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ミライース

 iPhoneの新色イエローが発売になったという広告を最近よく目にする。iPhoneのイメージといえば白か黒で、黄色はたしかに斬新に映る。

 わたしは黄色が好きだ。帯が真っ黄色の拙著『あそこ』を刊行して以来、それまで意識したことのなかった黄色という色が他人事ではなくなった。何かを買うにあたって色の選択肢を与えられたとき、特段の支障(全身が黄色になってしまうとか、部屋に黄色が多すぎて目が疲れるとか)がなければ、黄色を選ぶようになっていた。

 大槌に赴任するにあたって車を用意する必要があった。大槌での生活には車が必須だ。宿舎から職場まで五キロ弱、最寄りのスーパーまでは三キロ強。自転車や便数の少ない路線バスだけでは不便極まりない。当時は三陸鉄道も復旧しておらず、町外へ出かけようにも車がなくては困ってしまう。しかし大槌での一年のために車を買っても、東京に戻ればおそらく乗らなくなる。リースすることも考えたが、自分のものでないと毎日乗るのにどこか気兼ねしてしまう気がして、廉価の軽自動車を購入することにした。

 価格とデザインからスズキのアルトかダイハツのミライース、それも新車の納車を待つ時間的余裕がなかったため、新古車に限定して探した。いろいろと比較検討するそぶりを見せたものの、探しはじめてすぐミライースにレモンスカッシュなんちゃらという黄色のカラーがあることを知ってもう心は決まっていた。ネットで希望の年式と装備のレモンスカッシュなんちゃらを見つけ、一回の試乗で即決した。

 ミライースのレモンスカッシュなんちゃらは黄色といってもかなり明るい。蛍光色のように派手で、一昔前のタクシーのようなくすんだ黄色ではない。一昔前といったが、大槌では当時黄色のタクシーが普通に走っていた。ミライースで町内を走っていて、まったく知らないお年寄り(大槌に来たばかりで知っているお年寄りなんていない)に手を振られたことが一度あったが、あれはタクシーと間違えたんだとおもっている。

 わたしの認識では、大槌町内でミライースのレモンスカッシュなんちゃらに乗っているのはわたし以外にもう一人(一世帯?)いた。でもその一台はもちろん岩手ナンバー(岩手県は「盛岡」と「平泉」以外すべて「岩手」ナンバーだ)。東京のナンバーで黄色のミライースを走らせているのはわたしだけだった。小さい町だから、コンビニやスーパーの駐車場に停まっている黄色のミライースを見たら、知っている人はすぐにわたしがいるとわかったとおもう。

 レモンスカッシュなんちゃらは派手な色だったが、一年間飽きることなく、むしろわたしをいろいろな場所へ連れて行ってくれるその小さなボディとともにどんどん愛着が深まっていった。しかし、世間の黄色に対するイメージはどうか。赤、青、緑のような強い印象のない曖昧な色。信号機やトラバーなどの目に障る警告色。黄ばみ、黄砂など厄介者の色。どこか主役になりきれなかったり迷惑がられたりする、そんな色だ。わたしもミライースの黄色を愛でながら、どこかにずっと恥ずかしさがあった。

 そんな恥じらいがどうでもよくなったのは、村上春樹の「ドライブ・マイ・カー」を読んでからだ。事故を起こし車を運転できなくなった俳優が専属の運転手を雇い、亡くなった妻とその浮気相手との過去を回想するという短編だ。主人公が乗る車は黄色のサーブ900コンバーティブル。話のほとんどが車内での俳優と運転手との会話によって進んで行くから、サーブ900は影の主役といってもいい。黄色の車をこれほど大胆に物語に登場させていいんだとうれしくなった(映画では赤のターボに変更されていたのが残念。もしも黄色のコンバーティブルだったら、映画の印象はがらっと変わっていたはずだ)。しかしこの短編を読んだのは東京に戻ってしばらくたってからで、わたしはもうミライースを手放していた。もっと早く読んでいればもっと堂々とレモンスカッシュなんちゃらに乗れたのに。

 車は東京では仕事でたまに乗る程度だった。運転を好きとはいえず、むしろ苦手意識を持っていた。それが岩手で一年間車生活を送った結果、大好きとまではいかないが、抵抗なく乗れるようになった。東京と違って道が走りやすいというのも大きかったとおもう。特に沿岸は(震災後の区画整理もあって)ごちゃごちゃした道がないし、なんといっても(震災後の人口減少もあって)車が少ない。その分スピードを出す車が多いけれど(取り締りのパトカーは東京に比べてずっと少ない)、恐いものでそれにも慣れてしまった。

 岩手県内を車で移動するときにかかるだいたいの時間を考えるとき、ざっとキロ=分で計算していた。十五キロ離れているところならおよそ十五分、六十キロなら一時間で着くという具合に。これはつまり平均速度六十キロで移動するという計算だ。東京では信号と渋滞が多すぎて六十キロで走り続けるなんてことはまずできない。数キロ進むのに何十分とかかることもざらだ。

 信号待ちや渋滞と無縁だったかわりに岩手はとにかく広かった。大槌は県沿岸の中ほどにあったから、県外へ出るには少なくとも二時間の運転は覚悟しないといけない。頻尿のわたしは運転中に何度自然にお呼ばれしたかわからない。幾度となく道端に停車し、青空のした用を足した。トイレも少ないが人目も少なく、躊躇せずに用を足せる。焦ってトイレを探し回らないといけない東京に比べてその点でもストレスは少なかった。人目どころか人通りが一切ない山道や雪道も走った。今おもえば2WDの軽自動車で行くべきではないところもよく行ったなあ。事故なく一年間毎日いろんなところへ連れて行ってくれた愛車に改めて感謝したい。うん。愛車というにふさわしい愛がそこにはあった。

 事故がなかったと書いたが、一度だけ、結果的に事故には至らなかったが死んでいたかもしれないという事件があった。大槌から隣町の釜石の市街地へ行くにはトンネルを二つ抜ける必要があった(一年のうちに何度そのトンネルを通ったことか)。わたしと同じく東京から赴任していた同僚と釜石まで食事に行ったとき、いつものようにそのトンネルに入った。途端、フロントガラスがくもりはじめて前が見えなくなっていく。結露だろうとおもってデフロスターを入れても消えない。焦ってエアコンを入れたり切ったりしたが何も変わらなかった。後続車に追突されるのが恐くて急ブレーキを踏めない。減速しつつ前の車のぼやけたバックライトを頼りに走ったが、パニックである。どうしようどうしようと一緒にパニックになっていた同僚がふいにワイパーのレバーに触れた。ぬーんとワイパーが一往復すると、嘘のようにくもりがとれて視界が晴れた。フロントガラスの外側に結露が生じていたのだ。前方がはっきり見えると、片道一車線の反対車線を見事に走っていた。たまたま対向車がおらず事なきを得たが、猛スピードで走ってくる車がいたらとおもうと今でも冷や汗が出る。

 おもえば、くもったガラス越しに見るトンネルの中は、ナトリウムランプにぼんやりと照らされた黄色い世界だった。トンネルは異界への入口だ。そこを抜けると雪国であったり湯屋があったりする。わたしはもしかしたらぼんやりと黄色い世界から黄泉の国へ引き込まれる一歩手前で踏みとどまったのかもしれない。あの世はわたしのミライースのように黄色いのだろうか。

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