水がこぼれても、また汲める。(秋桜×シロクマ文芸部)
「秋桜のことなんだけどさ、あれ辞めてくれないか?怖いんだよ、朝5時から集まって秋桜畑で秋桜を採集して、つぶして、ピンク色の液体作ってそれを常に首から下げてさ、どこに食べに行っても、水が出てきたらそのピンクの液体を入れて、色を変えたりして飲んでさ」
男は目の前にいる、やせ細った妻にそういった。
妻の手元にはいつも必ず「秋桜(コスモス)世界を超越せし潜在パワーの発現、全ては秋桜エキスによる松果体活性化で覚醒する」という題名の本が置かれている。
本の著者は「宇宙パワー・トキコ」という人物で本の表紙に彼女が載っている。
インコみたいなピンク色のカラーレンズ眼鏡に、ブルドックみたいなピンクの数珠に、熱々の鍋でフラミンゴを二時間茹で色を抜いたピンク色の服に包まれながら、秋桜を目に入れる仕草をして笑っている。
男の妻は、急激な重力に耐えられなかったような動作でフローリングの床に座り込むと、靴下を脱いで、両足を夫に向けて動かした。
ーーフ
ーーェ
ーー二
ーーッ
ーーク
ーース
ーーち
ーーゃ
ーーん
男は頭を抱えた。
「その足話(そくわ)っていうのもやめてほしいんだけれど、スタバで注文するときも、服屋で店員さんに向けても、足話しないでほしい、普通に話せるんだからさ」
男の妻の手元には秋桜宗教団体の本以外にもう一冊置いてある。
「森羅万象、命は足によって紡がれてきた~足話で足の裏から産生される木星パワーを使いこなし、超自己との対話を試みよ~」
本の著者は「宇宙パワー・サダオ」といい、トキコの夫であった。
二人は、同時に秋桜宗教団体と、足木星宗教団体を運営している。
会員はそれぞれ、5人ずつ。その両団体に所属する1人が男の妻だった。
男の妻は日常会話を全て足話に置き換えたいと考えており、男に「足話入門編」を覚えるように強要していた。
最初、男は傷ついた妻の心が癒えるならば、なんでも付き合ってみようと考えていたが、入門書で9560ページあり、名詞やら受動態やら、現在過去未来過去宇宙進行形なる文法が出てきて、その複雑さゆえに辞めた。
ーーフ
ーーェ
ーー二
ーーッ
ーーク
ーース
ーーち
ーーゃ
ーーん
男が妻に、宗教を辞めるように言うと必ず、男の妻はこう言い返すのだった。足で。
『フェニックスちゃん』とは男が仕事帰りに、ケガをして道の端で蹲っていた雀を家に連れ帰った際、男の妻が雀につけた名前だ。
当時の妻は、どこに出しても恥ずかしくない、むしろ気立てのいい女性で、夫婦関係は円満だった。
ところが、1週間後、空いていた窓からフェニックスちゃんが逃げ出してしまってから、状況は変わった。
男の妻は、見る影もないほどに変わり果てた。
男は思った
(頬も削げ、一か月に一度言っていた美容院はもう半年も言っていない、今まで参加していたコミュニティすら辞めてしまって、目はイカみたいに平坦だ)
男は、二人で子育てを終えた今、妻と旅行に行ったり、ようやく自分たちの時間が持てる考えていたが、それが水泡に帰した。
男の妻を心配した成人している45つ子たちも、それぞれの家庭を持っていたが、全員でフェニックスちゃんを探してくれた。
総勢150人に近い捜索隊だ。
とうとう、フェニックスちゃんは帰ってこなかった。
それから妻の変わり様に悩んでいた男は、今日を最後のチャンスと考えていた。
今日説得して、ダメならと手に握った離婚届には既に自分の名前が書いてあった。
そして、その説得は失敗に終わった。
ーーフ
ーーェ
ーー二
ーーッ
ーーク
ーース
ーーち
ーーゃ
ーーん
男は離婚を切り出そうと口を開く。
「あのさ、俺達……」
トントン
トントン
と窓から音がする。
男と男の妻は振り返った。
そこには雀がいた。
秋桜を口にした雀がいた。
「フェニックスちゃん!!!!!!」
妻が男の横を光のような速さで駆け抜ける。
男は妻の声を一年ぶりに聞いて、なぜだか涙が流れてきた。
気づけば手にした離婚届はグシャグシャになっていた。
もしかしたら、妻と話す前からとっくにグシャグシャになっていたのかもしれない、と男は思った。
「フェニックスちゃんよ、あなた!」
「うん、そうだな」
男の妻は、それからまもなく秋桜と足木星から脱退した。
そして、二人は念願の四国旅行に行った。
そのときの写真は、二人の死後もそれぞれ45つ子たちが、1枚ずつ持っている。
それを見返して自分たちの子供にこう言うのだ。
「おじいちゃんとおあばあちゃんは、一時とても大変だったのよ、でも人生ってそればっかりじゃないっておじいちゃん言っていたわ、大変な時でも、もう終わりだって思っても、それを水だって思えばいいって、水だと思えば、また汲みなおせばいいって思えるからなんだって、きっと大切なことよね」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今週は締め切りに間に合ってホッとしました。
参加させて頂きます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?