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「西洋ファンタジー」はどこから来たのか

(以前卒業論文として書いたものを加筆・修正したものです。ゲームをしない人向けの内容がベースなので説明が少しくどいかもしれません。)

(2019/02/13: 期間や調査不足などの理由で日本国内での卓上RPGの拡散などの内容を入れる事ができませんでした。今後そこを含めた改訂版を出す事ができればいいなと思っています)
(2019/11/14: また気が向いたら…ね)
2021/02/27:完成しました 元々人気記事で、新しい記事でカバーしていない部分もあるのでこっちも一応残しておきます)

1.イントロダクション
 私はコンピュータゲームに大きな関心をもってきた。自身でゲームをすることも多いし、ゲームについて考えることも多い。そのうち、ゲームもまた、文化的な意味合いを色濃く反映した媒体であると認識するようになった。
 特に、英語を専門的に学び、西洋文化についての知識が増えるにしたがって、わが国で広くプレイされてきたゲームのあり方や、国内の文化が西洋文化から受けた影響の来歴に関心を持つようになった。
 その中の一つとして、2000年代後半から2010年代前半にかけて欧米圏の作品がより日本で浸透していく中で、作品を楽しむ人々が、日本国内のいわゆる「西洋ファンタジー」にはクリシェ(決まりった表現形式)が多すぎるのではないか、何故欧米圏で日本のコンピューターRPGが好まれないのか(今となってはそうでもないのだが)といった論議に関して、考えるようになった。また、昨今の中高生層に人気のある「西洋ファンタジー」系世界観の小説・漫画に関する傾向の指摘や自ら抱いた疑問を元に、日本における「西洋ファンタジー」のあり方を考えるようになった。
 この疑問に関して、いくつか例を挙げてみよう。小説「この素晴らしい世界に祝福を!」(角川スニーカー文庫、2013年、表紙写真)では、主役級の登場人物として「アクア」という女神(写真画面右)が登場する。本作においては、キャラクター毎に「クラス」と呼ばれる分類がなされ、アクアは「アーチプリースト」という種類にあたる。ここで一つ疑問が出てくる。「アーチプリースト(archpriest)」とは本来「司祭長」の意味であり、神を信仰する立場にあるはずである。「信仰される側」であるはずの神が「司祭」であるという、奇妙な現象である。
 こういった疑問はやがて、私の日本における「西洋ファンタジー」の歴史に関する「クエスト」(探索)へと変わっていったのである。

2.「西洋ファンタジー」
 そもそも「西洋ファンタジー」とはどのように定義されるのか。一般に「西洋ファンタジー」、「中世ファンタジー」と言われれば、日本人なら今我々の暮らしている世界とは異なり、外見上文明の発達度合いは中世程度で(作品によっては一部の技術が魔法などの要因により発達している事がある。また、下水道などのライフライン的なインフラの整備に関しては現代に近いか、あるいは触れられない事が多い。)、ドイツ・バイエルン地方にあるノイシュヴァンシュタイン城のような城や、その周囲に城下町が広がっている光景、山にはドラゴン、洞窟にはゴブリン、森にはエルフやオーク、獣と人を掛け合わせた生物などのような幻想生物が暮らしていたり、あるいは一部の幻想生物が人間に近い種として人間と共存ないし対立していたりする様子、神秘に触れ魔法を追及する者たち、悪魔やそれに連なる者に脅かされる世界などといったものが思い出されるだろう。
 しかし、歴史上のヨーロッパの神話や文学作品、あるいは現代の文学作品などを探しても、部分的に一致するものこそあれど、著者の知る限り、明確にこれこそが起源であると言えるものは見つからない。そうなれば、何をもとにしてどこから日本国内でこのような西洋ファンタジー的な世界観がポピュラー化し、どのように変化を遂げたのかを辿る必要がある。
 それでは、このような「西洋ファンタジー」の描き方、捉え方の源泉を探っていきたい。

