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【#創作大賞2024 #恋愛小説部門】『制服にサングラスは咲かない』22章

「どうしてサトルさんはじいちゃんを刺したんですか?」

僕は逃げる前にどうしても聞いておきたかった。
ある程度の予想は立っている。
遠くから幾重にもサイレンの音が聞こえてきた。

「サトルさんはゲンジさんにお二人の行先をしつこく聞いていたんですが、ゲンジさんは絶対に口を割らなくて、そしたらゲンジさんが逆上して、包丁で……」

僕の考えた通りだ。

「僕が目の前にいたら、きっとサトルさんを殺してました、今僕の方に向かってきて目の前にきても、そうすると思います、ところでサトルさんはどうやって僕らの居場所がわかったんですか?」

「電話っす」

「電話?」

「はい、ゲンジさんの家の電話が鳴って、どうしてかサトルが出たっす、確か電話口はタチバナさんだったかっすね、俺もよく覚えていないんすけど、それでサトルが電話であれこれ話している途中に警察も来て、サトルが警察の一人にとびかかったっす」

そしてじいちゃんの車を奪って、僕らの所へ向かっているのか。
幾層にも響き渡るサイレンは、ビーチサンダルが引き連れてきたパトカーのサイレン。
ここからどう逃げるか。
辺りは山。
車もない。
宿に隠れる?
タチバナさんは僕の存在を知っている、警察がゲンジさんの名前を出して誰か泊っていないかと尋ねられたら即座に突き出されるだろう。

「わかりました、ありがとうございます」

「なんだかよくわからないっすけど、無事でいてください、ゲンジさんのことはこっちで何とかするっす、むしろゲンジさんよりもう一人の警察の方が重症っすけど」

「すいません、お願いします、もしこちらから連絡できる機会があれば、させていただきます」

「ういっす」

電話が切れた。サイレンがより近づいてくる。
けたたましいサイレンの音で、赤く滲んだ旅館の窓の幾つかが開き、何人もの人が顔を出している。

足湯はとっくに冷めた、そんな気がした。

「じいちゃんは、刺されたけど大丈夫だって、死なないって」

「私たちのせい」

「アジサイのせいじゃない、僕だけのせいだ、最初にじいちゃんの家から出ようって言ったのも僕だ、もしじいちゃんに何も言わずに出ていったとしても、もしかしたらじいちゃんは、刺されていたかもしれない、だからビーチサンダルに何も講じずに出てきてしまった僕の責任だ」

僕は逃げ道を考えた。
荷物はすべて旅館。
旅館に引き返して荷物を持ってきて、時間はあるのか、逃げることは可能か。
森に入るのはまずい。簡単に遭難してしまう。
車もないのに、大通りに面した道路まで一本道で歩いてどれくらいか。
パトカーのサイレンがグングンと近づいてくる。

1つの仮説にたどり着く。

『あぁ逃げ切れないかもしれない』

ーー全うしろ

逃げるんだ。どこまでも。行けるところまで。

「私、もう捕まるのかな」

細い声。手繰り寄せないと消えてしまいそうな。
それなのに僕の思考は状況に間に合わない。

逃げる方法を考えようとする方法を考え出しているのがわかる。

「捕まらないよ」

「でも、あんなに近くまで来てる、ツリバリ、大好きだよ」

「僕も大好きだ、そしてこれからも一緒だよ」

複数のパトカーが一本道を縦に並んで走行してくるのが見える。
まるで、野に放たれた火が風で燃え広がっていくようにも思えた。

おそらく今、宿に戻っても捕まる。
足湯に隠れる?隠れるスポットはない。

これからどうするか考えていたら、
こんなときに
アジサイは僕にキスをした。

「私の本名、紫って言うの、あのときじいちゃんに私の名前を言ったとき、驚いたんだから」

「え、今は……」

もう一度、キスで口を塞がれた。

「ねぇ、約束して、ツリバリは警察に、私が人殺しだって知らなかったっていって、ビーチサンダルからのメッセージで、私が人殺しだって言われてても冗談だと思ったって」

「いや、僕は正直に全部話すよ、僕だけ逃げたくないし」

「違うの、ツリバリにまでこれ以上大変な思いをしてほしくないの、それを考えるだけで私は、もう生きていけないかもしれない、だからお願い」

「……わかった」

アジサイにそんな表情をされたら僕にできることは頷くことだけだ。

「それからね、私の事は忘れて」

「それだけはできない、僕は君を好きなんだ」

「でも、私はもうツリバリとは会えないと思う」

「そんなことないよ、明日だって明後日だって一緒だよ」

「私が捕まったら何年も出られないと思うし、ツリバリはきっと他の人を好きになれるよ」

「そしたら僕は人生をかけて待つ、それに約束したじゃないか」

「何を?」

「たくさんのことを」

「たくさんかぁ」

「そうだよ、まずはアジサイのことを小説に書かないと」

「あ、そうだ、それでね、ちょっと私思ったんだけどね、私の小説を書いてくれるなら、ツリバリがどう感じていたのかを中心に書いてほしいの」

「どういうこと?」

「私がいつか読んだ時に、ツリバリはこういう時には何を考えていたのかなぁとか、そっちの方が気になるの、だから私も変わったのかな、忘れられたくないというよりも、ツリバリのことをもっと知りたいの方が強くなっちゃった」

