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ファーストマン感想~宇宙に行け!~

宇宙開発、そう聞いて皆さんは何を思い浮かべるだろう?
夢、ロマン?
ああ………そう、私もこの映画を見るまではそう思っていた。
今日は人類初の偉業を描いた映画の話だ。

これはホラーだ


映画を見始めて5分。
私は帰りたくてたまらなかった。
理由は単純。
『怖かった』からだ。

揺れる機体。耳を劈く轟音。そして得も言われぬ圧迫感。

そこにあるのはだ。

今日紹介するファーストマンはアポロ11号の月面着陸までを描いた映画だと聞いていたが、完全に騙された。


これは宇宙開発の歴史を書いたドキュメンタリーなどではない。
これは、紛れもなくホラー映画だ。
宇宙とゆー未知の世界と時代の流れが、挑戦者たちに次々と襲い掛かって来る。座席に座ったが最後、もう誰も逃げられない。
無論理由は後々紹介するが、まだ見ていない人は必ず映画館に行かなければならない。DVDではだめだ、劇場で見ろ。孔子もそう言っている。

あらすじ


ではまず、本作のあらすじを紹介しておこう。

X-15のテストパイロットだったニール・アームストロングはとあるきっかけによって突如宇宙飛行士を目指す。
なんとかジェミニ計画の飛行士として選ばれるニールだったが娘の病気が悪化したことから断る。しかし、娘は死んでしまう。
娘の死後、ニールは何かに憑りつかれたようにただひたすらに宇宙、そして月を目指すようになる。
ジェミニロケットでの高速回転トラブル。アポロ1号での大爆発。
仲間の死を乗り越え、やっとのことで月へ辿り着いたニールが見た物は……

と言うのが大凡のあらすじ、というかストーリーはほぼ史実に基づいている上に何かドン出返しがあるわけではなく、ただ淡々と話が進んでいく。(そう言う意味では少し退屈に感じてしまうかもしれない)
では、この作品が『ライトスタッフ』『アポロ13』と一線を画しているのはなぜなのか?
そもそも、上記の2作はやはり、未知の世界へ挑戦した人々の英雄談という色が強い。感動のよるところも、達成感や成功に起因するものが多い。
しかし本作は確かに感動するのだが、その理由が分からない。いや、もしかしたら人によって違うのかもしれない。

映画ではただ一点、人類で初めて月を歩いた人間「ニール・アームストロング」にのみ焦点を当て、彼の視点からすべてが語られている。にもかかわらず、このニール、感情の起伏が殆どない
実際こんな感じの人物だったらしいのだが、なんせ何を考えているのか全く持って分からないのだ。軽く微笑んだり、うつむき加減になったりはするが劇映画のように感情が発露して行く様子は殆どない。

だから、ニールへ焦点が絞られているにもかかわらず、感情移入が出来ないのだ。
しかしそれでも観客はニールに心を動かされる。その理由は劇場で見るべきという理由に大きく関係している。


なぜ劇場で見なければならないのか?


閉じ込められろ!

劇場で見るべき理由その1。「閉じ込められろ」だ。
冒頭で私は、これはホラーだと言った。すこし、語弊があるかもしれないので訂正しよう、ホラー以上だ。そこら辺のホラー映画よりも数段恐い。
なんたって、宇宙船内でのシーンの圧迫感閉塞感が凄まじい。普通、宇宙の映画では宇宙船を俯瞰で撮った雄大なカットが良く見られる。(2001年とかもそうだったでしょ?)しかし、本作ではロケットを俯瞰で撮ったカットはほぼ見られない。
一貫して船内、それもニールの顔にぐんっと近い位置からの映像しか撮られておらず、肝心な宇宙は小さな小さな小窓からほんの少し見える程度
当時(今もそうかもしれないが)の宇宙船の船内はとてつもなく狭い。人が行動できるぎりぎりの大きさしかないために、狭い棺桶に押し込まれているようなものだ。
中でも私が一番恐怖だったのは、中盤の見せ場ジェミニロケットの打ち上げシーンだ。発射台からコックピットに乗り込むわけだが、当然上を向いて座る。(勿論、ニールの顔に非常に近い場所から撮られている)
全員が座席に座り終えると、外にいる研究員がハッチを閉める。固く重い、ドアが閉まると小さな小窓から「ニッ」と研究員が笑う。
心底思った。「他人事だと思いやがってぇぇぇ」
これから、凄まじく危険なミッションが始まるという緊張感。生きては帰れないのではないかと言う不安
ひとつ前の実験で事故死した者がいるのだからたまらない。
私は閉所恐怖症と言う訳ではないが、胸が苦しくなった。
これは恐らく家で見るとかなり違って感じられるはずだ。
なんせ、劇場では逃げがない。加えて視界にはそれ以外に何もない
劇場でニールと一緒に閉じ込められなければならない!


