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続・捨てる クリスマスの夜に押し入れを襲う

クリスマスイブのイブは evening の古語「even」が短くなった語らしいです。それで「Christmas Eve」。
正確に訳すと、12月24日は「クリスマスの夜」。
前夜ではない。


先日の断捨離に引き続き「捨てて」いる。

あれからまた子供時代のアルバムを3冊処分した。
全部で10冊ぐらいあったのよ。まだ3、4冊残っている。うちの父が何かにつけファイリングしたりスクラップにしたりするのが好きな人で、わたしが物心ついた時にはもう、撮った写真の下に小さくコメントを添えて、子ども一人一人のアルバムを作っていた。


父は、わたしが27の時に他界している。仕事も私生活も一番忙しい時期だった。その忙しい流れにストップをかけるかのように父親の死が急におとずれた。長い闘病生活なんてものはなく、病院に入院したらひと月ぐらいで逝ってしまった。わたしを含め親戚中誰もが驚いた。父の母親がまだ生存していたので、それはそれはもう大変だった。なかなか自分の息子の死を受けとめられず、どこへ向けていいのかわからないその憤りと怒りで妖怪のような鬼婆になった。もともと気性の激しい人だったから当然といえば当然かもしれない。


父は、そう言う母親をもって生まれてきた。
几帳面で責任感があり、言い出したら聞かない頑固なところがあったが、子どもが大好きだった。
その大好きな子どものために、ひとつひとつ丁寧に、写真をアルバムに貼り付けてはコメントを書き添えていた。

そんな心のこもったアルバムを捨てようと言うのだ、わたしは。いや、もう捨てている。なんて薄情なんだ。

でもいいんだ。もう父親はいないし、わたしだっていつまで生きるかわからない。そんな年になった。アルバムの一冊や二冊捨てたところで、過去が変わるわけでもなし、未来にもまったく影響を与えない。むしろ「縛り」から解放されていいんじゃないかとさえ思う

記憶は、写真の中に宿っているのではなく、わたし自身の体の中にある。必要なものはすべて自分の内側に眠っているのだ。懐かしいと思う心はいっときのもの、永遠ではない。



明日から4日間。年末の大掃除と称してお休みをもらっている。押し入れの中のモノを引っ張り出して処分、今年一年のすす払いをしよう。


この仔はまったく手伝う気配がない

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