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岡本太郎さん著書感想文-純粋性を失うな-

イラストレーターのマルオアキコです。

今日は、岡本太郎さんの三部作、
「自分の運命に盾を突け」
「自分の中に孤独を抱け」
の感想を綴ってみたいなと思います。

岡本太郎さんの著作第二弾・第三弾から

一作目の「自分の中に毒を持て」には
物凄い衝撃を受け、noteにも
今年の私的ベスト1として
紹介させてもらいました。

https://note.com/mrkk/n/n4e211b9fcbae


岡本太郎さんの生き方とその信念には、
ずっと「社会と内面とのズレ」のようなものを
感じて生きてきた私に、
明確な答えと強い共感を与えてもらいました。

「自分の運命に盾を突け」
「自分の中に孤独を抱け」
この2冊からも、本当に響くたくさんの言葉達を
受け取りました。

"社会で生きていくには、自分を殺して、
周囲の人たちとうまくやっていくのがコツ、
と言われる。
人間が純粋な行動に出ようとすると、
この社会では瞬間阻まれる"

と、太郎さんは語っています。

これは言葉にできずに、
多くの人が感じていることの一つ
ではないでしょうか。
特に、"空気が読める"と言われている日本人には。

私も、昔から自分を殺して
周囲の人とうまくやる、
というのが苦手でした。

この辺りはスルー力だったり
敏感に感じ過ぎない能力だったり
個人差が大きいものだとは思います。

自分の心が真っ直ぐに
受け入れられないものに対して、
まぁいいか、とできないのです。

心の中にモヤモヤや抵抗があるのに、
平気なフリをして、大人の対応、
愛想で笑ったり、楽しそうな振る舞いをしたり、
そういうことがとても苦手で生きてきました。
"不器用"というのかもしれないです。

頑張ってやってみようと取り組むも、
大してうまく立ち回れず
帰ったらグッタリしてしまう。

抵抗があることに取り組む時、
本心と違う行動をとるので
とても苦しいのです。

どうしてかは分からないけれど
自分の心が何を感じて、何に違和感を持つのか
はっきりと感じ取って生きてきました。
そうであるがゆえに、
なんとも言えない違和感と苦しさを
感じてきました。

社会に出ると、そういうことの連続、連続で。

大人になるってこういうこと?
心を殺して割り切るということ?

そう考えると、
とても自分が幼いような、
ダメな気がしていました。

大人になるというのは、
諦めて、割り切って、
純粋性を捨てることなのかと。


ですが、岡本太郎さんは
それをこう著していました。

「社会への迎合、卑俗な悟り」と。
そこへ抗う純粋性を失うな、と。

この言葉に本当にハッとしました。
心が震えて、涙が滲むほどでした。


これまで自分が感じてきたこと。
ずっと言語化できないで生きてきて、
本当に気付きたかったことを
教えてもらえたような気がしました。

したくない社会への迎合、
したくない卑俗な悟り、
持ち続けたい純粋性、これだった、と。

純粋性を保とうとすると、社会では叩かれる。
純粋性を貫き通すには、
「自分はこうやって生きる」
という決意が必要です。

岡本さんは著書の中で常に
「自分と闘う」ということについて
語っています。

その意味がようやく本当に腑に落ちた感じが
しています。

自分と闘うとは?

では、自分と闘うとはどういうことでしょうか。
自分を追い込む、痛めつける、とか、
嫌なことを頑張ってやる、とか
そういうことではなく。

"「世の中こんなものだ」、と
社会に迎合しそうになる自分、
妥協しそうになる自分"との闘い
なのだと。

自分とは何か、
自分を貫き通すとはどういうことか、
自分の生き方、生きがいとは?
そいういうことを常に問いながら、
自分で在ることの"純粋性"を
貫き生きることが自分との闘いなのだ、と。

だから、闘う相手は社会ではなくて。
社会はただそこに在る、でも
大きな影響力を持って存在している。

結局、社会は場に過ぎない。
自分自身がそこに
懐柔されてしまうのかどうか、
何を選択するのか、という
「決意の問題」なのです。

決意の効能


岡本さんの本を読んで、
苦手にチャレンジする、ということを
少しずつやってみています。

「やだなぁ、苦手だな」と思いながら
嫌々するのではなくて。

「私はこの種類のことが苦手だ」、
それを認めて、そのまま
苦手(岡本さん的に言えば「危険」)に
突っ込んでいくんだ、と決めて進む。

この「決める」ということが
本当に重要な要素だとわかりました。

これまでの私は、
苦手にチャレンジするとき
行動はチャレンジなんだけれど
気持ちは「嫌」のままだったんです。

嫌だな、早く終わらないかな、
やっぱりやめとけばよかった。。と。

でも、岡本さんのいう「危険」な方を選ぶ、
危険を選んで平気で生きる、というのは
「こっちを選んで生きる」と決めて、
そこに向かって進む、ということ。

これは案外やってみないと分からなかったこと。

私はこちらを選ぶと決めている、
と腹が決まっていれば、
案外苦手もなんでもない事柄になる。

だって私がそう決めたのだから、と。
とてもシンプルになる。

これまで、"苦手"に対して行動を起こす時、
どんな人が関わるかだったり、
環境だったり、「決定する要素」は
外部に求めていたかもしれない。

だから腹が決まってないまま
やっていたんだと。
心がそちらに向かっていないのに、
無理矢理行動だけを向かわせていた。

心と行動が不一致なので、
自分の感覚としてはねじれが起こります。
その居心地の悪さが、「やっぱり嫌だ」という
納得のいかなさを生んでいたのだと思います。

それを頭から「苦手は、やる。」と
決めてしまうことの強さといったら。

これには驚きました。

ただ単純に「やると決める」。

心がねじれなく行動に向かっていることが
わかるから、心に負担がかからないのです。
その行動の先に何かが起こっても、
面白い、とさえ思えると岡本さんは言います。
瞬間瞬間、命を燃やして生きる感覚。

そう考えると、
これまで苦手だからとやってこなかったことに
色々取り組めるんじゃないかとも気付きました。

だって、「苦手をやる」と決めたんだから、
これまで苦手で踏み入れなかった未知の領域が
無限に広がっているなと。

「自分は未熟だ」という前提のもとに生きる。

もしキミが自分は未熟だと悩んでいるとしたら、
それは未熟であるということをマイナスに考えている証拠だ。
でもぼくに言わせれば、弱い人間や未熟な人間のほうが、
はるかにふくれあがる可能性を持っている。
熟したものは無抵抗なもんだよ。

自分は未熟だから、と引っ込んでしまっては、
未熟である意味がないというのです。

未熟であること、苦手をそのまま抱えて
未来を拓いていく、突っ込んでいく。

こういう考え方で生きていっていいんだ、と
思えた時に、目の前がパーっと広く
開けた気がしました。

自分の心持ちが変わると、
行動が180度レベルで変わる。
人生も大きく変わっていきそうだと
感じています。

なんだか大きな話になりましたが、
今年岡本太郎さんは私の人生観と
生きる姿勢を大きく変えてくれました。

そういう出会いが今年訪れたことに
心から感謝したいです。

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