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世界と仲直りしよう。

Sさんと行動していたとき、とある編集の人が近寄ってきて、自社で出版している本を名刺代わりにSさんに渡そうとした。Sさんは受け取らなかった。そしたら、その人はじゃあお前でいいや的な態度でその本を隣にいた私に押し付けた。そして踵を返していった。持て余していたら、Sさんにその本捨てなと言ってもらい、私は新品の本をゴミ箱に放り投げた。途中までだったら傷ついた記憶として残るが、本を捨てたことによって痛みが緩和された。

生きていると傷つく。人の何気ない仕草や言葉に鋭く抉られる。それほど多くの人とは関わりのない生き方なのに、それなりに傷つく。人間関係の真っ只中に生きている人たちは、どうやって傷を癒やしているのだろう。自分だったら、回復スピードが追いつかないと思う。でも、痛い目に遭う中で、一つ学んだ。傷ついたら「傷ついた」と言うこと。嫌だったら「嫌です」と言うこと。自分が想像していたより、受け入れてもらえることが多い。

傷を傷のままにしておくと、どんどん腐食していく。新鮮だった傷はやがて恨みや憎しみに変わっていて、元の原因がなんだったのかさえ忘れていく。「即座に成仏」が合言葉だ。古傷になる前に反応できるのかの勝負。足の小指をぶつけると、「イタッ!」ってなる。そのくらいの反応スピードで、痛かったら、「痛いんですけど!」と言えたらいいなと思う。人のせいにするより、いかに傷をものにするかだと思う。ものにできたら強くなる。

ゆるやかに死んでいく日常の中で。

どこにいても息苦しいのに、ついにマスクで口まで塞がれてしまった。目しかない時代の到来である。マスクをしていない人の顔をつい見てしまう。「顔だ!」と思って見てしまうのである。ドンキにいたら、マスクなし超美人がいた。モデルかアイドルかと思ったが、最初に思ったのは、「お前、顔見せたいだけやんけ!」。今、マスクで顔を隠せるので整形手術が流行っているらしい。整形というのはつまり見せたくなる顔になるということだ。見せたくなる顔を持っている人にとってはマスクは邪魔なのである。

見せたくなる顔に生まれたかった。でも、思う。女性は大変だ。ナンパに遭って不快だった、痴漢に遭ったと死ぬほど多くの被害情報が入ってくる。男の自分は、本当にまるでそういう被害に一ミリも遭ったことがない。今ではリアルだけでなくSNSにも通り魔が多発している。有名税が高く付きすぎだ。相当数の人がネットにつながったことによる弊害。身近な人からの愛より、遠くに生きている人からの認知のほうが優先される。コミュニケーションが最大の価値を持っている。そりゃ疲れるよなと思う。

電車に乗れば、みんな目が死んでいる。でも、思う。実はみんな目を殺したいのではないか。お、つながった。目しかない時代である。もう、何も見たくなくなってきているのではないか。「みんなと同じ」は楽なようでしんどい。一昔前、ネットにつながっていればオタク扱いだった。しかし、この世からオタクは消えた。スマホ依存症という言葉があったが、みんなが依存症になれば、それは正常になる。口呼吸がしたい。深呼吸がしたい。このままじゃ緩やかに死に向かっていくだけだ。

自分への疑いを捨てて。

不思議だ。人生を振り返ると、常に逆を行っているような気にさせられる。外に出る理由がなくて、家に閉じこもっていたときは外に出ないというだけでバカにされているような気分だった。今は逆だ。ようやく外での楽しみ方がわかってきたと思ったら、疫病蔓延である。外で遊んでいるだけで変人扱いされそうな気がする。いつも、そんな「気がする」。気がする人生だ。違和感を言葉にしただけで、なにか危険な人と思われそう。空気を読みすぎて呼吸を忘れた。

たまに自分のことをハエかと思うときがある。ハエたたきでバシッと叩かれたかのように痛みを感じるときがある。物事に得手不得手があるように、生き方にも向き不向きがあるように思えてくる。それは、俺が世界の広さを知らないからだろうか。思う。世界と仲直りしたいと。ケンカしたままでいると辛い。仲直りすると心が楽になる。その繰り返しの中で、誰とケンカしているのかわかった。世界とケンカしたままでいる。安心できる場所(人)があると、人は何度でもやり直せる。

世界と仲直りしたくて、それで身近に仲裁してくれる人がいて。もう、自分のことを疑わなくてもいいよ。君がやると決めたならやりなよ。誰も邪魔しないよ。もし、邪魔されたら、目をつけられたところからスタートだと思おうよ。遅くないよ。俺は、人生は40からスタートだと思うようにしてるよ。ねえ、知ってるかい。今の日本は40でも若いほうらしいぜ。人と違う道を歩くのは大変だ。周囲が結婚するから結婚するんじゃなくて、自分がどうしたいかなんだぜ。

苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる。