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習慣は人生を作るということ

はじめに。
親愛なるリハビリテーションの世界へ身を投じ
身を捧げ、悩みながらも最適解を常に模索する友人たちへ

これは、あなたたちを決して否定するものでなく。
これからの未来をともに描こうとした時に
私が出した一つの選択肢だと思ってくれると嬉しい。
誰よりも個別性を重んじる職種の苦悩と努力に、私はただ頭が下がるばかりなのです。


リハビリテーションにおける運動療法の指導者として身を置き、
ずっと疑問に思っていたことがある。

「運動が苦行であること」

それは、もっともだと思う。

今まで運動習慣もなく、
食事の自己管理もなく、

老齢の歯がゆさと学習低下を起こした人たちが
生活習慣病になり身体機能障害とハンディキャップを受けている。

生活指導だ、社会復帰だ、自宅復帰だと言いながら、
無理やり「やらされたもの」は、ことごとく社会・地域生活で不適応を起こす。

「目標を立てましょう」
…と言われても、元々病気をする前から無いのだから。

「やりたい事は?」
…と聞かれても困るだけなのだ。


私たちは医療・介護点数のために、ある1枚の紙の空欄を埋めるためにそれらを聞いていたようでならない。

制度によって無理やり作られたソレは根本的な解決にはならないのだ。

そこで私は運動療法に携わる身として、ひとつのモデルを提案したい。
「楽しいから動いている、結果、健康」

それはひとつのサークルやクラブ活動のようなもの。
趣味の活動と言っても良い。

私なら、ヨガ・ピラティス・社交ダンスだ。
それらはどれも高齢化したとしても続けられるものばかりだ。


私には老齢化した後の夢がある。
平屋の庭付きの部屋にフラットなホール。
玄関からひと続きだ。
そこには、グランドピアノがひとつ。

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友人たちと遊べるように、
ゆったりとくつろいでもらえるようにソファーも置こう。

きっと長生きする私はそのグランドピアノの周りでひとりでも踊っている。
ピアノは自動演奏付のもの。

定期的に調律されたピアノは、音楽家の友人も弾きたくなるようなものが良い。
「ホームパーティーしよう」
そう言えばすぐに集まれる場所にしたい。

ひとりでも楽しい。
皆とでも楽しい。

体が動く限り、ピラティスの先生をしよう。
通勤時間0の自宅サロンに早変わりだ。

もう良い年だから、知り合いしか来ない店になるだろう。
それでも良い。
より良く年齢を重ねていく事が美しいのだと思っているから。

運動している中、庭には私がお部屋に飾る分だけの花を育てている。
一輪の花を毎日飾ろう。
それはきっと、とても贅沢な生活だ。
生命が力強く咲き、また枯れていく様は私に生きている実感と感謝を呼ぶだろう。

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一人息子が孫を連れてきてくれたら、どんな風にもてなそうか?
夫が奥で大好きな料理をしている。

私の心は自由だ。

いよいよ私の体が動かなくなっても、
その時にできる「それなり」をする。

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私のベッドをグランドピアノ、花壇が見える庭のそばに置いてもらおう。
自動演奏にしていて良かったとニマニマしてる私。
花だけでなく、木も植えていて良かったと言う私。
気の良い植木屋さんと友達になっているから庭の手入れの度に声をかけてくれる。
ホームパーティーで知り合いになって、
その人に色々教わったおかげで花木を楽しめている私がいる。

息子と仲良しで良かったと言う。
年齢の違う友人が、たくさんいて良かったと言う。
年を重ねると同世代の仲間の悲しい訃報ばかりだから。

耳が悪くても、目が悪くても、つながっている安心感がある。

ボケる前に、
すぐ「ごめんなさい」が言える非を認められる謙虚さを身につけよう。
小さな事に「ありがとう」と言える感謝の気持ちを常に持っていよう。
不平不満は、一度寝かせる癖を持とう。
いつでもニコニコして、笑い顔をクセにしよう。

それが無意識に何度も何度も習慣として染みつくまで続けよう。

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運動という「習慣」は、より良い「人生」を作っていくきっかけになると信じている。
今が未来につながっている。
私たちは、どれだけ明るい未来の種を、今に撒いているだろうか?

私は運動者として見せられる未来を創造したいと思っている。

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