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【#創作大賞2024 #恋愛小説部門】『制服にサングラスは咲かない』最終話

ーーういっす、今日仕事終わり飲みいかん?この間の不倫上司の愚痴きいてほしい、これが笑えるから、おっとっとオチは取っとかないとね

僕は来たメッセージに返信をした。

ーーごめん、今日さ、遠出しているからまた来週のどこかで空いてる?ぜひともその話は聞いとかないだしね、温めておいてもらえるとありがたいな

すぐに返信がきた。
昔からリョートのレスポンスは早い。
仕事もできるに違いない。

ーーあたりまえじゃん、温めておいて熱々で話すよ、それに次ぎ飲み行く時には新エピソードも追加されてるかもしれないし、あ、ちなみに今どこいるの?

ーー福島だよ、郡山市

ーーああ、言ってたね、ゲンジさんの家に行くって、懐かしいわぁ、本当に色んなことがあったなぁ、まぁ思うことは色々あると思うからさ、また帰ってきたから話そうじゃないか、んじゃ気をつけて

ーーありがとう、帰ったら連絡するよ、お土産も持っていくから


一通り返信してハザードランプを消した。
この辺りは誰も通らないから、特にハザードランプもウインカーもいらないのだけれど、それをしないことには落ち着かなかった。

僕は再び車を走らせた。

畦道から整備されたアスファルトの道路になり、細い十字路になった。
水田が夏の日差しの照り返しで、光がじゃれあうたまり場のように見えた。

十字路を右折して数分走り、また右折した、道路はより細くなり、反っていく。
急勾配を昇っていくと、もはや車が通れるだけの幅は確保されていなかった。
僕は坂道の途中で岬のように突き出ている平坦な砂利道に車を進ませ、停車した。あの日のゲンジさんのように。

暑い。夏だ。
駐車場にはもう一台の車が止まっていた。

坂道を上る。
あの日は3人。
でも今は1人。
寂しいけれど、それでも人は歩いて行かなくてはならない。
生きて行けば、生きて行くだけ人生は寂しくなっていくのかもしれない。

僕は最近そんなことばかり考える。

坂道を登り切った。

「あ、こんにちは、時間よりだいぶ早いですね」

「やーぼうさんご無沙汰してます」

深緑のポロシャツを着たやーぼうさんが庭の方から僕を見つけて近寄ってきてくれた。
後ろには赤ちゃんを抱える女性と、その女性の足元でズボンを掴んだまま僕の方を見ている女の子。

「あぁ、こちら妻と子供です」

「結婚されてたんですね、おめでとうございます」

「あ、いえいえ、4年ほど前に出会いに恵まれまして」

「そうですか、何よりです」

「ところで、こちらが鍵です、お渡ししますね」

「はい」

僕はやーぼうさんから預かった鍵を玄関に差し込み、開けた。
玄関は埃とカビの匂いが充満している。もう何年も手をつけていないのだろう。
じいちゃんと僕と紫の3人でここで過ごした。
その記憶がまるで昨日のことのように蘇って、玄関のなかに一歩踏み出せなかった。
あの日と変わらない竹林のそよぐ音が、僕の心までも葉擦れのように震わせて、心をどこか遠くへ運んでしまいそうだ。
乾いた空のなかとか、どこまでも伸び続けている山々のなかとか、幾千の重なりとなって奏でる蝉の鳴声のなかとか。

ーーよう、そんなところに突っ立てないで、中へ入れ、畑仕事やって疲れたろう、腹減ってないか?

夏の風とともに、僕はじいちゃんの声を聴いた。
僕の足元を子供が駆けていく。

「ひろーい」

「こら、ユリ、勝手に入ってはだめでしょう」

奥さんが連れ戻そうとするけれど、子供は靴のまま居間の方へ走っていった。

「すいません、すぐに連れ戻します、せっかく来ていただいたのに」

「連れ戻すとかそんなそんな、賑やかでいいじゃないですか」

僕はようやく家のなかへはいれた。
あの子が入ってくれなかったら、僕の足はずっと玄関の外で動けなくなっていたかもしれない。

「いや、無理言ってすいません、わざわざ東京から来て頂いたんですよね?」

「とんでもないですよ、むしろ僕が来たかったんです、こういうきっかけがないと、中々腰が重くて、それで来週でしたっけ取り壊しは」

「明後日からですよ、この土地には新たに家が建つんです」

「土地の買い手が見つかったってメールで言ってましたね、二階も見てきていいですか?」

「もちろんですよ、自由に見てください」

昔よりも軋むようになった階段を上がって、僕と紫が住んでいた部屋にいった。
引き戸をあけると、そこには僕らが出ていったあとから何一つ変わっていない部屋があった。
灰皿までもがそこにある。
僕が吸っていた吸い殻もそのまま朽ちている。

窓を開ける。久しぶりの風にカーテンが柔く踊りだす。
僕はベランダに出て、煙草に火を点けた。
紫と離れ離れになったあの日から、僕はすっぱりと煙草を辞めたから、随分と吸っていない、そのためか中々うまく煙が飲めなかった。
けれども何度か吸っていると、昔、僕がこの部屋で吸っていた日常の延長を紡ぐように、あの日に戻った気がした。

後ろには紫がいて、暑がっていて、あぁここで僕らは初めて1つになって。
永遠にトランプをしたり、じいちゃんが持ってきてくれたスイカを食べたり。
僕らが過去を置いて行ってしまっているのだろうか、それとも過去が僕らを置いて行くのだろうか。

