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受験界隈の罠


受験も佳境に突入する。
これが終われば二度とこの世界に踏み入ることはない。そして、受験について語ることもないであろうという動機から、約三年にわたる受験の感想をここに記したい。

物申したいのは、所謂受験界隈のことだ。そもそも大学受験とは、18歳の高校生が更なる教育機関に移行するための架け橋である。その狭間において、日夜偉そうに受験や学歴を雄弁する大人共が、巣から抜け出せない害虫の如く住み着き奇声を発している。その巣窟こそ、ネットで横行している受験界なるものだ。

一般的に、受験とは今いる領地から更に格別な領地に渡るための関所のようなものである。手荷物検査と身分確認を見事パスし、一度通れば二度と戻ることはないし、立ち止まることもない。広い領地は更に枝分かれし、実に素晴らしい様々な人間の営みの数々に分岐している。
ここで、先の害虫なる者たちというのは、自分が関所を通過したときから一歩も動かず、関所の手前に常駐し、通行人に対してちょっかいを出している。誰に頼まれたわけでもない。しかし人々の抱く旅の不安を駆り立てて、手荷物検査でパスするコツなんかを飽きずに数年も叫び続けているのだから大したものだ。

何を隠そう、私も一時はそのような連中に足止めを食らった。「オススメ参考書」「これで偏差値10アップ」「東大理三の勉強法」「正しい勉強法」…。キャッチーなラベルが貼られたそれらのポケットティッシュにまんまと引き寄せられたわけだ。しかし、素晴らしいのは所詮ラベルだけだ。中身のティッシュは低品質でまるで使い物にはならなかった。

気休めに過ぎない。あの行動は、不安解消と勉強してる気分欲しさに、肝心の勉強時間を犠牲にして、害虫の蜜、つまり金銭的利益を生み出させた。

勉強法と名のつく本を片っ端から読み漁った。その上での結論はズバリこうだ。

勉強法を考えるくらいなら
まず勉強してしまった方が早い。

つまり、第一に行動し、第二に改善、という順当な、至極当たり前のことなのであるが、いやはや理解していない者が多い。嘗ての私のように。

煎じ詰めれば、頭から勉強法を考えている者は勉強していない。そして、気づかぬ限り一生勉強しない。

大抵方法論にしがみついておきながらいつまでも行動できない者は、何か正しいやり方があると思い込んでいるのだ。しかし、人は一人一人違うのだ。環境や資金、エネルギー、時間、能力、特性、実に計り知れないほどの因子が存在し、それぞれ示す数値が異なる。しかしそれを公式化し、無謀なやり方で己を型に押し込む。パズルでもそんなことをすれば二度と完成は拝めなくなる。

つまり結論は、大学受験界隈のみならず様々なところで、やはり似たような害虫が随所に立っている。無意味な方法論や重箱の隅をつつく言い分を唱える連中を華麗にスルーし、誤った空間に身を置かず、常に自ら事に当たり、己の力で学びとろうとする姿勢の大切さを学ぶことができた。

いつまで経っても学歴市場や大学受験界にたむろしている大人らは、是非その変わった趣味を粛々とおやりになって、若い者の思考力と行動力を汚染しないで頂きたい。


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