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いたずらっぽいワイン?-西洋スイカズラ随想

大学時代、当時の彼が「西洋スイカズラ」のにおいを嗅ぎたい、と突然言い出したことがある。

クリスマスに奮発して行った横浜の老舗フレンチで、どう見ても大学生の二人にソムリエさんが攻めたおススメをしてくれたお陰でワインの美味しさに目覚めてしまった彼は、持ち前の探求心でその世界に頭からダイブしようとしていたのだ。ワインのアロマを表現する言葉を理解するには「西洋スイカズラ」を嗅がなくてはならない。しかも日本のスイカズラではだめだというので、植物園を一緒に捜し歩いたりしたものだ。

当時の数少ない検索手段(つまり紙の辞書)で調べたところでは、西洋スイカズラはどうやら英名honeysuckleらしく、それなら子供の頃に読んだ『赤毛のアン』や『ガラスの家族』にも出てきていたかなぁ、ということで、最初は私も興味を持って付き合っていたのだが、途中で飽きてきてしまい、その辺の「ヘクソカズラ」でも手折って「あったよ」と渡す冗談も一瞬頭をよぎったりした。が、もちろんそんなことはしない優しい彼女だったのである。(ヘクソカズラは、姿かたちは西洋スイカズラからそれほど遠くないが、とてもくさいので有名ですw)

その後、縁あってフランスへ赴任することになり、マルシェで、田舎家の庭先で、あるいは旅先のエトナ山のふもとで、「ワインのアロマを表現するための植物や土壌などのかおり」(本末転倒!w)を二人で嗅ぐ機会に恵まれた。彼(夫)がことに偏愛するブルゴーニュへはその後、何度も行くことになるのだが、二人ともマラソンを走るので、滞在中、早朝に宿を抜け出して往復10km圏内の畑をジョギングがてら見て(嗅いで)回ったりしたものだ。そうしてみると、なぜその畑のワインの評価が、同じ作り手、同じセパージュ、同じ土質でも違うのかといったことが肌身で分かったりする。ある畑が隣接する畑に対して微妙に窪地である、といったことはワイン教本の等高線で予習済みではあるのだが、現場で朝靄のたまり方を見たりすると、それは圧倒的な説得力を持つようになる。

そんなこんなで、今ではかの「西洋スイカズラ」も、かおりの指標となる他の諸々のアイテムとともに、私たちの脳内のアロマホイールのよき位置に根を下ろし、花を咲かせている。

凝り性な夫はその後、WSETのLEVEL 4 Diplomaも取得し、仕事にもそれを活かして幅を広げている。彼は、知的で媚びない、ちょっと近寄りがたい、でもある瞬間に絶妙なバランスの上に複雑な美しさを花開かせるワインが好きだという。(長いよ)

私はといえば、「西洋スイカズラ」探しの日々から門前の小僧歴ばかり積み重ねたものの、ワインのことはいまだによく分からない。ただ、何者ともつかぬ香りを半ば面白半分に二人して追いかけたあの思い出から、「西洋スイカズラ」は私の中でいまだに特別な位置を占めており、そのアロマはなにか別のレイヤーから、いたずらっぽく懐かしい気持ちを呼び覚ましてくれる。

もちろん「西洋スイカズラ」の香り自体がいたずらっぽいといいたいわけではない。ただ、ある刺激によってある人に想起される感覚は、おそらく、その人固有の無数の意識下・無意識下の経験のミックスからブラックボックス的な脳内の処理を経てもたらされるので、与えられる刺激と得られる感覚は必ずしもすべての人において一対一対応にはならない気がする。

とはいえ、「みんな感じてること違うよね」では共同作業ができないので、どの専門分野でも、その各人固有のミックスを敢えて要素ごとに切り分け、一つ一つに共通言語のラベルを貼っていこうとする「西洋スイカズラ」的試みが生まれる。それは、現実世界を言語というコードに置き換えて自由に操れるようにしようとする、人類が生まれながらに持った画期的な組み込みオブジェクト的な能力だと思う。ただその一方で、個別の体験に根差すがゆえに「共通言語ラベリング計画」の網にかかってこない感情こそが、その人をその人たらしめている要素と言えるかもしれない。もしそうであれば、それこそ一人一人が自分自身のために汲みあげ、目撃していかなければならないものかもしれない。

そんなわけで、敢えて好きなワインを答えるとしたら、私の場合それは「いたずらっぽく懐かしい」ワインかもしれない。

※ワインとチョコに関する素敵なspotifyを聞いていたら、急に思い出したので書きました。明日になったら恥ずかしいから消すかも!
https://open.spotify.com/show/0UjWqxTGqnLwcnYhw5gDM1


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