あの日に戻れるなら、僕は寿命の99%を捨てたってかまいやしないのに、
未だにそんな契約を持ち掛けてくる悪魔が訪ねてこない。

紫の長い髪が、僕の頬に触れた錯覚に陥る。
それは夏の風に喜ぶカーテンが僕の頬に当たっただけだった。

でもしばらくの間僕は、煙草を吸っている僕の横にいつもの紫が座っているような気がして、そのまま錯覚から妄想、妄想から願望に変わったものを愛した。

ベランダからは登ってきた坂道と、竹林と山が見える。
気がつくと、僕の口角はあがり、微笑んでいたことに気づいた。
空漠とした喪失感に包まれながら、妙に温かい懐かしさが胸に宿る。
この複雑な感情は何だろう。
あの日を辿ろうとする心がずっと震えている。

時は過ぎるものなのだ。
泣いて懇願しても、いじけてみても、何をしても時は過ぎる。
ただ、そこにある自然のように。

やーぼうさんが子供を連れて外に出たのが見えた。
僕をみつけて手を振る。
僕も手を振り返し、煙草を消して、部屋を家をあとにした。

やーぼうさんに鍵を渡して、もう一度お礼をした。
それからじいちゃんの墓を教えてもらい、僕らはそこで別れた。

じいちゃんの墓は車で15分の所にあった。見晴らしのいい丘で、墓参りのシーズンから少しズレているから、辺りに人の気配はない。

線香を備えた。それからビールと花と、煙草。
トンビが頭上で鳴く。
汗がこめかみをつたう。
僕は両手を合わせた。

じいちゃん、来るのが遅くなってごめん。
あれから僕は、色々なことを整理する時間が欲しかったんだ。
そのせいで随分と時間がかかってしまった。
紫がいなくなってしまってからの僕は不安定で、また以前の死んだような目をしていたと思う。
紫とはあれから何度も手紙のやり取りをしたよ。
最初の手紙から最後になった手紙まで僕は全部持っているんだ。
どんな手紙にも必ずじいちゃんを想う優しい文章が並んでいた。
僕にも最近あった楽しかったこととか、嫌なルームメイトの話とかそんなことを書いてくれいたんだ。
生き生きとした手紙だった。
けれど、紫の心もまた病んでいってしまったらしい。
手紙では健気に普通を装っていたけれども、紫は夜になると叫んだり、そのときの記憶がなかったり、急に泣き出したり、彼女の心は遅れて壊れてしまったみたいだ。それが罪の重さなのか、心の傷なのか、なんなのかは僕にもわからず仕舞いだった。
なにせさっき言ったみたいに手紙には一切そんなこと書いてなかったんだ。

当時の紫の事を考えると、僕は今でも胸に石が詰まっているみたいに息が苦しくなるよ。沢山の汗も流れるんだ。
これでも当時よりは全然よくなったんだけれどね。

結局、紫からの最後の手紙を受け取った数日後に、彼女は死んでしまった。それも自らの手で。
僕はどうしても、その事実を持って生きて行くことができなかった。
だからじいちゃんに会いに行くこともできなかったんだ。
なんて言えばいい?
全うしろと言われた。けれど僕は誰一人何一人守れないまま、のうのうと生きている。
僕は、僕だけは生き残ってしまったみたいで、僕も後を追おうと思ったんだ。
色々準備したし、後悔もなかった。僕は沢山の道具をリュックサックに連れて外にでた。
他人から見たら、どこか遠出にでも行くかのように思われただろうね。
でもそうはならなかった。
つまりは、僕が出かけたタイミングで、僕の部屋の前には一人の女性がいたんだ。
彼女は何も言わずに、僕に手紙を渡したよ。
そしてこういったんだ。
「あの子が、最後にあなたにって」

その人は紫の叔母だったんだ。
僕はすぐに手紙を読んだ。
紫には僕の考えがお見通しだったらしい。

『死なないでね、愛している、ごめんね』が書かれていた。
どれも酷い言葉だと思った。
どれもズルい言葉だと思った。

全て、僕が紫に言いたかった言葉だ。
どうして、一人で勝手にって思ったよ。

それからしばらくして、ようやく、じいちゃんのところに顔を出せた。
ごめんね遅くなって。
いつかきっと全部話そうと思ったんだけど僕はいつも、遅いんだ。遅くなってから沢山のことに気がつく。
それはあの頃の僕とちっとも変っていない。

人生は誰のことも待ちやしないのにね。
今日はここまでにしようかな。
絶対にまた来るからね。そのときもまた僕の話を聞いてよ。
本当にありがとう、じいちゃんのおかげで僕は前に進めたんだ。

目を開けると、夏の陽射しがジリジリと墓石を焼いている。
ふと

ーーツリバリ

と僕がどうしてももう一度聞きたかった声で呼ばれた気がしたけれど、それは気のせいだった。
紫に会えなくなってからずっと、僕はそういう幻聴のようなものを聴く。

そのたびに僕は、じいちゃんの畑で麦わら帽子を被っている紫を思い出す。
そしてその光景を思い出すたびに、紫がサービスエリアでサングラスを掛けて笑っている姿を思い出すんだ。

見上げると
トンビが先ほどよりも、ずっと、ずっと、ずっと高い所で旋回しながら鳴いていた。

僕は生きていかなくちゃいけないんだね、紫。

車に戻る途中、道端に季節から少しだけ外れた『紫陽花』が紫色に咲いているのを僕は見つけた。






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