雑音を消しされ!

劇場で見るべき理由その2。「雑音を消しされ」だ。
本作の映像と同じほど素晴らしいのが音楽だ。
日常シーンでの静かな音楽は感情表現の乏しいニールの心の動きを読み取る数少ない手掛かりでもある。
そして日常とは対照的なロケット発射時の「ゴンゴンゴンゴンゴン……」という脈を打つような、それでいて発射前の揺れを思い起こさせるようなバックミュージック。ダンケルクの時も思ったが、この手のBGMは無理矢理観客の心拍数を上げに来ている様にしか思えない。
一方、月に辿り着いた時に流れる「クレーター」という曲もいい。数々の苦難を乗り越え、やっとたどり着いた月で流れるこの曲は達成感や成功を祝う壮大な曲ではない。何処か悲しく、哀愁に塗れた静かな曲なのだ。月には何もない事、宇宙が死の世界であることを歌っているような曲である。最初聞いた時は、女性のコーラスか、と思ったがどうやらこれはテルミンで出しているらしい。あとで知ったのだが、ニールの好きな曲「Lunar Rhapsody」(劇中でもニールが船内で流していた)もこのテルミンで演奏されているらしい。
音とはBGMだけではない。
ロケットの発射音や、騒音。
そして最も私が劇場でしか味わえないと思ったのが、月面へ着陸するシーンだ。
月着陸船のハッチが開き、いよいよ月面へ降り立つ。船内の空気が吸い出されていく轟音が聞こえた、と。一瞬にして場内は無音になる。月には空気が無い為、音はない。当たり前と言えば当たり前だが、恐らくそこに居た全員が鳥肌を立てていたに違ない。あの一瞬、私達は月に居た。
この体験は雑音をシャットアウト出来ない家では決してできない。

ニールに同行しろ!


劇場で見るべき理由その3。「ニールに同行しろ」
先ほど主人公のニールに全く感情移入できないと書いたが、その通りだ。ニールが宇宙飛行士を志した理由は愚か、月へ辿り着いた時の気持ちすら読み取ることが出来ない。しかし、この映画ではそんなことお構いなしに、観客を無理矢理ニールに同行させてしまう。
なぜか?
それは接写でとられているからだ。
上でも書いたが、基本的にこの映画、ニールの顔のアップが多用されている。なので観客は必然的にニールと同じ視点ニールと一緒に行動することを強いられる。
正直言うと別段私は月に行きたくはない。興味はあるが、死を賭けてまで行こうとは思わない。だが、この映画はそんなこと知るかと、私の腕をひっぱり月着陸船に押し込んでくれるのだ。
密着感もさることながら、映像の質も私達を1969年へ引き込んでいく。本編はほぼ全て当時と同じ16mmで撮られているので独特のざらつきがあり、当時の雰囲気を味わえる。一方、月のシーンではIMAXカメラを使った圧倒的にクリアで鮮明な映像が体験できる。(16mmのざらつき加減も相まって本当に凄まじい映像美なので見てほしい)
ニールに強制連行される為には劇場へ行かなければならない。

感想~月面でニールは何を思う?~(ネタバレ含む)