「そういう書き方したら、僕中心の小説にならない?この物語の中心はアジサイにしたいんだ」

「いいから」

「はいはい、それなら条件がある」

「何?」

「忘れろなんてもう言わないで、忘れたら小説も書けないよ」

「そっか、うん、ごめん」

アジサイが僕の肩に頭をのせる。
その温もりが重さが、こんなにも愛しいなんて。

仄かなシャンプーの匂いとか、耳をくすぐるような声とか、足湯の中で、僕の足をイタズラに軽く蹴ってくるとか、今日だけじゃなくて明日は旅館で食べる朝のバイキングとか、食べ終わったらまた温泉に入って、明るくなった旅館の周りを探索したりとか、そんなことを考えるとまるで本当に旅行しに来たみたいに思えた。

そういう当たり前の日常がずっと目のなかにあって、どうしても、どうしてもパトカーのサイレンやビーチサンダルが近寄ってくるような実感がわかなかった。
きっと、アジサイの覚悟が僕に伝わってしまったのだろう。

守られていたのは、最初から僕の方かもしれない。

足湯で並んで、座る僕らの後ろから男の叫び声が聞こえた。
ツリバリと呼んでいる。

僕はアジサイの肩を抱きしめた。

パトカーの赤ランプが提灯の淡さをかき消して、船上でおきた火事みたいに思えた。

「ツリバリ」

ふり返るとそこには、ビーチサンダル。
頭を怪我しているのか、額か眉毛、それから目を通って血が流れている。
少し離れたところで、車が横転している。
見覚えのある車だ、じいちゃんのだ。

僕は足湯から出て、アジサイを庇うように前に出た。
ビーチサンダルの手には包丁が握られていた。

「この嘘つきやろうが、殺してやる」

「なんでもいいけど、どうしてそんなに僕らに執着するの?」

「お前が嘘ついて女といるからだろうが」

「じいちゃんまで刺して、ふざけんなよ」

「じいちゃん?ゲンジのことか、お前家族ごっこでもしてるのかよ、何歳だよ、ばかじゃねぇの」

「バカなのはビーチサンダルの方だよ」

「お前殺すぞ、アジサイと話しさせろ、てかこっちによこせ」

「勝手に殺してみろイカレタ馬鹿野郎、アジサイを渡すわけないだろ、そもそも幕の内弁当さんに賛同してアジサイを村八分にしたいとかいってたくせいに、よこせってなんだよ」

刃物を置けと、僕と、ビーチサンダルを囲む警察が叫んだ。
ビーチサンダルは包丁を振り回して警察を牽制している。

「だから何度もいったよな、お前にアジサイは似合わないんだよ、俺はアジサイと話したいだけだ」

「そんなこと一回も言われたことないよ、アジサイの気持ちは考えてみたの?」

「俺と話したいのにお前が無理やり連れて逃げ回るんじゃねぇか」

「私は、貴方と話したいことなんて一つもないです」

アジサイは僕の横にたって、僕の手を握るときっぱりとそういった。

「言わされてるだけだろう、随分、調教しやがったみたいだな、気持ちわりぃ」

「ビーチサンダル、君の方がずっと気持ち悪いと思う」

「は?」

「それにさっきも言ったけど、君の頭はイカれてる」

「は?」

「そして何より、哀れだ」

ビーチサンダルは刃物を胸の位置に構えた。

「殺してやる」

僕に向かって突撃しようとした際に、警察が確保といって、彼の体に雪崩のようにのしかかった。

刃物は取り上げられながらも、何か動物の唸りのような声をあげながら抵抗しているが、数には勝てないようだ。

一人の冷静な警察官が、僕とアジサイの方へ向かって歩いてきた。

「お知り合いですか?」

ビーチサンダルとの関係を聞かれているのだろう。

「そいつらは……こら離せ雑魚ども」

いいから動くなと、警察がビーチサンダルの身動きを抑える。
彼の度の強い眼鏡がアスファルトに投げられて、片側のレンズにひびが入っている。

ビーチサンダルは釣りあげられた一匹の魚が無力にも跳ねているように思えた。

「その女は……俺に触んな……人殺しだ、父親を殺した女だ、今ニュースになってんだろう、父親殺して逃げている女だよ」

ビーチサンダルは笑みを浮かべた。
警察に抑えられ抵抗している間に、ぱっくりと唇が裂けて、血だらけの歯が見えた。

冷静な警察が僕らに向き直る。

「署まで同行を願えますか?」

僕らは頷いた。
頷いたあとで、僕とアジサイはキスをした。

ビーチサンダルはてめぇと叫んでいたが、一番長いキスだったように思う。
辺りにはいつの間にか人垣ができていて、まるで盆踊りの真ん中にいるようなそんな気さえもした。



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