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痛みを笑え。

夜な夜なローソンで買ったアイスコーヒーを飲みながら住宅街の中にいた。とにかく一口目がミョーに美味しかったので、もう一度、同じ体験ができないかと考えた。その時、偶然、目の前に坂が現れた。なるほど。これはチャンス。一気に駆け上り、せいやっと駆け下り、再び駆け上った。運動不足が祟って、一度の往復でぜえぜえはあはあと息を切らす。よっしゃ、これならとアイスコーヒーをストローから一気にゴクッと飲む。驚き。あら不思議。一口目と同じレベルの美味しさが口の中に宿ったのだった。

星のない曇り空を眺めながら思った。人生も同じように永遠と「美味しい一口目」が味わえ続けられたのなら、どんなにいいでしょうと。どの「初」も人生には一度きり。絶妙に面白い海外ドラマを最終回まで駆け抜けた後の喪失感。もう二度とこのドラマを初めて観ることはできない。恋も同じだ。最初のドキドキも、数年も経ってしまえば、愛という聞こえのいいそばかすのような見た目に取って代わる。「お前と駆け抜けた時を忘れない」としみったれた台詞を吐いてニコッと手をつないでオシドリ夫婦になっていくのだ。愛にもまた一口目があるとしたら、一体どこにその瞬間があったのだろう。

毎回、最初の一口感を味わう。初めて飛行機に乗った日。ドキドキした。初めて手をつないだとき。ドキドキした。初めての遊園地。楽しかった。ジェットコースター。ドキドキした。いつだって最初はドキドキする。ドキドキとは緊張感だろう。緊張の一瞬に「お初」が宿る。

逆に考えると、「ああこれが一生続いていくのか」という倦怠感にも似た気持ちは、人からドキドキを奪っていくのだろう。例えば、仕事である。わたくし、生粋の飽き性。またの名を、モチベーションすぐに低下するマン。どんな仕事に就いたとしても、ソッコーでやる気を失う。ああ、これが一生続いていくのか。絶望感が押し寄せ、希望、期待、ワクワクをすべて洗い流していく。残るのは虚無感のみ。いつか仕事ができるようになるんじゃないかと期待はしていた。もう、諦めた。もう、無理だ。

「人と同じ」であることが若い自分にとって一つの物差しであった。みんなと同じことをしていれば、一人にならずに済む。だが、不思議だ。人と同じようにやろうとするほどにどんどん虚しくなっていった。仕事中にする、むさ苦しい男性諸君との会話といえば、大体が下ネタだ。まるでついていけなかった。車の助手席でぼんやりと考え事をしていると、運転席の彼は、「今の見た?」と言ってくる。「何?」と尋ね返すと、「今の娘の脚見た?いい脚してたね」である。反応のしようがなかった。

話したくもない話題の中で、無理矢理、周囲と合わせる。その先には虚しさしかなかった。苦笑いとへつらいばかりであった。いつしかやる気のない人間と見なされていた。運転席の彼の上司の陰口が彼を通して回ってくる。俺に対する実質のクビ宣告だった。自分なりに一生懸命やっていても、いいことなんて一つもなかった。人は言うことがなくなれば、すぐに悪口を言い始める。もしくは下品な下ネタばかりだ。どうせなら、もっと品のある下ネタがよかった。「女性の髪からするいい香りについてどう思う?」みたいな質問のほうがよかった。あれはトリートメントだと思うねとか言いたかった。

一人、夜空を眺めているとハっとさせられる。俺は後ろからついていくだけだったなと。自分で責任を引き受けていなかったから、何も楽しめなかったのだなと。ドキドキとは責任だと思う。人に任せてばかりだと、自分は何も考えなくてもいいから楽だ。でも、楽だと楽しくなかった。楽しいのはドキドキのほうだった。少しの怖さが俺を楽しく震わせた。

人に取ってもらった航空券で沖縄へ飛び立つより、自分で一から調べて、一からスケジュールを組んで、自発的に沖縄へ飛び立ったほうがずっと大変だけど、ずっと記憶には残ったに違いない。お初は一度きりだ。でも、無限にお初はある気がした。アイスコーヒーによるカフェインが効き過ぎて、どうにかなりそうだった。俺は無限のお初の中で生きていきたい。そう思った。

うだるような暑さの中で、小さな冒険を繰り出したい。拷問のような破壊的な痛みではなく、プチプチが潰れていくような、小さな痛みの連続の中を生きるのもいい。生きているとズキュンと撃ち抜かれるような喜びもあれば、ズキャンと打ち砕かれるような痛みもある。でも、どちらも同じ痛みだ。実は痛みってそんなに悪くないのかもしれない。痛みこそがお初であり、お初こそがドキドキだ。自発的に行動し、すべての責任を引き受けた上での結果だけが自分を高みへ連れて行ってくれるものだとそう俺はそう思う。

後からついていくだけじゃ、何も身に付かない。今、始めよう。最初の一歩を踏み出そう。小さな一歩一歩だけが自分を作る。俺はこっちだ。どんなに世間様からは小さな一歩に見えても俺はこっちから踏み出す。バカだけど、バカなりに始める。ヨロシクゥ。

苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる。