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【#創作大賞2024 #恋愛小説部門】『制服にサングラスは咲かない』21章

ーーこれタチバナに渡してくれ

と言ってじいちゃんの畑で取れた野菜を預かると、じいちゃんは軽トラに乗った。

最後に僕に向かってじいちゃんは

『全うしろ』と言った。

僕は何も言わず、頷いた。
じいちゃんは満足そうにも寂しそうにも笑って車を出した。
二回、別れのクラクションが鳴ったあとで、テールランプは遠ざかっていった。

蒸し暑さと寂しさが音となって木霊しているように思えた。

僕とアジサイは旅館のなかへ戻った。
受付には、受付係と話し込むタチバナさんの姿があった。

「あ、タチバナさん、今日はどうもありがとうございます、これじいちゃんがタチバナさんにって、じいちゃんの畑で採れた野菜です」

「あぁ、わざわざご丁寧にどうもありがとうございます、ぜひよろしくお伝えください、あ、そうそう、エレベーターは左に真っすぐ進んで売店あるところを右手に曲がるとあるのでそちらをご利用ください」

「こちらこそありがとうございます」

アジサイと僕はそれぞれタチバナさんにお礼を言ってから、エレベーターに向かった。
タチバナさんとすれ違ったさいに、舌打ちのようなものが聞こえた気がして、少し歩いてから受付の方を振り返ると、タチバナさんはちょうど渡した野菜の袋を汚そうに摘まみながらゴミ箱に捨てたところだった。

「あ、お土産屋さんだ」

「そうだね、服とかも売ってるんだ」

「郡山のご当地お菓子みたいなのって何があるの?」

「ママドールかな、聞いたことない?」

「ない、どんな味がするの?」

土産屋を通り過ぎて、エレベーターの前に来た。

「んー白餡の饅頭に近いかな、実は僕はあんまり好きじゃなくて、ほとんど食べたことないんだよね」

「えー私、白餡好きだから食べてみたいな、ツリバリはなんであんまりなの?」

「うーん、ぱさぱさして飲み込みずらいんだよね、それに多分白餡もあんまり好きじゃない、周りにはママドール好きな人は割といたんだけど、どうしてか僕だけ、ね」

エントランスからここまでの床はワインレッドで高級感が漂っている。
エレベーターの装飾も大きな和というよりは、中世ヨーロッパの街並みの名残りを感じられるようなデザインだった。

旅館と言いながらも、和洋折衷のようだ。
それが妙にマッチしていて厳かな雰囲気を作っている。

エレベーターを待っている間、アジサイは見えなくなったお土産屋さんの方向を眺めていた。

「あとで、買いにこようか?」

「え、あ、うん」

「あれ、もしかして違う事考えてた?」

「うん、じいちゃんのこと」

てっきり、そんなにママドールが食べたいのかと思っていた。

それはそうだ。まだ別れの気持ちの整理がつくはずがない。
じいちゃんとは、もう会えないだろう、という気持ちが現実感を伴いながらも、今日また眠ったら明日はじいちゃんの家で目覚め、畑仕事に繰り出すような気さえもする。

炎天下のなか、麦わら帽子を被ったアジサイが畑を駆けていく。

エレベーターのベルが鳴りドアが開く。

僕らの部屋は17階にあった。

その間エレベータに乗り合わせた人々は色々な階層に吐き出されていった。
彼らの身なりを見ていると、今日泊る旅館が高級な部類に入ることを知れた。
最後までエレベーターの隅で縮こまっていた僕らは、この場にそぐわない、それこそ言ってしまえば場違いな気持ちになった。

そのままシックなカーペッドが敷かれた廊下を歩いて、鍵についている番号の部屋を見つけ、中に入った。

電気をつける。

「なんか、煙草臭いね」

「きっと、喫煙可な部屋なんだよ、窓開ける?」

「別に煙草の匂いは嫌いじゃないけど、換気はしたいかも」

アジサイは荷物をベッドの上に置くと、窓の方へ行ってカーテンを払った。
窓の向こうには淡い光を放ってぼんやりと屹立しいてる旅館群が、まるで桃源郷を思わせた。

部屋はダブルベッドが二つ。
窓際のテーブルとイス。
観葉植物。
ハンガーラック。
思い切り洋の部屋だ。
もしかしたら和と洋の部屋で別れているのかもしれない。
視界の端に大きな液晶テレビがあって、僕は心臓を握られたような気持ちに陥る。

テレビをつける気にもならない。自分たちの現状を、現実を見てしまうような気がして。

「私に遠慮しないで煙草吸っていいからね、さっきも言ったけど、煙草の匂い嫌いじゃないし」

「そう?それじゃあお言葉に甘えて」

窓際の椅子に腰を掛けた。
旅館の名前が入ったマッチを使わせてもらった。
深い夜の森の香りが、湿気を帯びて窓から立ち寄ってきた。

今は何時だろう?
さきほどの旅行客たちは街路から引き揚げて、今頃温泉だろうか。
人気がなくなり、提灯の灯だけが取り残されている。

煙を吐く。
少しだけ気持ちが落ち着く。

「あ、そうだ、アジサイ、足湯行ってみたい?」

「え、あるの?行ってみたい、近く?」

「多分歩いて5分くらいかな、じいちゃんが教えてくれたんだ」

「この部屋のタオルとか持って行っていいのかな?」

「いいんじゃない?多分だけど」

「じゃあツリバリの煙草終わったら行こうよ、ゆっくり吸ってていいから」

「ありがとう」

ベッドに座ったままのアジサイもテレビには触れなかった。視線は真っすぐテレビに預けられていたけれど、彼女もテレビを点けるのを恐れているのかもしれない。

僕はアジサイの胸中を探るように言った。

「じいちゃん、良い人だったね」

「うん、また会いたいね、トヨさんにもまた会いたい」

ベッドから出た足が、所在なさげに揺れている。

「虫も大丈夫になったしね」

「今になって考えてみると、なんで虫がダメだったのかもわからないくらい、あーあ、私結構畑仕事好きだったなぁ」

「僕も好きだったよ、向いているのかもね、僕ら」

「ねぇ、ツリバリ」

「うん?」

「私さ、いつかさ、全部落ち着いたら、ツリバリと畑仕事してさ、二人でのんびり生きていきたいな」

「そうだね」

それはまるで、じいちゃんの奥さんが生前に言った言葉だった。

「私ね、じいちゃんにあの家くれるって言われたんだよ?」

「え、いつのまに」

「山も畑も家も皆、アジサイに上げるって、お兄ちゃんと二人で仲良く暮らしていけって」

「そうだったんだ、いいね」

「誰かと結婚したら、お兄ちゃんを追い出すか、敷地に小屋でも建ててやれって笑ってたよ、じいちゃん」

「それはひどい」

「大丈夫だよ、追い出さないし、小屋も建てない、私達の家」

「それってつまり、結婚ってこと?」

「それを私から言うの?その時が来たと思ったら自分から言ってよね」

わりと普通にアジサイに怒られた。
アジサイが近くによってきた、拗ねた表情から一転して、笑みを浮かべると目を閉じた。
桃源郷を背景に、僕らはキスをした。
キスをしたあとで、そのまま、僕らは自然に、使われたカップが元の位置に戻されるようなセックスをした。

行為の最中、僕らはきっとお互い色々なことを考えていたとも思う。
二度目にしてそれがわかるセックスだった。
でも、気がそれているとかそういうものではない。
二人の背負う過去を二人で労り、傷を舐めあい、撫でるような、そういうものだったと僕は思う。

やがて夏の朝に人知れず咲き出す朝顔のようにゆっくりとアジサイの目は開かれた。
どれほどの時間が経ったのかわからない。
時間のない夜の砂浜にいる気分だった。

「足湯行こっか」

僕は足湯を思い出した。

「このまま?」

アジサイは自分の体を見ながら言った。

「服を着てから」

「違う、汗とかいろいろでベタベタ」

「あーそっか、じゃあ先に温泉?」

「シャワーでいい、確か、あったもんねここ」

「あったよ、いわゆるユニットバスってやつ」

「じゃあ行ってくるね」

僕は僕に背中を向けて歩く、アジサイの臀部を眺めていた。
煙草を一本。

吸い終わるころにはアジサイが戻ってきた。


僕らは部屋の鍵と手ぬぐいを持って、エレベーターで降り、エントランスから外へ出た。

受付の人は違う人に代っていて、タチバナさんの姿もそこにはなかった。
もう慌ただしい受付ラッシュの時間も過ぎたのか、カウンター周りは、大海に浮かぶヨットのように静けさのなかにあった。

