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自己肯定感、高めようとするとアブナイ件。発達障害人は、自己肯定感について考えるのは 今日から やめましょう。

「自己肯定感を高めよう」「ありのままのじぶんを受け入れましょう」そういうきれいな言葉を見ると、思わず目をそむけたくなる。
結論、安易に自己肯定感を上げようとするのは危険ということ。

日本語教師を目指すものとして、「くそくらえ」なんていう汚い言葉、
使ってはいけないのかもしれない。
でもあえていうなら、自己肯定感なんて考えないといけない時点で「くそくらえ」。

ASD、ADHD、
この診断に行きつくまでに、何度彷徨ったことか。

気づけば、いわゆる「自己肯定感を高める」ために、自分を深堀りして
何度辛い思いをしてきたことだろう。

人間にとって、悩むとか、哲学的なことを考えることは、
実は脳みそにとって、とても楽しいものだ。
そのため、一日中「人生って何だろう」と考えているうちに、
ゴロゴロしながら何もしないで一日終わってしまうということを、実は多くの人間がやっている。

危険なのは、発達障害のある人間にとって、
自己肯定感云々を考えることは、
それ自体が、
ただでさえベースが自己肯定感低く生きているものにとっては、
とてもつらい事だったりする。

なぜなら、自己肯定感=高くなければいけないもの、ように脅迫されているような気持ちになるからだ。

そもそも、この世に「人間」として生まれてこなければ、自己肯定感なんて考える必要もなかった。

他の動物は、自分がこの世に生きていていい存在かどうか、価値のある存在かどうかなんて考えない。生きるのに必死で、自分が存在する意義なんて考えるように作られていない。

この自己肯定感というもの、他人を認識しない世界では、考える必要のない概念だ。他者がいるから、その中で、自分の価値を見つめなければならないようなことになっている。

発達障害人にとって、あまりにも真正面から自分についてを内省しようとすると、どうしてもこの生きずらい社会の中でしてきた失敗だったり、定型発達仕様に作られているこの世の中という箱が窮屈ななかで、嫌な思いばかりしてきたことが思い出される。

昔のことを不用意に思い出したり、自己肯定感を高めようという努力に走るというのは、危険だし、本末転倒になりかねない。

トラウマ、PTSDを発症しやすい発達障害人にとって、昔のことを思い出すこと自体が、ようやく記憶が薄れた悪い記憶が再びよみがらせてフラッシュバックの原因になる場合がある。脳の機能の一部が未熟だったり、あるいは発達しすぎていたりとアンバランスな発達障害人。

辛い記憶ほど記憶に残りやすく、また、反芻(なんども繰り返し考えること)を止めるというのが難しい。切り替えられないのだ。

自己肯定感を高めるのは、もう、はっきり言って「運」だ。
もう 実際、生まれた環境と両親によって9割以上が決まる。
わたしはこれが現実だと思う。

簡単に言えば、何もしなくても、恵まれた家で、(ここでいう恵まれた家というのは、親が子供を愛してくれる家という意味。)
親に愛情を与えられながら育てば、勝手に育つ。

何をしても、愛されているという実感を持たせてくれる親のもとで、育てるかどうか。
これですべて決まるのだ。

そういう家に生まれられなかった時点で、後で いくら もがこうとも、辛い思いをするだけだ。

何だか否定ばかりしてきたけれども、解決方法はシンプルにちゃんとある。自己肯定感という言い方をするからややこしくなるが、マインドフルネスをすればいいのだ。要は。

いま、ここ、に集中すればいい。アリなどの虫たちや、動物のように。
シンプルな原点に返るべきなのだ。

というわけで、さっそく、今日から自己肯定感なんて言うものは忘れてしまおう。大人になってこれを上げる努力をしている間に人生は終わる。

「自己肯定感」この言葉は、はっきり言って、これから子供を育てる大人が学んで心がけるためのワードだと断言する。

自分の子どもを自己肯定感ある子に育ててあげること。それ以上でも、それ以下でもない。

いままできっと、自己肯定感 自己肯定感、といわれて、それが低い発達障害人はだめなのか?と思わされてきた。

定型発達基準で作られているなかで、人と同じようになんてできないユニークな才能を持った発達障害人。

人よりも進化しすぎている部分、あるいは俗にいう「フツウ」なんてものは存在しない、ユニークな才能と特殊能力を備えた人間。
それが発達障害人だ。

「見方を変えればスゴイ能力」これを持っている代わりに、得意不得意が極端だったり。
「みんな一緒がいい」という風土の強いこの国で、自己を肯定なんてしてくることができなかったんだよね・・・。

活躍の場を奪われて、矯正されてきているんだから。
「これだめ」「あれだめ」
なんで「フツウ」にできないの?
「フツウ」にやればいいんだよ。

そんな環境で育って自己肯定感なんて育つはずない。

さて、今日からそんな「フツウ」に合わせることは やめだ。
自己肯定感について考えて時間を無駄にすることも。

何も考えずに、疲れていれば寝ればいいし、好きなだけゴロゴロしてもいい。疲れやすくて毎日体調不良。それでもいい。
セルフネグレクト気味に、無気力に、何もできない日だってある。
それでもいい。

毎日変化があって、キラキラしている生活を送らなければならないなんてことはない。

何もなくて、意味もなく、つまらなくて、無意味な事の繰り返しが起きているほうがずっと多いのが生活というもの。
ダンゴムシや、葉虫は、毎日同じものを食べて、体を休めて、
また食べ物を探すことに、映えようなんて思っていない。

人間は高望みと人と比べるということをしすぎだ。

自己肯定感について考えるのはやめて、自分がいまやりたいこと(ゴロゴロしてマンガを読むとか、何もしないでぼーっとするとか)を遠慮なくやろう。

それでいいのだから。








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