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【日記】君は風の中に

大学生の頃。

友人から借りた『はちみつとクローバー』で、主人公の竹本君が自転車に乗って自分探しのために遠方まで走るシーンが、酷く印象に残ったのを覚えている。

時を同じくして、青春18きっぷを使ってまるで竹本君のように自分探しをしていた私もいた。各停を乗り継いで福岡まで行き、門司港から関門トンネルを通って下関まで向かった時、人生で初めてレンタルサイクルを借りた。真夏の炎天下だったが、全く知らない海辺を風を切って走るあの快感が堪らなかった。
きっと当時の私が探していた自分は門司港にも下関にもなくって、風を切って進むという体験の中に見つけたんじゃないか、と今になって思う。

東京に戻って、私は急いで自転車を探し求めた。
とにかく早く、そして速く、風を切って進みたかった。

そうして見つけたのが、ロードバイクの彼だった。
チカチカするような派手な蛍光色が多い中で、珍しくモノトーンで構成された彼はとても魅力的だった。何物にも染まっていないまっさらな彼に対して、何かに染まりたくないと言いながらまだ何者にもなれていない私を、そこに投影していたのかもしれない。

バイト代のほぼ全てをはたいて手に入れた彼は、私の見込んだ通り、とてつもなく速かった。そしてまた、とてつもなく不便だった。

後で知ることになるが、ロードバイクは車で言ったらスポーツカーやF1マシンみたいなもので、速度を出す以外の用途は一切排除されていると言っても過言ではない。そのため、片腕で持てるくらい軽量なのだが、泥除けはおろかスタンドすらついていない。ギアカバーもなければベルもない。あるのはペダルとギア、車輪、フレーム、ドロップハンドルにブレーキ、ただそれだけだ。

それでも、当時の私は堪らなく嬉しかった。
小一時間かかった電車通学は自転車通学に変わったが、通学にかかる時間は全く変わらなかった。車道を駆け抜け、遅い原付は追い抜いた。新宿から中野坂上に向かう手前の長い長い下り坂では、50㎞/hを超える速度が出た。今思うと自殺行為以外の何物でもなかったと思うが、とにかく楽しかった。街灯や車のランプが彩る東京の夜を、自転車と身躯一つで駆け抜けているその瞬間こそ、私が私で居られたのかもしれない。

クロスバイクを持っている友人と2人で江の島まで遠征したこともあった。
『往復100km』と見積もって走ったが、それは車道の話であって、自転車では進入できない高架もあった。若さゆえの見積もりの甘さだった。上りと下り坂に翻弄されて散々だったが、乗り越えるだけの若さもあった。
帰りはすっかりへとへとで、自転車を分解して電車に乗ろうかと思ったが、輪行用のバックの持ち合わせなんて当然なくって、本当に心が折れるかと思った。街灯もほとんどない暗闇を走り続けて、二子玉川駅周辺の少し栄えた街の明かりが見えた時の安心感は今でも忘れない。自転車に乗って本当に疲れるのは脚じゃなくて手(特に握力)なんだと思い知らされたことも、あの時の手の感覚も、きっと死ぬまで忘れないんだと思う。

最近では、例の流行り病が猛威を振るい出した頃。
職場からは”公共交通機関の使用を禁ず”と今思えばトンデモ頓珍漢なお達しが出たが、私のリアクションは「自転車があるじゃん」だった。きっと私も危機的状況で感覚が狂っていたのだろう。そして本当に自転車で通勤した。
以前の通学よりは圧倒的に近かったし、彼のスピードは健在だった。でも、若さを失った私はリスクや危険に敏感になっていて、車道を走ることの怖さや、車と並走することの危なさ、そして何より全く周囲を警戒しないママチャリ軍団が何よりも危険だと気付いた。

そうして何より、もう自分自身を風の中に探そうとしていないことに気付いてしまった。一定の職に就き、一応”社会人”という肩書を持った私だ。今更自分を探す必要もないし、それほど無邪気に生きられない大人になってしまっていた。あれほどワクワクしたスピードも、自分を殺しかねない坂道も、”危ない”という一言で片づけてしまう大人になってしまっていたのだ。
もちろん、それはとても正常な変化だと今でも思うし、もしかすると探していた自分というものが、まがいなりに見つかったのかもしれない。それでも、かつての自分を失ってしまったような、何かになろうと必死にもがいていた青く鋭い私がどこかに行ってしまったような気がして、どこか情けない気持ちになってしまった。
あれだけ白かったロードバイクも、経年の汚れや排ガスに煤けて随分と黒ずんでいってしまったし、それを綺麗にしてやることも億劫になってしまっていた。

