集団行動のうまさと優秀さをごっちゃにして測ることに残酷さを感じる
再テストの採点が終わった。
その結果を科目のリーダーに提出したところ、お互いに空気を読み合うことになった。
再テストを受けた生徒は、限りなく留年に近いギリギリの成績を持っていた。そこで、「授業態度がよかった」という理由によって、なんとか進級できるくらいの成績に調整したのだ。
これがズルなのかそうでないのか、私にはわからない。彼は実際にそこそこいい態度で、積極的に授業を受けていた。テストの点数はごまかしようがないものの、まあギリギリセーフくらいの点数だった。
そして何より、先生たちもできるだけ落第者を出したくないという事実を知った。私はてっきり、教師というのは成績の悪い生徒を甘やかすことを嫌っているものだと思い込んでいた。現実はその逆だった。
とはいえ、落第した者もいる。それは、出席日数が足りないことが原因だ。さすがにその結果を教師たちの話し合いによって調整することはできない。
その生徒は、退学の手続きをすでに済ませていたようだ。私も会ったことのない人だった。
集団行動のうまさと優秀さをごっちゃにして測ることに残酷さを感じる。メインカルチャーに噛み合わなくてもそこそこいい暮らしができる社会であってほしい。