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マクドナルド

 東京はマクドナルドで溢れている。駅に一つ、いや、駅によっては三つも四つもあるのが東京のマクドナルドだが、岩手県沿岸にはなんと一店舗しかない。大槌に住む者にとって最寄りのマクドナルドは、約四十キロ離れた宮古にある店舗ということになる。

 年をとったせいか最近はマクドナルドのようなジャンクフードをほとんど食べたいとおもわなくなっていた。東京でマクドナルドに入るのは、他に店がないとき、時間がないとき、逆に時間が余ってお金をかけずに時間をつぶしたいとき、ぐらいだった。ところが不思議なもので、大槌に来てマクドナルドが近所にないと知った途端、無性に食べたくなった。てりやきバーガーとあのしなしなのポテトフライが食べたい。

 大槌から宮古までは車で四十分ぐらい。てりやきバーガーとしなしなのポテトフライを食べるためだけに行く距離ではない気がして、何か宮古に行く用事があるときまで我慢することにした。というような話を自分と同じく東京から派遣されている同僚二人と話していたら、宮古まで歩いて食べに行こう、という突拍子もない案が出た。どういう話の流れだったか委細はおもい出せないが、岩手で車移動が当たり前になっちゃったけどたまにはゆっくり海沿いを歩いてみたいよね、というようなことを誰かがいったのだとおもう。それが自分の、マクドナルド行きたい、と重なってこの耳を疑う提案となった気がする。

 大槌にいる一年間にしかできないから、といって無茶なことをなんでもかんでもやろうとするのはよくないとおもう。そもそも大槌には旅行で来ているわけではない。仕事で来ているのだ。仕事に支障をきたすような馬鹿は避けるべきだ。とささやく脳内のわたしを無視してわたしは、やろうやろう、と答えた。それも普通に昼間歩いてもつまらないからと、夜出発し、翌朝に朝マックを食べるという計画になった。

 わたしと同僚二人は同じアパートで生活していた。全国から集まっている派遣職員が住む、町が借り上げた民間のアパートだ。二人とは派遣職員が参加する研修会で知り合い、以後、東京から派遣されている者同士仲よくしていた。アパートからマクドナルドまでは約四十三キロ。止まらずに歩けば九時間で着くらしい。出発は次の土曜日の夜八時に決まった。休みながら行っても朝マックの時間帯には着くだろうという寸法だ。

 この計画が決まったとき、真っ先に恩田陸の『夜のピクニック』をおもい出した。高校のとき読んだきりだからストーリーははっきりと覚えていないが、たしか夜通し何十キロも歩く学校行事に参加させられる高校生の話で、生徒の一人が持ち込んだ覚醒剤で先生を含めた学年全員がラリってしまい、乱痴気騒ぎのピクニックは最後……いや違う、なんか甘酸っぱい青春ものだった気がする。男三人で甘酸っぱい展開があるかはわからないけれど、マクドナルドまで辿り着いたときにはどれほどの達成感があるだろう。

 当日は五月のよく晴れた日だったが、まだ夜は寒い。下はジャージ、上は長袖のシャツにパーカーを羽織った。リュックには家にあったもらいもののお菓子をすべて詰め込んだ。家にあっても食べないのだ。アパートの駐車場で落ち合ってすぐ、『夜のピクニック』みたいだね、と一人がいった。おれもそれおもった、でもどんな話だっけ? とわたしが聞くと、多部未華子、と答えた。多部未華子ってどんな話だよ、というもう一人は小説も映画も未見らしい。

 歩く道は至ってシンプル。海岸沿いを走る国道45号をひたすら北上するのみだ。二〇一八年当時はまだ三陸自動車道の大槌・宮古間が開通しておらず、大槌から宮古へ行くには、車でもこの道を通るほかない。仕事で宮古まで行ったときに車では何度か通った道だ。そう、国道45号は車で通る道なのだ。一応白線が引かれ歩道らしきスペースはあるが、ほとんどの区間でガードレールなどはない。恐いのは橋とトンネルである。歩道がぐっと狭くなり、横を猛スピードで車が追い越していく。街灯も市街地に一部ある程度で、基本的にはない。懐中電灯で前方を照らしながら歩く。追い越していくドライバーは、なぜこの人たちはこんな時間にこんなところを歩いているのか、とおもっただろう。なぜなのかはわたしが聞きたい。

