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自分の価値観はそんなに変わらないということ

この記事を読んでほしい人は

○子育て中の人
○子供に関わる仕事をする人
○人権について考えている人、考えてみたい人
○えびちゃん先生に興味がある人  です。

懐かしのmixi

その昔、mixiというソーシャルネットワーキングサービスがあった事をご存知ですか?

その頃の私はちまちまとブログなんかを書いたりしてましたが、mixiの招待制をとっているあたりが何か特別感があって、友達から招待されるやいなやかなり没頭した覚えがあります。書いてあるのはその日思ったこととか、したこととか、まぁ見知らぬ誰かに見せるようなものでもないものばかり

でも読んでいると当時のことを思い出せてとても興味深いです。

2007年の12月に書いた記事にこんなものがありました。

何の脈絡もなく悪いけど、ちょっと書き留めておきたくて。


私は、
理路整然と喋る人
話をよく聞く人
情に厚い人
感謝の気持ちを忘れない人
が好き。で、その様にありたいと思っています。


逆に、

男は~で、女は~だ という人間の捉え方をする人
恩義を軽んじる人
明確な意思表示ができない人
親兄弟を大切にできない人
恋愛に没頭する人
善悪の基準を他人任せにする人

が嫌い。

14年前の私に何があってこんなことを記したのか覚えていませんが、今読んでも違和感がありません。

つまり、14年前から、そんなに価値観は変わっていない、ということです。

ひとつ変更点があるとすれば、

恋愛に没頭する人

は別に嫌いでなくなっていました。でも、14年かけて、その1点だけ。

いつ頃この価値観が形成されたのかは分かりませんが、14年前から(ほぼ)更新なしということは、わりと早い段階からそう思っていたであろうことが予想できます。

価値観の形成には、友達や恩師の影響もあるかとは思いますが、四六時中一緒に過ごす【家族】の影響も大きいと思います。ですから、常日頃、【娘の価値観】が私のコピーにならないように気を配っています。

受け入れられなかった母の価値観

母が言うことで受け入れがたかったことは数多くあります。代表的なところで言うと

○「女の子なんだから」と枕詞につけること
○道行く人で、かつらの人を見つけると「あの人かつらだよ!」と伝えてくること
○外国人の方とすれ違うと、「あの人○○人だよ!」と伝えてくること

etc..etc...枚挙にいとまがないですが…

それらを聞かされる度に、受け入れられない自分が悪いのかと思ってしまったこともよく覚えています。

娘は娘、私のコピーじゃない

ですから、娘と話をする時には「ママはこう思うのだけど」と前置きすることを心がけています。それから、「あなたはどう思うかな?」とも。そして私と違った考え方であっても、それが他人を傷つけるような思想や判断でない限りは、否定したり私の考え方に合わせようとすることは控えているつもりです。

前出のmixiの後は、ずっとfacebookを続けてきていますが、2017年の7月にこんなことを書いていました。

私の娘は今80センチ位。私は150センチ。
だいたい半分の身長だけど、だからといって娘の持っている人権まで半分なわけじゃない。
間違いなく、私と一緒。
想像してみて欲しいんですが、
誰かが毎日毎日あなたに意見を押し付けてくる。
あなたの提案は決して認められない。
そんなのってどうですか?楽しい?
子供だって、大人と同じように接していくべきではないのでしょうか。
私も、自分が体調良くなかったり疲れていたりすると忘れてしまうことがありますが、子供も大人も同じって考えて接するよう心がけています。
どう思いますか?

身体のサイズや年齢、性別や国籍、ハンディキャップのあるなしに関わらず、全ての人の人権は尊重されるべきだと思っています。

ですから、娘の人権を尊重し、決して私の価値観の押しつけにならないように細心の注意を払って生活しています。

親として、子の価値観の形成に大きく関わっているという意識を常に持ち続けていきたいです。


本日もお読みいただいてありがとうございました。

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人権について、「神奈川県人権啓発活動ネットワーク協議会」のHPで比較的平易な言葉で分かりやすく説明してくれています。以下リンクです。是非読んでみてください。


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