3.RPG、そして日本における西洋ファンタジーの歴史
3.0.戦後の日本とディズニー

 日本における西洋ファンタジーの歴史を辿ると、それが初めて市民権を得たと言えるのは1950年代、太平洋戦争後、アメリカGHQによる統治の時代に持ち込まれた作品だろう。中でも、「シンデレラ」、「眠れる森の美女」、「不思議の国のアリス」など、欧米圏で知られていた物語を原作とした映画は大きな文化的な壁を隔てた日本でも人気を集めた。日本における西洋の「王侯貴族像」が定着したのはこういった作品、特に「シンデレラ」の衣装は(17世紀中~後期をモデルとしていて、世界観の主な原型となる事の多い中世ヨーロッパから比較的離れているにも関わらず)その後の日本に極めて強い影響を与えている。明確にこれといった作品名を挙げられるわけではないが、西洋のドラゴンや騎士のようなイメージも一般化したと思われ、「白馬に乗った王子様」のような表現が誕生したのもこの時期と考えられる。
そういった作品が半ば時代劇などのような見方をされていた欧米圏を離れ、文化的背景の薄い世界で、ほぼ「異世界」のような扱いで西洋ファンタジーは受け入れられていったと考えられる。
 これ以降に発生した日本における西洋ファンタジー観の変化に関しては、70年代~80年代の「RPG」の浸透を待つ事になる。

3.1.RPGの黎明 Dungeons & Dragons
 RPGの源流を辿ると、卓上での対話を通して進める形式の、和製英語では「TRPG(テーブルトークRPG)」とも呼ばれる非電子的なRPGに行き着く。無論「ロールプレイ」という活動そのものは、演劇など、人類史において普遍的に行われてきたが、「Dungeons & Dragons」(1974年、以下D&D)はそれをゲーム化し、パッケージ化された「RPG」の開祖と言える。卓上のRPGにおいては、ゲームマスター(GM)がシナリオを設定し、プレイヤー側は口頭で行動を伝え、ゲームを進行させていく。また、そこでのやり取りをスムーズにするために、数字などのデータを用いることになる。そして、そのプレイヤーが使用するキャラクターの能力の制限や、能力を示す値の基準などはルールブックによって定められている。
 このような制限や能力値などを記録するため、ゲームを始める際に、プレイヤーは「キャラクターシート」と呼ばれる(上図は現行版のD&Dのキャラクターシート)能力の一覧をまとめた用紙にキャラクターの能力や来歴を書き込み、それに基づいてゲームを進行していく。キャラクターを作成する際、たいていの場合、プレイヤーはクラス、すなわち職業や、「薬学」や「解錠」といった能力などをルールブックに沿って選んでいく(作品によっては内容の詳細が異なる場合もある)。
 セッション(卓上RPGにおける一回のプレイ)によって体験する物語は異なるが、典型的なものとして、常人には手の出せないようなダンジョン(dungeon、原義は「地下牢」、RPGでは遺跡や洞窟などに対しても使われる)に挑み、秘宝などを持ち帰るというものがある。また、このジャンルのゲームは、性質上GM以外に複数人のプレイヤーが存在する事が推奨され、プレイヤーのキャラクターは集団(party)で行動することになる。
 また、セッションの中で、プレイヤーのキャラクターは様々な困難を乗り越える度に、経験を表す値(experience point)を得て、それが一定の値に到達するとレベル(level、階級)が上がる。これは熟練度合いなどの指標であり、そのレベルによって新たな技能の修得や能力値への加点につながる。
 D&Dでは、D&Dそのものは物語を作り、体験するための基盤であるという姿勢を保ち、物語における世界観は一定にせず、GMに委ねる事が多い。そのため、ルールブックに用意されるサンプルの怪物や秘宝の類は、世界各国の神話・伝承を由来としたものや、「光線を放つ目玉の怪物」などのような比較的単純なものが多い。いわば本場インドの緻密なスパイスの調合から生まれる料理に対して、植民地でその一つ「ガラム・マサラ」を見てイギリス人が創り出した簡略版の「カレー粉」のようなものである。