 町方地区、安渡地区からトンネルを抜ける、つまり山を一つ越えると、吉里吉里という地区に出る。井上ひさしの『吉里吉里人』に採られた地名だ。海岸の砂を踏むと「きりきり」と音がすることに由来するとか。もともと大槌と吉里吉里は違う村で、合併して大槌町になったという。最近まで吉里吉里の子供たちは、かつて代官所の置かれた「都会」である大槌の子供たちに会う機会があると緊張していた、と地元職員である上司が教えてくれた。大槌町内でも地域ごとに人の気質が違うといった話は、地元の人からよく耳にした。様々な性格の人がモザイクのように散らばって暮らす東京で育ったわたしにとって、住む場所によって気質が変わるというのは興味深かった。一年だけの生活では身をもってそのことを実感する機会は少なかったけれど。

 育った地域の違いかわからないが、一緒に歩いている三人も、当然それぞれにそれぞれの気質を持っていた。一人は、メールの返信が遅くなったり約束の時間に少しでも遅れて行ったりすると機嫌が悪くなる気難しい性格。もう一人は、毎週のようにわたしに土日何をしていたか聞いてくるのに答えたら全然興味なさそうで、人に関心があるのかないのかよくわからないマイペースな性格。わたしは二人からどうおもわれているのだろう。たまたま同じ年度に東京から派遣されたというだけでつながった三人だ。単に同じ職場にいただけなら、特段仲よくなってはいなかったかもしれない。

 何かをするときに一人でするのと二人でするのが決定的に違うように、二人でするのと三人でするのも決定的に違う。三人で意見の相違があった場合、多数決という論理が出てくるからだ。大槌の隣町である山田町に入ったあたりで、気難しい一人が休憩したいといい出した。すでに二時間近く歩きっぱなしで確かに疲労を感じはじめてはいたが、まだまだ先は長い。わたしは元気なうちにもう少し先へ進んでおきたかった。マイペースなもう一人に聞くと、一度休もうという。こうなったら我は張れない。公園やベンチなんてないから、車の退避場所の端っこに腰を下ろした。

 疲れが出はじめていたのと、この二時間で職場の(仕事ではなく主に人間関係の)話が一通り終わったのとで、三人して無言になっていたのだが、突然マイペースな一人が口をひらいた。実はさあ、おれ彼女が東京にいて今遠距離なんだよね、といわれてどきっとした。自分もそうだったからだ。え、おれもなんだけど、といったところで三人に生気がよみがえり、続きは歩きながら話すことになった。聞けば、遠距離になって一ヶ月ちょっと、恋人への気持ちが冷めてしまって別れを切り出そうか悩んでいるらしい。あら早いねえ、なんて答えた自分もまったく同じことで悩んでいて焦った。そっちはどうなの? と聞かれて正直に打ち明ければよかったのに、まあ今のところ仲よくやってるよ、などとなぜか嘘をついてしまった。毎日LINEでその日あったことを伝え合うのも億劫になってきているというのが事実だ。一度冷めたとおもっちゃったらよほどのことがないと気持ちが戻ることはないかもね、などとアドバイスしたわたしは彼にいったのか自分にいったのかわからない。

 「道の駅やまだ」を通り過ぎると、巨大な鯨の絵が描かれた看板に出くわす。「陸中海岸国立公園船越半島」「船越家族旅行村」「鯨と海の科学館」などと書かれているのだが、文字がかすれていて不気味でしかない。鯨と海の科学館は、かつて捕鯨基地として栄えた山田町にある鯨にまつわる科学館で、東日本大震災で被災して休館、前年に六年半ぶりに再開したと聞き知っていたので二人に話したが、二人とも興味がなさそうだった。それよりも船越家族旅行村ってなんだろうという話になった。ヒッピーの生き残りが暮らす村だったりして、とわたしがいう。でも旅行村だからな、ここでずっと暮らしてるわけじゃない、と一人が答える。夏にキャンプとかする場所なんじゃないないの、ともう一人がいう。まあそれだろう。今度行ってみよう、と三人口をそろえてからはしばらくみんな無言になって歩いた。

 ここから道は山田の中心街へと向かう。これまでずっと岸壁の上を通っていた道が下り坂になり、徐々に海面が近づいていく。深夜に見える海は黒でしかない。津波をおもって恐いとおもった。巨大な防潮堤はまだ建設半ばで、いま津波が来たらひとたまりもない。山田の市街地は、仮設商店街とスーパーといくつかの金融機関があるだけでまだほとんど家が建っておらず、大槌よりも復興が遅れている印象だ。ここまで出発から四時間以上。疲れから三人とも完全に無言になっていた。前年にできたばかりの温泉宿「湯らっくす」の明かりが見えて、温泉に浸かって休みたい、今から泊まれるかな、とおもったが、提案するのも億劫になって口に出さなかった。

