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さんずろ家

 大槌にいた一年はグルメな一年だった。それまであまり食への関心が強いほうではなかったが、大槌にいるのは一年と決まっていたから、東京では味わえないものを食べようと積極的だった。

 最初の邂逅はホヤ。東京では見たことすらなかったが、岩手ではほぼすべての居酒屋で出てくるといっても過言ではないメジャーな珍味(?)だ。なんでも足が早いから三陸で獲れたホヤは東京で食べられないのだとか。赴任してすぐ連れて行ってもらった居酒屋で食べた。ぷりぷりの触感と舌に残る独特の苦み。好き嫌いがわかれるというが、わたしは一口で惚れた。日本酒によく合う。幸運なのは、スーパーで売られる殻つきのホヤを見る前に刺身を食べたこと。刺身も初めて見たときはなんだこれとおもったが、その身を包んでいる殻がなんといってもグロテスクなのだ。ドラゴンボールに出てくるドドリアのようだという人がいたけど、色は違うがまさにそんな感じ。食べる前に見ていたらちょっと遠慮したかもれない。そういえば初めてホヤを食べたとき、食べてすぐ水を飲むと甘く感じるよといわれてやってみた。確かにただの水が甘く感じられたのだが、あれはなんだったのか。

 牛乳瓶に入れて売られる生ウニも三陸ならではのもの。ウニは寿司屋でありがたがりながら一口だけ食べるものだったわたしの人生が大槌に来て変わった。ぎっしりウニの詰まった牛乳瓶が夏のあいだ毎日スーパーに並ぶのだ。時期によって変動するが、一本三千円はするからしょっちゅう食べられるものではない。今日は昨日より安いなという日におもいきって買ってみる。一本でちょうどどんぶり二杯分。ご飯の上に乗せなにもつけないでいただくと、背徳感のある甘さが口いっぱいに広がるのであった。

 ほかにも、牡蠣の食べ放題、大槌が発祥といわれる新巻鮭など、一年をとおして海の幸を味わったが、魚介だけではない。大槌は漁業の町だが、町域のほとんどは山である。冬に熊猟が解禁になると、狩猟を趣味とする同僚が獲った熊肉をくれた。おそらく人生初めての熊の肉。脂身が多いそれは、熊と聞かなければなんの肉かわからないが、熊と聞くだけで妙に生々しく光った。料理の仕方がわからないので、とりあえず汁物にしようと出し汁で煮立ててみたが灰汁がすごい。あまりに灰汁が湧くので気味わるくなって汁を一度全部捨ててしまった。改めて出しをとって味噌汁にしてみたが、肉がかたくてかたくて味がしなくてしなくて。完全に調理方法の失敗だが、それ以来熊肉は食べていない。

 そしてなんといってもラーメン。わたしの好物は蕎麦なのだが、大槌近辺は蕎麦屋が少ない。かわりにラーメンを出す店は多かった。ラーメン好きの上司の影響もあって、大槌にいた一年はすっかりラーメンフリークになっていた。ラーメンの話は長くなるのでまた改めて書こう。

 等々いろいろ食べたが、一番思い出に残っている食べ物はなにかと考えておもい浮かぶのは、さんずろ家(や)のイカの腑いり定食だ。さんずろ家は大槌町内にある料理屋で民宿でもある。イカの腑いり定食は、イカ飯を作るときに出る内蔵とゲソを味噌、野菜などと煮たもので、地元の郷土料理という。あ、だめだ、書いただけでよだれ出てきた。わたしがこの定食に出会ったのは大槌に赴任して一年経とうかという二月ごろで、結局一度しか食べていない。にもかかわらず、イカの腑の苦みと塩辛い味つけは、まるで海をそのまま食べているようで忘れられない味となった。ただ、こちらもホヤと一緒で見た目がいいとはいえない。内臓をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせるため、どす黒いのだ。表向き白く光っているイカも、腹は黒い。当たり前だ。

 さんずろ家は浪板海岸のへりに建っており、窓一面のオーシャンビューを眺めながら料理を堪能できる。海岸からせり立つ崖の上にあるため、津波被害は免れたという。あの津波を体験した人には、黒い壁が迫ってきたという人がいる。いくつもの絵の具を混ぜ合わせると黒くなるように、海のあらゆるもの地上のあらゆるものを飲み込んで迫ってくる波は、黒そのものだったに違いない。

 大槌のイメージは何色かと考えると、灰色がおもい浮かぶ。青い海と緑の山に囲まれているのに、市街地に目立つ空き地が灰色だからだろうか。津波でその大部分が流された町の中心部は、土地のかさ上げと区画整理が終わり、地権者たちが戻り始めていた。しかし、かさ上げ工事の長期化により、避難先に定住した人など戻らない人も多い。大槌にいた一年で槌音を聞かない日はなかったが、一方で、歯抜けのように空き地は空き地として残ったままだった。

 灰色は白にも黒にもなりきれない、危うい色である。この土地の未来は白だろうか。黒だろうか。いや、白だろうと黒だろうと一色に染まってはなにも見えなくなる。この灰色は、これから無数の色がとりどりに描かれるキャンバスの色なのだと信じたい。

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