3.2.パーソナル・コンピューターの誕生
 Apple社のパーソナル・コンピューター(以下PC)が普及していく中で、コンピューター上のゲームも出現していった。その中には、選択肢や行動を選んで物語を進めていく「アドベンチャーゲーム」というジャンルがあり、そこからさらに派生して「Wizardry」(下図)や「Ultima」(左図)(共に1981年)の様に、D&Dのゲームプレイ要素をコンピューターゲームに取り込んだものも誕生した。
 こういったコンピューターRPGでは、当時のPCの処理能力や技術面の関係上、「ダンジョン」、「パーティ」、「経験値」など、D&Dの面影こそあれど、物によっては内容が極力単純化されており、経験値を戦闘に勝利する度に得られたり、魔法を使うための制限がポイント=MP(Magic PowerないしMagic Point)制になっていたり、戦闘そのものが「敏捷性」などの能力値に基づいて順番(ターン)で行動するようになっていたりする。
 また、コンピューターである以上、会話や筋書き、プレイヤーの取る行動などはあらかじめプログラムされたものでなければならない。この時点で、物語を体験するという側面こそ残ってはいるものの、「登場人物になりきるゲーム」、すなわちRPGというジャンルの根本から少しずつ離れたものに変容していったと言えるのかもしれない。

3.3.ドラゴンクエストの誕生
 それ以前からPCゲーム・卓上の双方で日本にRPGを持ち込もうとする試みはあったものの、日本国内でのRPGがポピュラー化したと言えるのは、エニックス(現スクウェア・エニックス)の「ドラゴンクエスト」(1986年)を待たなければならない。1983年に誕生し、日本を席巻していた任天堂のファミリーコンピュータ(以下「ファミコン」)。そのファミコン用ソフトとして、欧米圏で人気を博していたコンピューターRPGを、日本向けに独自に作り上げたのが本作である。
 プレイヤーは伝説の勇者「ロト」の血をひく者として、「竜王」から「アレフガルド」と呼ばれる世界を救うというストーリーである。ゲームの中で、プレイヤーは各地を旅し、経験(ゲーム中では「経験値」として数値化されている)を積んで強くなり(「レベル」の数値によって示される)、やがては最後の敵である「竜王」を討ち果たすことになる。
 本作はキャラクターデザインに漫画「ドラゴンボール」や「Dr.スランプ」で知られる作家、鳥山明氏を起用し、日本人に馴染みのある画風を取り入れた他、D&D等ではキャラクターそのものの死=消滅に繋がっていたような、プレイヤーが戦いに敗れた時のペナルティを、所持金半減や最後に利用した拠点への強制送還程度にとどめるなど、日本的、なおかつ極めてカジュアルな味付けがされている。一部の物好きが好き好んで遊ぶゲームとしての立ち位置に甘んじていた「RPG」の日本での人気の火付け役と断定できる存在であり、1988年に発売された「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」では発売当日に全国各地の取り扱い店に長蛇の列ができる程の社会現象となった。

「ドラゴンクエスト」の後を追う形で1987年にはスクウェア(現スクウェア・エニックス)から「ファイナルファンタジー」が発売された。こちらはD&Dに存在していた「クラス制」を導入し、4人のキャラクターに「ジョブ」(本作におけるクラス)を割り振り、ゲーム中そのクラスの組みわせでプレイする。こちらは、パラケルススの提後合唱した四大元素(火・水・空気・地)に対応するクリスタルが物語に関わってくる他、バビロニア神話の水の女神「ティアマト」の名を冠するドラゴンのようなD&D独自であった要素が多数登場する(盲目気味に引用したためか、一部はに訴訟沙汰にもなっている)など、他の面でもよりD&D方面の影響を色濃く受けている。
「ドラゴンクエスト」、「ファイナルファンタジー」共に卓上RPGなどにあったステータスの割り振りなどは無く、クラス1つに対して使用できる技能は一定のレベルに到達する毎に修得する技能のリスト1つだけである。
 こうしてRPGは、西洋の文化的背景から切り離されたまま見様見真似で作られ、そこに描かれるまま受け入れられ、それと同時に、ディズニー映画などのような既存のイメージとも混じり合い、現在の「西洋ファンタジー」のイメージの大枠が築きあげられたと考えられる。