 しばらく海沿いを行くと、国道45号は左にカーブし、今度は山へと向かう登り坂になる。この期に及んで登りである。歩きはじめたときから違和感があった左足の小指ももう気づかないふりはできないほどはっきりした靴擦れで痛い。休憩したいが、海沿いの道よりも山道はずっと暗く、どこかに腰を下ろすのも恐いのだ。同僚も同じ気持ちだろうから聞いたところで大した返事は返ってこないだろうとおもいつつ、今度は口を開かないと気力がもたない気がして、ちょっと休憩しない? と聞いてみた。ここだと恐いから少し明るいところまで行ったらにしよう、と同僚は答えた。だよね。

 足の痛みに耐え、坂を登りつづけると、「HOTEL SWEET エーゲ海」という看板と「光山温泉」という看板が並んで立っているのが見えた。「エーゲ海」はそのネーミングからどう考えてもラブホテルである。今もあるか知らないが新宿にも同じ名前のラブホがあって一度行ったことがある。しかし、「光山温泉」とはどういうことだろう。温泉をひいているラブホがこんな山中にあるというのか。ちょっと見てみたいという気持ちとあわよくば泊って休みたいという気持ちが同時に押し寄せた。いや、宿泊じゃなくて休憩でもいい。とにかく横になりたい。体力も気力も限界なのだ。

 彼女と別れそうな男二人で深夜山中のラブホテルに入るという選択は、正気であればしないだろう。でもそのときは、疲れた、泊って行こう、もう歩くのは明日にしよう、と口をついて出た。何考えてんの絶対やだよ、あと少しだからがんばろう、と同僚は正気だった。いや、このまま朝まで歩きつづけるのが正気か。もはやどちらも正気ではない。半ば不機嫌になりながら、口論するエネルギーもなく、わたしは返事をせず歩を進めた。

 あと少しだから、と同僚はいったけど、あとで地図を見てみると、大槌を出発してゴールのマクドナルドまで、エーゲ海あたりがちょうど中間地点だった。下りに変わった道をひたすら行くと、左手に牛舎が見えた。鼻をつく臭い。暗くて見えないが、牛たちは眠りについているのだろう。ちょうど午前二時過ぎだったから、草木も眠る丑三つ時だな、と独り言をいった。牛に聞こえるぐらいのちょっと大きい声でいった。

 そこからはもう何も考えずに無心で歩いた。脚は完全に棒になっていた。棒になってくれてよかった。下手に生身の脚のままだったら痛くて仕方がなかっただろう。完全な棒になったのだから、何も考えずに道具としてそれを操るだけだった。どんな道をどれだけ歩いたか覚えていない。同じような道をひたすら歩いた気もするし、すぐに市街地に入った気もする。沿道に家や店が増えはじめると、建設中の防潮堤が見えてきた。海が近いのだとおもった。壁を隔ててすぐ隣にあるのに見えない、その黒い水をおもった。

 実際に海面が見えはじめたときにはもう太陽が昇っていて、海は青く光っていた。たまに車が通過するばかりで人気のない市街地を進むと、いよいよ駅などがある宮古の中心部だ。マクドナルドの場所は車で何度か通っているからすぐにわかった。「ドライブスルー」と書かれた大きな「M」の看板。数百円の朝マックのために歩いてアメリカまで来た気分だ。山を越え海を越え国境を越え、よくがんばった。

 そういえば彼女に今回の無謀な挑戦のことを話していない。たぶんこのあとも話さないだろう。やはりもう別れるつもりなのだ。本当は悩んでなどいない。今夜電話して別れを切り出そう。これまでだったら今日のことをよろこんで彼女に話していただろう。これだけ苦労して成し遂げたことを誰とも共有できないのはさびしい気もするけれど、個人的な経験として一生開陳しないのもおもしろい気がしてきた。

 時刻は午前六時ちょうど。なんの準備もなしに歩きはじめたにしては奇跡的なペースではないか。こんな時間だからか店内に客の姿は見えない。ドアには営業時間の貼り紙。「平日・土曜・休日 7:00~24:00」。まだ開店していないではないか。東京の感覚で二十四時間やっているとおもい込んでいたわたしは、誰だよやってるっていったの、とわたしにいった。

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