見出し画像

5 恐怖ドリブン

 前回、心を売るという事について書きました。ここでは、私たちが心を売ってしまう理由の一つについて書いておきます。それは、タイトルが示す通り「恐怖」です。恐怖とは、怖がるという事です。難しい概念ではありません。人は怖い事が嫌いです。ですからこの先に恐怖があれば避けて通りたいと考えます。それは普遍的な人間の性質です。

 ところで、この社会には恐怖によって成立しているものが数多くあるのにお気付きでしょうか? 皆さんの目の前にもいくらもありますが、当たり前過ぎて気付いていないかもしれません。しかし、最初に思い付くのはカルト教団です。これは日常に当たり前にあるものではありません。「あなたにこんなに不幸が訪れるのは神を信じる気持ちが足りないからです、まずはこの壺を買って家に置きなさい。それに家と財産全てをお布施にしなさい。そうしないとあなた、地獄に墜ちますよ」というようなものです。恐怖を煽る事をベースにしてこの宗教は成り立っているのが明らかです。

 少し回り道しますが、特にカルト教団でなくともその傾向があるという指摘はずっと昔からあります。先に述べたカルト教団の言う「地獄」はカルト以外の宗教でも登場します。通常はあまり強調されませんけれどもあります。

 以上はアジア地区の例ですが、西洋でも同じです。ある時に審判が下され、生前に行いが悪い者は地獄で過ごす事になります。

 あまり宗教の悪口を言いたくはありませんが、そうは言っても地獄を実際にその目で見てきてそう言っている人はたぶんいません。きっと怖がらせて神様に縋らせようとしているのだと言う人もいます。

 その他にこれに類する恐怖は何か思い浮かべられますか? たくさんあります。例えば、学校ではあなたは恐怖を感じませんでしたか? 試験に落ちたら、落第したら、順位が落ちたら、校則を守らなかったら、制服に問題があると指摘されたら・・・。いくらでもあります。社会の中ではいかがですか? 自分だけ周りの人と意見が違ったら、自分だけ違う行動をしたら、変と思われないだろうか? 服が変だと思われないだろうか? 会社も多くあります。宴会の誘いを断ったら、部長に指摘されないだろうか? 

 さて、会社といえば、またあれが出てきます。以下の記事の中にあるトヨタイズムの記事を読んでください。

 こんな事が言われています。
いま、私たちは、「何が正解かわからない時代」を生きています。その中では、これまでに経験したことのない「危機」に直面することがあります。
そして、存亡の危機という言葉も言われます。

 もし皆さんに会社員経験があれば、こうした言葉は聞いた事があるはずです。私もあります。少なくとも年に一度は聞いていでしょう。年初の挨拶の中、創立記念日等です。だいたいが「これからの時代は難しい時代」という事になっています。会社の場合、横這いは下降と一緒ですから上り坂の角度を上げるという事を基準にしますとほとんどいつでも危機の時代ではありますが。とにかく、会社の経営が上手くいかなくなれば、おまえたちのボーナスは少なくなるぞ、そうでなくとも人員整理、会社が潰れたら家のローンどうする?

 そうしたマクロ的な恐怖感植え付けばかりでなく、その下の各レベルでも恐怖感は蔓延しています。営業成績の順位、個人目標の達成、部課の目標達成、コスト削減などです。これらを達成しなかった場合にはボーナス、給料、昇進で不利にされます。

 そもそも私たちは、もっとずっと大枠のところで恐怖です。お金が無くなったら、稼げなくなったら国がある程度お金をくれますが、基本はダメという事になってしまいます。それが自由経済であり資本主義です。つまり私たちのこの世界はデフォルト状態で恐怖にドライブされているのです。デフォルト状態と言いますのは、何もしないとゼロでなくてマイナスだからです。何もせずにいると生きていかれません。


 さて、ここまでで私たちがいかに恐怖に取り囲まれて生きていて、恐怖にドライブされているかがわかりました。これは仕方ない事です。本当は恐怖など無くて心理的に楽に生きられれば良いのですが、これが私たちの社会の仕組みなのです。つまり、社会全体が私たちに心を売るように要求していると言えます。そうであればその要求に従って心を売ってしまった方が生きるのは容易です。これは私たちが使っているスマホに似ています。スマホはGoogle、Apple、そして電話会社などに個人情報をかなりの割合で預けてしまわないと便利に使えません。利便性の代わりに生活と私の詳細データを売っているという事です。


 さて、ここまでで私たちは恐怖に取り囲まれて生きていて、恐怖に行動を強制されるのは不可避だという事を書いてきました。もちろんある種の恐怖は取り除く事ができます。カルト教団などは無くても構いませんから。それは別とします。であれば、不可避な恐怖とそれによる強制に対して私たちにできる事は何でしょうか? それは、無意識にそれを認めてしまうのではなく、自覚する事です。知っていてそこにいるのと、意識せずに行動を制限されているのでは人生は大きく違ってきます。少なくとも人生を次のステージに進めようとする時には今ある恐怖から離脱する決心を後押ししてくれるはずです。そして新しいステージにあるはずの新たな恐怖を予測でき、心構えもできます。


 今回は恐怖について書きましたが、次はその恐怖によって生じるさらに怖い事についてです。

この記事が参加している募集

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?