子どもたちの会話からテレビが消えた
こんにちは。特別支援学級教員13年目のMr.チキンです。
今日は子どもたちの会話についてお話をします。
会話の中にテレビがあった時代
という話はよく聞きます。調べてみると、最高視聴率が50.5%。驚異の数字ですよね。
私はその世代ではないのですが、「学校へ行こう」「ウッチャンナンチャン炎のチャレンジャー~これができたら100万円~」「トリビアの泉」「伊藤家の食卓」あたりはドンピシャ世代です。テレビ全盛期からは離れた世代ではありましたが、翌日の学校ではテレビの話題があった世代です。
今でも、この番組名を出すと、その時代に戻って話ができるような感覚があります。
子どもたちの会話からテレビが消えた
私が教員になったのが2010年です。
この頃はまだ、テレビ番組が子どもたちの会話にありました。
嵐にしやがれ
VS嵐
天才!志村どうぶつ園
など、子どもたちの会話から出てきたテレビ番組のコーナーを分析して授業に取り入れるようなことをしていました。
ただ、私の感覚から言うと、ピコ太郎が流行った2017年がターニングポイントでした。子どもたちの会話からテレビが徐々に消えていきました。そして、インターネットコンテンツに置き換わる時代が始まったのです。
テレビのコンテンツとして子どもと共有できたのは2018年ごろの「チコちゃんに叱られる!」でしょうか。久々のヒットだったため、実はお面マニアの私はチコちゃんのお面を購入したほどです。
しかし、それ以降子どもたちの間でテレビのコンテンツが話題になったのは東京オリンピックくらいでしょうか。ここの変遷について、子どもたちのシビアな側面が見られます。
子どもたちの興味関心が一気に多様化した?
そこからは教員は子どもの興味関心を追うのが大変になりました。
「ヒカキン」「ひまわりチャンネル」「マインクラフト」「フォートナイト」etc…
個人が展開するインターネットは、幅広く、子どもそれぞれの興味関心にフィットするように作られています。これに伴い、会話の中で
は少なくなりました。でも、それでも仲が悪いわけではなく、「君はそういうのを見ているのね。そういうジャンルは知らなかった。興味があったら見てみるよ。」のようなスタンスなのが面白いです。
では、これは子どもたちの興味関心が一気に多様化したということなのでしょうか?
ひょっとすると、元々子どもたちは多様性のある存在であったはずなのが、映像コンテンツのキャパシティに縛られていたのかもしれません。
同じ話題で盛り上がれないのは、少し寂しい気持ちもありますが・・・
そんな時代に教育ができること
このように、映像コンテンツのみを扱っても、多様性を見ることができます。
それでは、私たち教員には、そんな多様性が表に出るようになってきた世界で何ができるのでしょう。
壷井栄「二十四の瞳」の中に、このような一節があります。
こんな多様性の世界だからこそ、私たちは一人一人のひとみのかがやきに目を向け、にごさない努力をしなくてはいけないのかもしれません。
では、またね~!
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