「人があんまりいないと不思議な景色だね、ずっと提灯は点いてるのかな?」

僕はアジサイの手を握った。

「どうだろうね、僕が思うに、さすがに0時くらいまでじゃないかな」

すれ違うのは、若いカップルがほとんどになってしまった。
たまに僕らの後ろから大型のバスが通り過ぎていくけれど、バスの中には運転手以外、誰一人乗っていない。

蒸し暑いけれど、心地いい。ずっとこの夏に閉じ込められたって僕は文句を言わないと思う。

「危なくない?」

「車が来たら歩道にもどればいいさ」

僕はアジサイの手を引っ張って、バスを乗り過ごした日の夜みたいに道路の真ん中を歩く。
入り組んだところにある道路だから、細く、車一台分の余裕しかない。
さきほどの大型バスが走っていたら、みんな避けるしかないだろうな。
両サイドには背の低い旅館、奥に進むにつれて、つまり僕らが今日泊るところにかけて建物の背は高くなっていくようだ。それには何かルールでもあるのだろうか?

「懐かしいかも」

「でしょ?」

旅館の後ろには温泉街を囲っている森。
あの日の夜の恐怖はすっかりない。

自然は、ただ、そこにあるのだ。

「足湯ってあれ?」

前方には東屋があった。
内側から東屋の天井にそって湯気が漏れている。

「そうだよ、じいちゃんが言ってたやつ」

「誰もいないね」

木製の焦がしたような下駄箱に僕らは靴をいれて、湯に足を浸ける。
温かいのはわかる。確かに足の温泉。

「わからない」

「ツリバリ?どうしたの深刻そうな顔をして」

「やっぱり、足湯の良さがわからない」

「そんなこと考えてたの?」

「コンビニでサンドイッチの具だけを売っているみたいな感じかな、それを買うならサンドイッチを買うよなぁって」

えーとアジサイが抗議の声を上げた。

「私結構気持ちいけどな、露天風呂みたいだけど、露天風呂ほど温泉温泉してない感じっていううのかな、わかる?」

「ぎりぎりわかりそうで、やっぱりわからない」

「んーっとね、露天風呂は温泉のなかにしかないでしょう?足湯は温泉にはないの、ほら見て」

僕はアジサイが指を指した方をみた。
旅館の連なりと、提灯と、浴衣を着た通行人。

「温泉とは別の風情があるでしょう?」

「確かに言われてみればそうかも」

「ほらね」

「そういえば、この足湯さ、冬になっても運営しているらしいよ、でも冬は山から寒さに震えたサルが下りてきて、肩まですっぽり浸かってるらしい、名物なんだって」

「え、ほんとに?」

「うそ」

アジサイが浸かっていた足を僕めがけて振り上げた。
僕には見事にお湯がかかる。

「これは罰」

「ごめんなさい、出来心で」

「はいはい」


「アジサイ」

「うん?」

「好きだよ」

「……うん、やっと言ってくれたねツリバリ」

言っていなかったけ?と思ったが、確かに言っていなかった。
言わないと。
思いつく限りのたくさんの言葉を送らないと。
僕はたまに現実にかえったように焦燥感に襲われる。

この場所には何日泊まるのか、旅館から出た後はどこへ行こうか。
一体どこまで行けば逃げ切れるだろうか。
無難にどこかの島かな、沖縄?北海道?

