった。



ダイスケに教わった「打席に立つこと」の大切さは、僕の生きる指針となった。

人生は「打率」ではない。100人に振られようが、大好きな1人と一緒になれたら、それ以上に幸せなことはない。どんなに遠回りしても、やりがいのある仕事を見つけられたら、こんなに有益なことはない。

たった1本のヒットでいいことだって、たくさんあるのだ。

一番すごいのは、その打席自体を自分で作れる人だろう。でも、僕を含めたほとんどの凡人は、一から打席をクリエイトすることはできない。

でも、と思うのだ。

せめて、一度は立ってみたい打席が自分の手の届くところにあるなら、あるいはそういうチャンスが自分に巡ってきたのなら、バットを持って向かっていった方ががいいのではないのだろうかと。

0から1を生み出すのは難しいけれど、可能性を0から1にするのは、意外と簡単だ。

打てるかどうかはわからないけど、打席でバットを振らない限りは、絶対にヒットも打てない。

そして、三振もしてみないと、打ち方は上手にならない。本番にも強くならない。

怖いし、凹むし、辛いし、きつい。

うまくいかないことの方がほとんどだ。

ただこれだけは言える。

世の中、打席に立たないとわからないことばかりだ。

だから、ダサかったあの頃の僕にも向けて、ダイスケの言葉を借りて言う。

何はともあれ、打席に立つしかなくね?

#挑戦している君へ

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