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忘れ物したことさえ忘れていく

梅雨入りと同時にまるで文章が書けなくなった。完全にポンコツ化した。それでも暇なので今日も向かい合っている。大声を出したい気分。でも、ベランだから「バカヤロー!」なんて叫んだら、通報されるのが目に見えているのでやめる。先日、彼女とケンカしてしまった。仲直りだけは早いという特徴が私にはあるので、その日でモヤモヤは雲散霧消させられる。不機嫌はなんて暴力性があるのだろうと思う。いかにして自分自身と仲直りするかというか、どのようにして自分の機嫌を取るかに全てが懸かっている気がする。

すこぶる単純な人間なので、ビール缶を開けたときのプシュッという音だけで調子が良くなってくる。生まれてきたことを祝うこと。それを言い訳に毎日のようにグビグビと酒を飲んでいる。キッチンでボーッと体育座りをしながら電子レンジを眺めていたら、「とりけし」というボタンが目に入った。日々の失敗も簡単に取り消せたらいいのになあと思った。取り消せないからこその面白味があるんだ。視線を下にずらしたら、お次は炊飯器の「おいそぎ」ボタンが目に入った。これ以上、何を急ぐ必要があるのだよと思った。

大人になるにつれ、尋常じゃないスピード感で日々が過ぎていく。スーパーにいたら、天井から広告が吊り下げらていて、「時短」という言葉が目に入った。「時短営業をアピールする必要があるの」と思ってよく見てみたら、「冷凍食品で時短」的な意味だったらしく早とちりした。時短したところで余った時間を暇つぶしに使うことになる俺にとっては時短よりも必要なものがある気がした。はあ。「ため息の数だけ強くなれるよ」という歌詞でも書いて誰かに歌ってほしいよ。二層式洗濯機の中を回る衣服を見つめている。

いっそ冷凍庫の中で冬眠してしまいたいとか、掃除機の彼方へ吸い込まれてしまいたいとか、生きていると色々と心をまくし立てる感情がある。生きることだけはおやすみできない。サッポロ黒ラベルのパッケージに見入っていたら、「丸くなるな、星になれ。」と書かれていて、「うん、星になりたいよ」と思った。このご時世の影響なのか以前にも増して、嬉しいニュースがめっきり入ってこなくなった。大抵、テンションを下げる。醤油の液だれくらいテンションを下げてくる。どう生きていけばいいのかわからずにいる。

内面を変えようとしても上手くいかないが、行動を変えることならできる。行動を変えることによって、思考も変わり、結果的に内面も変わる気がしている。こんな自分でも、「みっつさんと話せて光栄です」と言っていただいたり、はじめましての人に会った瞬間に号泣されたり、公園を散歩していたらファンですと声をかけられて握手を求められたり。有名でも何でもないのに、時折、信じられないような出来事が起こる。「うそだぁ~またまた~」と平静を装うものの後から嬉しくなってきて、その記憶に頼ったりもする。

あの一言が嬉しかったとか、そういう思い出は誰しもあるのではないかなと思う。自分が辛くなったときに背中を押してくれる記憶というか。行動し、出会っていなかったら、嬉しくなるような言葉とも出会えていない。人を避けるのは、人とぶつかるよりも簡単だと思う。経験の数は大事だなと思う。経験値が少ないときに失敗したり傷ついたりすると、一個の記憶のインパクトが強くて、再スタートするのに時間がかかるイメージがある。経験を重ねていくと、一個一個の記憶は薄まる代わりに、動き出すスピードが上がる。

誰とでも仲良くしたいとは思う。でも、できない。グループの輪の中に入っても、話す言葉が見つからずに居心地の悪い思いをする。場のノリに合わせられず、気付いたら、一人で空を見上げていることもしばしば。人が嫌いなんじゃない。自然と遠ざかってしまうのだ。仲良くしないのではなく、仲良くできない。一人になっている光景はまるで距離を取っているかのように映るのかもしれないけれど、そうじゃない。本当は寂しいのに、場に加われない。一人になろうとしているのではなくて、一人になってしまうのである。

苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる。