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みっつ通信

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慣れ親しんだ日々を、日々、書き換えようと模索しています。
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2021年6月の記事一覧

自分がいなければいいなんて思うなよ。

日本は不思議な国だなと思う。黙っているほど支持が得られる。つまり、何もしないほど得をする。言い方を変えれば、「余計なことをするな」という国民性があるのかもしれないと勝手に思う。あくまで個人的な目線に過ぎないが。嫌われないよう、無難に過ごしているほうがよっぽど幸せになれるのではないかと思う。勉強だって下手にやり込むと疎外感が生まれるように、出る杭は打たれるという諺があるように。島国であることが関係しているような気もする。 本来、自分の意見を言えることは立派なことのはずなのだが

現代病。それは自信喪失。

よかれと思った発言が相手にとってはグサリと来たり、何気なく言ったことが好意的に受け止められる場合もある。近頃、特に「一歩ずつ」という言葉の重みが激しくて、目に見える結果なんて到底すぐには表れないのだと心に刻まれている。 結果は気にしない。これが継続のコツだと思う。一気にジャンプできるなんて思ったら、勘違いも甚だしい。階段を一歩ずつ上ることでしか、自分の内側のキャパを広げていく方法はない。 枝葉的な考え方が好きで、よく想像する。自分はまだ芽かもしれないし、多少は葉っぱが付い

最大の資源は「自然」だよ。

連日ハード(個人差あり)に動いていたら、太ももの筋肉痛がずっと消えないままでいる。でも、その痛みが妙に嬉しく、最近は体を動かすのってやっぱりいいなと思っている。 昨日は菊名にある「ごちゃまぜの家(仮)」に行ってきた。新しい家の名前を考えている時期なので、今はまだ(仮)である。昼間に行われた会議では「はじまりの家」という候補も上がったけれど、それを聞いた瞬間に「終わりの家」のほうがいいのではと思ってしまった。 その話を彼女にしたら、マザー・テレサが設立した「死を待つ人々の家

痛みを笑え。

夜な夜なローソンで買ったアイスコーヒーを飲みながら住宅街の中にいた。とにかく一口目がミョーに美味しかったので、もう一度、同じ体験ができないかと考えた。その時、偶然、目の前に坂が現れた。なるほど。これはチャンス。一気に駆け上り、せいやっと駆け下り、再び駆け上った。運動不足が祟って、一度の往復でぜえぜえはあはあと息を切らす。よっしゃ、これならとアイスコーヒーをストローから一気にゴクッと飲む。驚き。あら不思議。一口目と同じレベルの美味しさが口の中に宿ったのだった。 星のない曇り空

道草こそ人生

「未来はそんな悪くないよ♪」とAKBの恋するフォーチュンクッキーを歌っていたら、いつの間にかコロナが蔓延していた。テーブルの上に白い粉が散らばっている。大福の食べかすだ。懺悔しないといけないことがある。去年の冬から毎日のようにビールやチューハイを一日二缶は空けている。計算すると恐ろしい数字になる。半年間で360缶だ。怖すぎる。 どうして誰も今まで教えてくれなかったのか。そう思うことがある。たとえば、製品。今年の梅雨入り前に除湿機を購入した。洗濯物の生乾きが大嫌いだからである

過去を花に変えられるのなら

高橋一生、三浦春馬、小沢健二、尾崎豊に似ていると今まで言われたことがあります。三森です。褒めすぎだよな。地毛なのに髪染めてるねと今まで二回言われたこともあります。若白髪です。もう、書くことがなくなった。昔から、いわゆるやることリストに全てチェックが入ると、解放感と同時に、一気に暇になって時間を持て余す。今月に入ってから、今までにないくらい記事を書いたし、もう書くこともなくなったなと思っていたけれど、やっぱり暇になる。最近した「いいこと」を考えてみた。ら、母のローンを肩代わりし

人生を甘くする考え方を考えてみる

何回やっても苦手なものがある。食器洗いだ。魚を焼いたグリルをスポンジでゴシゴシと洗いながら、頭の中で計算してみる。一日食事を二回したとして、それを十年間続けるとする。一年は365日あるから、十倍にすると一日一回の食事で3650回。それを倍にすると7300回。30年生きているのだから、その内の半分の15年は食器を洗っている。滅多に外食はしないので、少なく見積もっても、7000回はほぼ確実に食器を洗っていることになる。とんでもない数字だなと思う。やらなければいけないことなら人は苦