3.4.「日本式RPG」の確立
 「ドラゴンクエスト」から始まった日本国内におけるRPGの様相も、時代を経るにつれて変化し始める。言語学者・池上嘉彦の言葉を借りるなら「する的」とも言える「舞台に立つ」ような視点を好む欧米の主観的な文化的背景から離れ、日本の「なる的」、「観客席から舞台を見る」ような俯瞰的な視点を好む文化の中で、英語から一文字も変わらず輸入された「RPG」という言葉は本来の意味をほぼ失い、RPGから受け継がれた「主人公=プレイヤー」という図式、そしてそのために用意されたプレイヤーが名前を決めることができる無個性な主人公という形式から離れ始めたことに加えて、卓上RPGにおいてはキャラクターのとることのできる行動とバックストーリーを決める手段に過ぎなかったクラス(職業)制もゲームプレイ上の要素としてだけみなされ、変化を遂げていく。
 「ファイナルファンタジー」で日本に持ち込まれたクラス制は先述の「ドラゴンクエストIII」にも「職業」という形で登場する。本作では「ダーマ神殿」と呼ばれる場所で申請を行うだけで簡単に「転職」を行うことができる。これはそれまでにキャラクターが修得していた他の職の技能とそれまでの能力値の一部を引き継いだまま、レベル1の他の職になることができるというものである。
 ここで思い出したいこととして、本来RPGは「なりきるためのゲーム」であり、「世界を体験する」ゲームである。現実的な考え方では転職というものはそうそうできるものではない。例えば、神に忠誠を誓った僧侶が何のきっかけも無く簡単に盗人になれるだろうか。キャラクターの背景と密接に関わるものであったはずの「職業」は、ゲーム的な考え方の下に物語から切り離されたのである。
 一方キャラクター面で言えば、「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」の頃には単に「選ばれし勇者」などのような必要最低限のバックストーリーだけで、後はプレイヤーの想像に任せる部分が強かったが、技術の進歩に伴い、キャラクターの持つ背景が描かれる量は増えていき、1990年代、ファミコンの次世代機「スーパーファミコン」の時代には群像劇形式の「ファイナルファンタジーVI」(1994年)や、アニメ的要素を多く取り入れた「テイルズオブファンタジア」(1995年)など、主人公に明確な名前やキャラクター性を持たせた、物語性の強い作品が現れるようになった。こういった作品では先述のクラス制で生まれた「戦士」(前方に立って戦い味方を守る)、「魔法使い」(耐久力は低いが遠距離で威力のある攻撃ができる)、「僧侶」(治療用の魔法ないし天から賜った奇跡で味方を支援する)といった典型はキャラクターの持つ属性として、プレイヤーが使用するキャラクターそれぞれに割り当てられている。
 このような観察から、RPGは本来持っていた文化的背景を失った中で、日本独自のものになっていった事がわかるだろう。
 こういった作品群は度々欧米圏にも輸出され、その定義こそ曖昧なものの、日本的な独自性を持つRPGとして「JRPG」という言葉も生まれるようになった。
 一方、1990年代には、「魔術師オーフェン」や「スレイヤーズ」に代表されるような、既存のRPGとの関連性を持たないオリジナルの「西洋ファンタジー」の漫画・小説も登場するようになり、RPG的な「西洋ファンタジー」が広く受け入れられる典型として受け入れられている事がわかる。

