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子なしの私が『母親になって後悔してる』を読んでみた

今回は、1年前くらいに読んだ本、『母親になって後悔してる』オルナ・ドナート著についての感想です。
世界中で話題になった本の日本語版。今話題のイスラエルという国の社会学者が書いた本です。

私はまずタイトルを見て「えっ!?」て衝撃を受けました。
世の中にはキラキラした子育ての情報が溢れている中でとても異色なタイトルですが、私はここには真実が書いてありそうだと思いました。

本を読むまでは知りませんでしたが、イスラエルという国は、日本以上に子供を産むことを激励(強迫)されているんだと思いました。イスラエルでは一人の女性が平均3人の子供を産むそうです。
多くの女性が、女として生まれたからには子供を産む将来を思い描いているものだという社会的な圧力。一人産んだらもう一人はいつ産むの?と当然のように期待される環境。そしてひとたび母親になったからには、子供を持ったことに対して後悔するなどあってはならないという暗黙の了解。

このような雰囲気は日本にもありますよね。

そんななかで、著者が子供を産んだことを後悔しているという23人の母親に聞いた話をまとめています。

この女性たちは、心の中に「母親になることがどういうことか分かっていたら、子供を産まなかった」という後悔を宿しています。

この本の中で私が気になったのは、子供を持つ隠された理由について言及されているところです。
そこには子供を持つこととは、社会に居場所がないと感じていた自分に居場所ができるということだと言っています。

「子どもがいれば、たとえ他の面で社会からはみだしていたり少数派であったりしてもーある程度の仲間入りができて、人生が楽になるのです。」
(中略)孤独や退屈を乗り越えたいという願いから、または人生にもっと重要性と意味を与えたくて、母になろうとする女性もいるのだろう。

『母親になって後悔してる』

実はそういう人は多いのでは?と思うんです。
自分の人生が詰まってしまったから、子供を産むことで社会的な居場所や、母親という栄誉を手にしたいという考え。

というのも、以前の職場の先輩で子供を作ろうとしている人がいまして、その人が言うには「子育てによって成長できる。人として完成できる。」みたいなことを言っていました。
また、負けず嫌いな別の知人が「子どもがいないと馬鹿にされる。下に見られる。」と言って子供を産んでいたのを思い出しました。
当時は驚きましたが、子供を持つことで自分の地位を上げたいという願望を持つ人もいるんだなぁと思いました。
ママタレとかもそんな感じがします。名前を聞かなくなっていたのに、ママになって再注目されている人もちらほらいますよね。

子なしの私としても、以前は子供を産み育てることに何か崇高なプロジェクト感を持っていました。しかし今はそれは社会が私たちに見せていた幻のようなものだと感じています。
その幻のせいで、多くの女性は子供を産むという人生しか考えられなくなっているようにも思いますし、結果的に子どものいない女性が生き辛さを感じる原因にもなっていると思います。

また、本の中には母として祖母として生きることがまるで芝居のようだと感じている人もいます。
自分らしくない時間。これはいつまで続けなければならないのか、と。

ティルザ 2人の子供の母。1人は30~34歳、もう一人は35~39歳。祖母。
私は世話を焼いています。電話をしたり心配したり、もちろん気にかけてますよ。質問をし、関心を持ち、訪ねて行ったり、休暇に招いたりして、家族らしいことをします。お芝居みたいにーーでも、〔自分〕らしくないし、自分に関連付けができないのです。孫に会いに行き関わりを持ちますが、実はあまり興味がありません。自分らしくないことなのです。常に考えています。いつになったら終わるのかしら、ベッドに戻って本を読んだり、素敵な映画を見たり、ラジオの番組をきいたりできるようになるのはいつ?そのほうが私にとっては興味深く、私に合っていて、私らしいのです。

『母親になって後悔してる』

この本を読んで感じたのが、女性には「母親にならない」という選択肢が最初から存在していなかったということ。幼い頃から、子供を産んで育てることを前提に会話が進んでいるんですね。
おかあさんごっことか、お嫁さんになるとか、そういう話はよくされるのに、母親にならないという想定の話は一切出てこない。
だから、生まれた時から選択肢なんてないんですね。
でも、なりたくない人だっている。母親になるつもりはなかったのに、配偶者と結婚したら子供を望まれて、子供を産まないなら離婚するといわれて渋々母親になる。
一度母親になったら、一生母親でなければなりません。もう降りることはできないからです。
そして、理想の母親像というのも決められています。これ以外の母親は良い母とは思われず、社会的に落伍者の烙印を押されてしまいます。
もう、母親になってしまったら、自分の人生を生きられないということに疲れ、絶望している、ということでした。

ただ、みんな「子どもは愛している」と言います。

本当の自分のまま、つまり母親という決められた理想像を演じずに生きられるということと、子供を真っ当に育てるということは、両立することができるでしょうか?
今の社会では難しいと思いますが、すこしずつ変わると良いですね。


ちょっとまとまりのない文章になってしまいましたが、
ここまで読んでいただきありがとうございます。


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