忘れ物したことさえ忘れていく

梅雨入りと同時にまるで文章が書けなくなった。完全にポンコツ化した。それでも暇なので今日も向かい合っている。大声を出したい気分。でも、ベランだから「バカヤロー!」なんて叫んだら、通報されるのが目に見えているのでやめる。先日、彼女とケンカしてしまった。仲直りだけは早いという特徴が私にはあるので、その日でモヤモヤは雲散霧消させられる。不機嫌はなんて暴力性があるのだろうと思う。いかにして自分自身と仲直りするかというか、どのようにして自分の機嫌を取るかに全てが懸かっている気がする。

生きるための遺書を書く。

やばい、やばい。今日やる。今やる。猫がフンに砂をかけるかの如く。根っからの三日坊主。やりたいがやりたくないに変わる前に。今やらないと後悔する。やるのに理由なんていらない。ただ、やる。やり始めるから手が動き出す。「大切なこと」を書きたい。急がないと「もういいや」の波に流されて行ってしまいそうで、妙に焦燥感を覚える。梅雨入りは死刑宣告だ。活力を失っている。雨降りの日は苦手で、低気圧が近付くと頭痛がする。頭がボンヤリとしたり、寝ても疲労感が残ったまま。なかなか理解されないことってあ

やる気がなくてもやる。

やばい、やばい、アウトプットが間に合わない。サボりすぎてしまった。とりあえず音楽で気持ちを盛り上げよう。ちなみにミーハーなのだが、最近、カネコアヤノの曲がいいなと思っている。『抱擁』とか。それと踊ってばかりの国。ヴォーカルの下津光史の木綿のハンカチーフはビビった。才能がある奴が減ったなとか梅雨ばりにジメッとしていたが、才能がないのは俺のほうで単純に「発見力」がなかっただけだった。今もないけど。興味を持ってもらうって大変だ。才能が溢れていても、受け取り手がいないと消えていく。才

愛し愛された記憶は不滅。

昨夜、サッカー中継を観戦していたら、唐突に何の脈絡もなく一人の選手が倒れ、一瞬、何が起きたのか理解できなかった。AEDが使用され、選手を取り囲むチームメイト達がボロボロと涙を流しており、これは只事ではないと感じた。有名な選手で、昔から知っていたし、かつ、まだ年齢も29歳で自分と同世代。その後、速報で一命を取り留めたとの情報が入り、ひとまず安心はしたが、この試合で選手生命が絶たれるのかもしれないと思うと胸が張り裂けそうになった。サッカーという運動量が激しいスポーツなのもあるけれ

世界と仲直りしよう。

Sさんと行動していたとき、とある編集の人が近寄ってきて、自社で出版している本を名刺代わりにSさんに渡そうとした。Sさんは受け取らなかった。そしたら、その人はじゃあお前でいいや的な態度でその本を隣にいた私に押し付けた。そして踵を返していった。持て余していたら、Sさんにその本捨てなと言ってもらい、私は新品の本をゴミ箱に放り投げた。途中までだったら傷ついた記憶として残るが、本を捨てたことによって痛みが緩和された。 生きていると傷つく。人の何気ない仕草や言葉に鋭く抉られる。それほど

ブログを書くということについて。

ようやく自力でノートPCを買うに至ったので、基本的に外出して作業する日が多くなった。家にいると落ち着かない。ずっとソワソワする。俺はいったいいつ落ち着いているのだろうかと自問自答してしまう。カフェで集中してブログを書いている最中なんかは幸せなのかもしれないが、二日連続で客が怒鳴り散らすという現場に出くわしてしまい、恐れおののき、ゆっくりできる場所を失ってしまった。しかも別店舗。怖くてもうあの周辺には近寄れない。せめて間を置きたいという気持ちから、今日は自宅待機中である。何も待

ゲーム性のある生活。

「一番好きな野菜はなんですか」と聞かれたら、「新たまねぎです」と答えるかもしれないくらい、今、新たまねぎにハマっている。あの甘みが好き。「二番目に好きな野菜はなんですか」と聞かれたら、「春キャベツです」と答えるかもしれない。あの甘みが好き。甘い野菜が好きなのかもしれない。食の好き嫌いは、人間の好き嫌いと重なっている。私は、人に甘い人が好きなのかもしれない。ブログを書き出してから、体調に気を使うようになった。空腹時に甘い物をいきなり摂取すると、一気に頭がボワッとしてきてブログど