4.「RPG小説」― ゲームと物語の逆転現象
 2000年代も中盤になると、「ケータイ小説」などに代表されるように、インターネットの発達に伴い、個人で制作された小説のような作品が公開されることも多くなった。その中で、特に2010年代から目立つようになったのが、先述のRPGのような作品で育ってきた世代の書く作品である。また、こういった若い世代は、あまり堅苦しい印象のある小説を読まず、漫画・アニメを中心に作風を吸収して来た背景もあり、伝統的な小説の文体などから大きく外れた作風のものが多い。
 こういった作品群に多く見られるのが、それまでの作品のトレンドであった「新世紀エヴァンゲリオン」などに代表される「セカイ系」、すなわち少年・少女が世界の命運をかけた戦いに挑み成長する、挫折する、最悪救えないまま人類が全滅するというような物語構造に対するアンチテーゼとして、主人公が(既に経験を積んでいる、天賦の才、与えられた能力などのような理由で)最初から一定以上の強さを持つというスタイルの作品であり、その中でも一際目立つのが「異世界転生」、現代世界で何らかの理由で(不運な事故などが多い)死んでしまった主人公が「異世界」に蘇り、その際に与えられた能力、あるいは現代人の知識を生かして活躍する、というものである。そしてこの「異世界」として選ばれる事が多いのが、典型的な「西洋ファンタジー」の世界観である(「この素晴らしい世界に祝福を!」、「Re:ゼロから始める異世界生活」などに代表される)。
 日本において、西洋圏をモデルとした「西洋ファンタジー」の世界観は、日・中・韓の時代もののような、歴史的・文化的源流としての親近感が無く、それでいて例えばインド、中東、あるいは完全に独自の仮想世界のように必要以上にエキゾチックでも無く、なおかつ東南アジア、オセアニア、アフリカほど非文明的でもない、非常に「ちょうどいい」世界観としての立ち位置を確立していたのではないだろうか。その上で、主人公など、登場人物の強さを表すわかりやすい指標として、「レベル」、「クラス」、「MP」のようなRPGにおけるゲーム的な概念、それ以外にも使える魔法などが天賦の才によるものであったり、魔法に対して厳密な系統分けが存在するような、いかにもゲーム的な設定をタイトルや内容に用いているのである。
 これ自体には何の問題もないように見えるが、こういった作品の多くはプロの手が入っていないアマチュア的な作品であるために、明確で論理的な理由付けなどによる説得力のある要素も無いまま、ただわかりやすい形であるという理由だけで、周りを固めないまま組み込まれていると思われる設定も多い。例えば、飛行船や空を飛ぶドラゴンが度々現れる世界観でありながら、城は映画「シンデレラ」などに見られるような形のままで、防空設備の跡も無い状態であったり、そこまで厳密である必要性が無いにも関わらず扱える魔法に魔力の消費量などの概念を取り込んでいる、などがこれにあたる。無論、時代と共に生まれたコンピューターRPG的ステレオタイプ(ゲーム序盤の地域の敵だけ倒してレベル上限、エンディングを迎えた後直前の記録地点まで戻される、など)に切り込む形で(元々RPGであるという前提を取る形で)裏付けを行う(ネット掲示板出身の作品に多く見られる)、「異世界転生」の典型でありながら徹底的に内容が練りこまれているというような作品も少なからず存在しているが、やはり大衆的な、特に主な読者層である中高生層の人気を得るのはより単純で直球勝負的な作品である。

5.日本のゲーム文化における欧米圏の文化的要素の現在
 一方で、インターネットの発達に伴い、世界中を、特に言語の壁を越えて伝わる情報の速度が速くなり、ニッチ層が距離を越えて集まりやすくなっていく中で、欧米圏の作品が持つ影響力も日に日に増している。日本では無名同然であった「アイアンマン」や「マイティ・ソー」、「ワンダーウーマン」のようなアメリカ発のスーパーヒーローのポスターが、「日本人にはわかりにくいだろう」と思われて新しい名前を与えられる事なく映画館に堂々と張り出され、10年前には日本だけ乗り遅れていたはずのeスポーツを今では日本のメディアが取り上げるようになっている。
 そんな中で、欧米のコンピューターRPG、あるいは厳密にはRPGではないものの、そういった文脈の上にあると言える作品もまた、日本で受け入れられるようになってきている。2000年代半ばには現代アメリカのギャングを題材としたRockstar Gamesの「Grand Theft Auto」シリーズが日本で発売されファン層を獲得、2011年、Bethesda Softworksから発売された人気RPGシリーズの最新作「The Elder Scrolls V: Skyrim」ではシリーズで初めて吹き替え・文章が全て日本語に対応されるようになり、また、2018年末には同名の小説を原作とした「Witcher」シリーズの主人公・ゲラルトが日本の対戦格闘ゲーム「ソウルキャリバー6」にゲストとして登場するなど、10年、20年前では考えられない程の影響力の広がりを見せている。
 こういった欧米圏の、主観的な文化的背景の中で発展したゲームは、本来「Role-Playing Game」という言葉が持っていた方向性のまま、「世界観・物語を自分で体験する」という性質を突き詰めており、2000年代には3D描写の発達を機に、オープンワールド(広い世界を物語の進行などに縛られず、おおむね自由に移動できる)を取り入れた事を機に大きく発展している。こういった作品が日本国内でも人気を集めるようになると、「ドラゴンズドグマ」(2012年、カプコン)「ファイナルファンタジー15」(スクウェア・エニックス、2016年)、「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」(2017年、任天堂)といった国内の大手ソフトメーカーからもオープンワールドを取り入れた作品が目立つようになった。
 逆に、D&Dの持っていた「危険なダンジョンを探索して敵を倒す、あるいは秘宝を持ち帰る」ような側面を取り上げたものは、戦闘を重視した「ハック&スラッシュ」や、「ローグライク」(ジャンルの開祖「Rogue(ローグ)」を名前の由来とし、ダンジョンがランダムに生成され、毎回異なる冒険が楽しめる)といったサブジャンルのゲームとなり、こちらも1990年代~2000年代にかけて日本でも浸透、国産の作品も登場し、親しまれている。
反対に、欧米圏では2000年代辺りからJRPGを好むニッチ層が次第に規模を増すようになり、日本のアニメ・漫画への注目が集まると共に、ゲームの影響も現れている。特に、個人規模制作(インディーズ)の世界では、その開発のしやすさから、JRPG的性質の強い作品も度々見られる。代表例としては、JRPGをはじめとする様々な日本の作品に極めて強い影響を受け、個人製作から伝説的ヒット作となった「UNDERTALE」(2015年)が挙げられるだろう。

