見出し画像

言語化をしたその先の未来


私達は、国語という授業を受けながら、筆者の気持ちだとか、主人公の想いだとかを汲み取る練習をしてきた。


要約や、感想を書くことは、自分の「考え」ではない。


問題提起、そして解決までの過程、結論を迎えても、

自分の頭で、違う方法や、違う視点からの考えを発表する場を与えられてこなかった。



だからどんな物語にも当てはまるような、文字ばかりを書くことを覚える。

「悲しかった」だとか、

「可哀そうだと思ったとか」




日本語という、色んな表現方法のある言語を駆使しながらも、その使い方を知ることさえしなかった。



「考えよう」


そして、


それを、


「言語化しよう」




言語化が難しいのではない。


「考える」ことが欠如しているのだ。



文才があろうがなかろうが、

私達の頭の中に浮かぶのは、簡潔な言葉だけではないはずだ。


「なんて言えばいいのか分からない」というのは皆がぶち当たる、言語化する過程においての壁だ。


そして、また考えるのだ。


何を伝えたいのか。


この感情の名前は。


何を知りたいのか。


何を変えたいのか。





他人の言葉に「いいね」するだけの日常を変えよう。




意見した先の他人の顔色を伺うのではなく、

言語化して伝えた後の未来を考えよう。



言語化するというこは、「伝える」ということが保証されているわけではない。

しかし、「伝えたい」という思いから、言葉が生まれるのだ。


だから、

色んな想いがこの世界に溢れている。




自分が差別された時、

区別された時、


思いつく言葉は、


「差別しないで」なんて簡素な言葉ではないはずだ。





「言葉で表せない感情」があっても、

「伝えることができない出来事」なんてないのだ。



今目にした光景を、言葉にしよう。

なんだか嫌だなと感じたことを、放置しないで。

今を生きるために、

これからを生きる皆のために、




言語化しよう。








p.s


天邪鬼なので絶対筆者の気持ちじゃないやろってやつに丸してました。

文字を書くことが生き甲斐です。此処に残す文字が誰かの居場所や希望になればいいなと思っています。心の底から応援してやりたい!と思った時にサポートしてもらえれば光栄です。from moyami.