僕はポケットからアジサイのカメラを取り出して、一枚撮った。
アジサイは僕が閉じ込めた写真のなかで、足湯に浸かる自分の足をぼんやりとみている。

「え、持ってきてたの?」

「なんでも写真撮らないとね」

「ツリバリは携帯持ってるじゃん」

「あ、確かに」

もしかしたら、無意識に携帯に触れるのを避けていたのかもしれない、と僕は思った。
ビーチサンダルのことを考えたくなかった。

僕らがいなくなった家で彼は何を思うのか。
携帯を開いてみると、ビーチサンダルからの通知が100件以上にのぼっている。
結局通報して、僕らを追い出して、これ以上何を望むのか。
僕らがビーチサンダルに何か迷惑でもかけたのだろうか。
どうしてそこまで干渉してくるのかさっぱりとわからない。
そして結局どうしてアジサイに執着しているのかもわからないままだ。

怒りと妬みが歪んだ好意に切り替わったのかもしれない。
ビーチサンダルはもともと性への関心が人一倍強かった。
見下していた僕に彼女ができた、怒り。
それが同じゲーム内にいたアジサイだった妬み。
それらが、彼の元から備えている他人の相手を欲しがる性質に掛け算された結果、アジサイのことを好きかもわからないまま、欲望全開でアジサイを求めだしたのだろう。
人生は人との出会いによって変わるというけれど、いい意味でも悪い意味でもそうなのだ、と僕は改めて思った。

もはや、ビーチサンダルからのメッセージを読む気にもなれない。
僕らは明日明後日には県外に移るつもりだし、ビーチサンダルの腹の内もわかったことだし、もう彼の連絡先をブロックして消してもいい頃合いだろう。
関わらないに越したことはない人種からは、出来るだけ早めに距離をとる必要がある。
そうしないと、あっという間に人生を支配されてしまう。
もう、ちょっとだけ遅いような気もしたけれど、そう思った。

ビーチサンダルの連絡先を消したとき、ようやく肩の荷が下り気がした。
あとはどこかで携帯を捨てよう。
仮にビーチサンダルがもう一度通報して、警察に僕がアジサイと逃げていることが特定されたら位置情報を割り出されるかもしれない。

ビーチサンダルの未読メッセージを消した後で、リョートさんからも数件着信があった。
ビーチサンダルに警戒するばかりで周囲の状況を把握しきれていなかったらしい。

そういえば、
そういえば、今日リョートさんと『遊ぼう』という約束をしていた。

やばい。
それなのに僕はもう家にいない。
さすがに僕の不義理が過ぎる。
謝ろう。
リョートさんのメッセージを開くと
数件の着信履歴と着信履歴の間にテキストがあった。
僕は声を出さずに、何度かそのテキストを読んだ。
というのも、どうにも文章の意味が理解できなかったからだ。
10回くらいだろうか、読んだあとで、僕は文章の意味を理解した。

最初から読めていたのかもしれない。けれど到底理解したくない内容だったから、僕がその一文を拒絶していたに違いない。

ーーゲンジさんが刺されたっす。電話に出てほしいっす。

何度目かのコール。
繋がる。
通話口の向こうはまだ慌ただしいようだった。

「もしもし」

「あ、もしもし」

「じいちゃん刺されたって本当ですか?」

アジサイが動揺する。少し離れた場所で電話をかければよかったと後悔。
アジサイは僕の隣にくっついて、電話の声を聞こうとした。

「はい」

「誰にですか?」

聞かなくてもわかる、一人以外いない。

「サトルっす」

「えと……じいちゃんは……」

「大丈夫、生きてるっすよ、お腹を刺されたようですがすぐに救急車がきて、二人とも運ばれたっす」

極力冷静であろうとは思うけれど、手の震えがとまらない。
不幸中の幸い、か。
あれ、二人?

「二人って、まさか他の大学生が?」

「いえ、違うっす、えとなんて言ったらいいか二人組の警察官の一人が刺されたっす、俺もなんで警察が来たのかはわからないっすけど、ゲンジさんが刺されてから直ぐに来たっす」

アジサイが僕の手を握った。

「それで、サトルさんは捕まったんですか?」

「いえ、ゲンジさんの車を奪って、えと、今お二人の所に向かっていると思うっす、早くそこから逃げてください」



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