さて、ここまでの内容を読んだ方が一目散で映画館へ駆け込んだことを願って……
ここからは私の感想をぶちまけようと思う。

そもそも、そもそもだが。主人公、ニール・アームストロング船長はなぜあそこまで月に固執していたのか。
それは誰にもわからない。
月に執着する原因らしきものは何となくではあるが、分かる。
娘の死だ。娘が死んだことが起因となって次第にニールは月へ行くことだけに自分の人生を捧げていく。

劇中、度重なる事故から月に行くことを断念しようかと問われたニールは言う「その質問は遅すぎる」と。引き返すには既にあまりにも犠牲を払い過ぎたのだ。最早ここでやめてしまう事は出来ないのである。

加えて、この映画全体に漂っているのは『閉塞感』である。画的な閉塞感は勿論だが、この宇宙開発という国家プロジェクトが持つ息詰まる様な何とも言えない雰囲気が始終充満している。
この時代が持つ閉塞感を理解するには宇宙開発が行われる背景を知っておいた方がいい。
そもそも、彼らが月へ行かなければならなかった理由は人類の夢や未知の世界への挑戦などと言うロマンあふれるものではない。
第二次世界大戦後、一撃必殺の核爆弾を手に入れ、世界に覇権を効かせようとしたアメリカは1957年のスプートニクショックで腰を抜かす。(スプートニクはロシアの打ち上げた世界初の人工衛星であり、96分12秒で地球を一周。ピーピーという電子音を発信できるラジオを二つ備え付けており、ワシントンDCで最もよく受信できた)

なぜこれがショックなのかは長くなるので省くが、要するに無敵の国家であったアメリカは大陸間弾道ミサイルの脅威に晒される可能性が出てきたのだ。

当時アメリカはロケットにさほどの重要性を感じておらず、ライバルロシアに大きな後れを取ってしまう。
焦ったアメリカをあざ笑うかの如く、数か月後にはスプートニク2号を打ち上げ、中にはまで載せていた。(これが人類初の宇宙空間に行った生物、ライカ犬である)

このロケットギャップを端に発した宇宙開発競争に対して1960年の大統領選挙でジョン・F・ケネディ大統領は「この十年以内に人類を月に送る」と宣言してしまった。

つまり、この宇宙開発はいわば見えない戦争だったのだ。お互いの軍事力を見せ合い、ギリギリの距離でメンチを切り合う。
宇宙飛行士は決してヒーローではない。アメリカの為、戦争回避のため何が何でも宇宙へ行かなければならなかったのだ。
この映画では当時の宇宙開発シーンに漂っていたであろうドン詰まりの閉塞感を味わう事が出来る。

また、アポロ11号の乗組員はそれぞれ私物を持ち込むことが出来たのだが、ニール・アームストロングが何を月へ持って行ったのか彼の口から生涯語られず、彼が一体何を月へ持ち込んだのか現在まで分かっていない。
この映画ではその謎に一つの回答を用意している。
もうみんな見てると思うから言う、彼が月へ持ち込んだのは死んだ娘の形見のブレスレットだった。
彼はそれを月のクレーターへ捨てる。宇宙服のバイザーで彼の表情は分からない(というか基本彼が何を考えているのかは分からないが)

このシーンをどう受け取るかは本当に人それぞれであろう。
私は月へ行くことが娘や死んでいった仲間たちの葬礼になっていたのではないかと感じた。娘の棺桶が地中へ沈んでいくことと狭いロケットに乗って月へ行くことは対照的だが、死の世界へ行くことと言う意味では似通っている。
人が生きていけない死の世界。そこに執着することで娘の死から逃れようとしたのかもしれないし、もう彼は引き返すことが出来なかったのかもしれない。

なんにしても、宇宙開発と言う一見すると夢に満ち溢れた英雄談をここまでリアルで焦燥感たっぷりに描いた映画は多分これが初めてだ。
是非劇場でニールと共に月へ行き、心を掻き乱されて欲しい。


PS:声を大にして言いたい。絶対劇場で見ろと。
月着陸練習機は初めて見た。
あと、個人的にニール・アームストロングよりもバズオルドリンの方が人間的に面白いと思うのだが……その話はまた。



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