6.考察
 ここまでの流れで明らかになったのは、日本のゲームやアニメ、漫画、小説といった媒体における「西洋ファンタジー」と呼ばれる世界観がどのようなものか、それがどのように機能しているか、そして媒体、そして文化の壁というフィルターを通して表面的な物だけが日本に受け入れられ、変化していったのか、ということである。その過程で、西洋の歴史的・文化的背景と必ずしも合致しない形での発達が可能となってきたということを主張してきた。この事は、世界観上での「魔法」の性質の変化やキャラクターがもつ職業的な役割の形骸化と矛盾などが自然な形で受容されていることに見ることができる。
 ここでひとつの疑問が思い浮かぶ。このような西洋ファンタジーの「日本化」が進み独自の進化を遂げたのと同じようなプロセスが、西洋、ことにアメリカ文化における日本文化の「西洋化」において同様にみられるのかどうかということだが、単刀直入に言ってしまえばNOである。
 ひとつ例を挙げると、筆者の指導教授が若い頃、アメリカの小学校で日本の文化を伝える授業を行った時、「日本にまだニンジャはいるのか?」「ニンジャは給料がいいのか?」などといった質問責めに遭ったという。こういった系統の話を度々目にする、耳にする事もあるだろうが、果たしてこれの逆、例えば日本人の小学生が欧米の人に対して「おじさんの国に騎士はまだいるの?」などような質問が起きるだろうか?無論これもNOである。
 「007は二度死ぬ」や「ラスト・サムライ」など、欧米圏で忍者・侍のような要素が描かれる際、あくまで歴史的、現代と地続きの存在であるかのような捉え方をしているのに対し、日本で西洋史的な要素を描く際、あまり歴史的背景を鑑みず、現代世界からは独立した完全な創作上の「異世界」的な見方がされる事が多い(むしろ日本史内でもこの傾向が見られる事がある)。やはりこれも欧米と日本それぞれの俯瞰的・主観的な文化的背景の違いから来ているものと考えられる。

7.結論
 ここでは西洋圏の伝承から創作作品を通じ、そのごく一部にすぎないディズニー映画や「Dungeons & Dragons」といういわば「カレー粉」をベースに、日本史すらも自分たちの世界と直結する視点を持たない俯瞰的な文化的背景の下、それがどのように分岐・発達したのかを見てきた。
 具体的には、次のような主張をしてきた。まず、いわゆる「西洋ファンタジー」と呼ぶことができる日本における世界観的典型は中世ヨーロッパの歴史や欧米における認識と傾向が大きく異なること、そして昨今の該当する人気の作品はわかりやすい典型に頼りすぎていて世界観に対する思慮が弱い点が目立つ事を示した。
 次に、その理由を明らかにするため、西洋において従来から存在した「卓上RPG」がコンピューターの進化と共にデジタル化し、そして日本における家庭用ゲーム機の発達の中で日本独自のものが創り出され、日本のビデオゲームの世界における定番のジャンルとして定着し、さらに文化的背景を踏まえて日本的な進化を遂げるまでの様子を示した。
 この日本国外、しかも遠く離れた欧米圏をモデルとしながら、高い認知度を誇り、国民的人気を持つ「西洋ファンタジー」典型の発展・浸透の経緯の研究を通し、日本の文化的背景の特異性、その欧米圏との違いに対する認知が深まれば幸いである。

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