一年だけ大槌にいた者

2018年4月から2019年3月まで岩手県大槌町にいました。そのときの話。きっと忘れて…

一年だけ大槌にいた者

2018年4月から2019年3月まで岩手県大槌町にいました。そのときの話。きっと忘れてしまうから。フィクションも多分に含んでいますが、地名、店名、施設名などは極力事実に基づいて執筆しています。誤解による誤った情報があった場合はご容赦ください。

最近の記事

蓬莱島

 釣りというものをずっと敬遠していた。ずいぶんな偏見だと今はおもうけれど、「釣りをする人はみんな短気だ」と小さいころ父親がいっていた記憶があって、釣りをすると性格が悪くなるんだとおもいこんでいたからだ。  大槌で住んでいたのは派遣職員用に町が借り上げたアパートだった。シャーメゾンの物件だったから、職員はみんなそのアパートのことを「シャー」と呼んだ(どこかの部屋に集まって飲み会をすることを「シャー飲み」といい、毎週末どこかしらの部屋でシャー飲みが開かれていた)。わたしの派遣元

    • 多良福

      『釜石ラーメン物語』という映画が昨年公開された。放蕩していた娘が、父と妹の切り盛りするラーメン屋に突然帰ってきて、ひょんなことから東日本大震災で行方不明になった母のラーメンの再現に挑戦することになるというコメディータッチの作品だ。釜石を知る者は、あ、ここあそこだ、とロケ地に注目すること必至であり、釜石ラーメンを知る者は、これ観終わったらラーメン食いてえ、と垂涎すること必至の映画だった。  わたしはラーメンよりも蕎麦派だ。一人で外食をするときに蕎麦屋を差しおいてあえてラーメン

      • ミライース

         iPhoneの新色イエローが発売になったという広告を最近よく目にする。iPhoneのイメージといえば白か黒で、黄色はたしかに斬新に映る。  わたしは黄色が好きだ。帯が真っ黄色の拙著『あそこ』を刊行して以来、それまで意識したことのなかった黄色という色が他人事ではなくなった。何かを買うにあたって色の選択肢を与えられたとき、特段の支障(全身が黄色になってしまうとか、部屋に黄色が多すぎて目が疲れるとか)がなければ、黄色を選ぶようになっていた。  大槌に赴任するにあたって車を用意

        • 東京大学大気海洋研究所国際沿岸海洋研究センター

           岩手に赴任したら必ずやりたいことがあった。地方紙を購読することだ。東京にも地方紙はあるが、発行部数は全国紙の方が多く、わたしも全国紙しか読んでこなかった。地方ではその土地の新聞が全国紙よりも広く読まれており、岩手でも圧倒的に地方紙の方が発行部数が多い。シェアナンバーワンは「岩手日報」だ。他にも「岩手日日」など数社あったが、大槌が発行エリアに含まれておらず、必然的に岩手日報を購読することになった。引っ越し初日に電気、ガス、水道と同じ要領で新聞屋に申し込んだ。さっそく翌日から配

          小岩井農場

           住んでいた大槌町、隣接する釜石市、山田町といった生活圏を除いて、もっとも多く足を運んだ岩手県内のスポットは小岩井農場である。それがどこにあるか知らなくとも、小岩井農場の名を知らない人はいないだろう。東京で小岩井農場の乳製品が置かれていないスーパーをわたしは見たことがない、といったらいいすぎだが、その製品は全国に出荷され相当な知名度を得ている。  盛岡から車で三十分程度。国道46号を西に進み、一度右折すればあとはまっすぐというわかりやすい場所に農場はあるのだが、46号を右に

          南部鉄器

           日本各地に伝統工芸品というものがあるが、岩手県のそれは何を措いても「南部鉄器」である。その名とともに、表面がいぼいぼで丸みのある、特徴的な形の鉄瓶を目にしたことのある人は多いだろう。平安時代にはじまる奥州と、江戸時代にはじまる盛岡で発祥が異なり、職人の集まりである協同組合が現在も県内に二つ存在するそうだ。数千円で買える機械製のものもあれば、すべて手づくりのものだと何十万円もする鉄瓶が東京の高級デパートに売られていたりする。  盛岡にある繋(つなぎ)という温泉地に、陶芸、竹

          マクドナルド

           東京はマクドナルドで溢れている。駅に一つ、いや、駅によっては三つも四つもあるのが東京のマクドナルドだが、岩手県沿岸にはなんと一店舗しかない。大槌に住む者にとって最寄りのマクドナルドは、約四十キロ離れた宮古にある店舗ということになる。  年をとったせいか最近はマクドナルドのようなジャンクフードをほとんど食べたいとおもわなくなっていた。東京でマクドナルドに入るのは、他に店がないとき、時間がないとき、逆に時間が余ってお金をかけずに時間をつぶしたいとき、ぐらいだった。ところが不思

          新山高原

           大槌でお気に入りのスポットはどこかと聞かれたら、新山高原と答える。「にいやま」ではなく「しんざん」でもない。「しんやま」高原だ。なんかかわいい。標高約千メートルの山頂に広がる高原で、車で行けば市街地から三、四十分で辿り着く。「新大槌八景」の一つということで、大槌に赴任してすぐ登ってみた。広大な原野に風力発電の巨大な風車が何十基と林立している風景に心ひかれ、その後一年の間に五、六回は登っただろうか。  この新山高原では、毎年五月に自転車のヒルクライム大会が開かれている。全国

          さんずろ家

           大槌にいた一年はグルメな一年だった。それまであまり食への関心が強いほうではなかったが、大槌にいるのは一年と決まっていたから、東京では味わえないものを食べようと積極的だった。  最初の邂逅はホヤ。東京では見たことすらなかったが、岩手ではほぼすべての居酒屋で出てくるといっても過言ではないメジャーな珍味(?)だ。なんでも足が早いから三陸で獲れたホヤは東京で食べられないのだとか。赴任してすぐ連れて行ってもらった居酒屋で食べた。ぷりぷりの触感と舌に残る独特の苦み。好き嫌いがわかれる

          鯨山

          「浪板海岸から山頂まで2kmほど。約2時間少々で登れる」なんてガイドブックに書いてあるものだから、地元の人が気軽に登る山なのだろうと思って、ふらっと登ってみた。大槌町と山田町の境にあって、その突き出た形が印象的な鯨山。かつてこの近くの浜に打ち上げられた巨鯨の肉を食べたことで流行病が治まったという伝説による。  浪板海岸から歩き始めて、最初は順調だった。車も通れるなだらかな登山道。ほどよく茂った木々の間から漏れる日差しがくすぐったい。ところどころで聞こえてくるせせらぎが心地い