◆◆◆

そうして彼は家に居た。
生憎駐輪場もなく、あったとしても彼にはスタンドがついていないので置いておけないし、何より盗まれるのは怖い。最初はベランダに置いていたが、雨風に晒しておくのも気が引けた。きっとまだ心のどこかで「いつかまた乗るから」と思っていたのだろう。
結局、縦置きのスタンドを買って、家の中、玄関の真ん前に置くことになった。手狭な一人暮らしに物置なんて場所もなく、仕方なく置いた。

当然、邪魔だった。
脇にある洗面所に行くのに絶対に肩がぶつかるし、何なら洗面所の電気のスイッチを塞いでしまっていたので、縦置きにした前輪の隙間に手を突っ込まないと電気を灯すことすらできなかった。トイレの前でもあったので、寝ぼけた時にはぶつかって、憎々しく思ったりもした。近くにはキッチンもあったので、最終的にあのドロップハンドルはエプロン掛けとして機能するだけの、仰々しいオブジェになってしまっていた。

◇◇◇

そうこうしているうちに今の職場も3月までとなり、4月からは新しい職場になった。同じ都内だが、少し遠くなり転居を考えることにした。

苦手な断捨離をしなくてはならない。
そう思ったときに最初に浮かんだのが彼だった。

もう10年以上前のものだが、まだ走れるし、売れるかもしれない。
ただのオブジェがお金になるならいいじゃないか。

そんな軽い気持ちでフリマサイトを使って投稿してみることにした。

さすがにサイトに載せるのにこの汚れのままでは、と雑巾で拭き取ってみる。随分と蓄積した汚れで、もう取れないだろうと思っていたが、拭き始めるとなんだか夢中になってしまった。そのままでは汚れがこびりついていたので、中性洗剤を薄く伸ばして何度も擦っていくうちに、取れないと思っていた汚れたちが随分と落ちていった。細かい部分は取れなかったけれど、拭き終わる頃には、あの昔の白い車体が帰ってきたようだった。

空気が抜けてぺしゃんこに潰れてしまったタイヤにも空気を入れ直す。ロード用の空気は圧力式で力がいる。しっかりとテンションのかかった弾力を取り戻していた。少し持ち上げて地面にぶつけると、サスペンションも付いていないこの車体ならではの、鈍く懐かしい手応えが返ってくる。

なんだ、まだいけるじゃん。

昔の思い出だって蘇ってくるが、それに浸るわけでもなくフリマの手続きを進める私は、心のどこかで認めたくなかったのかもしれない。まだ彼が現役であることを。私の中の色んな想いも、埃のすぐ下でそのままになっていることを。

結果、値段相場も大して調べずに、売れれば儲けものくらいの気持ちで1万円の値を付け、簡単な紹介文を付けて公開にした。

その瞬間、通知が来た。
最初、アプリから不具合か、記入ミスを指摘されているのかと思ったが、そうではなくて、取引を希望する人からの通知だった。それも1件や2件ではなかった。ものの1時間で50件以上の取引希望が寄せられたのだった。

正直、面食らった。
信じられなかったし、もはや怖くなってきた。とんでもなく悪いことをしているような気持ちにもなった。刹那、「やっぱり手放さない方が…」ともよぎった。こんなに不安になるくらいなら、最初から誰かに渡さなければいいじゃないか。

きっと、自分の中で蔑ろにしていたものに価値があると言われることの恥ずかしさや受け入れがたさがあり、通知音が鳴るたびにそれを突き付けられ、直面することを強要してくるような怖さもあったのだろう。

そうして、私の思考は凍結した。
正直、選べなかった。

『大学生でサークル活動に使いたい』
『息子の通学で必要だから譲ってほしい』
『自分のロードが盗難に遭ったから是非とも』

みんな思い思いに書いているが、自分の中の混沌で一杯になっている私に届くことはなく、零れ落ちた言葉たちに疑念すら抱く有様だった。
もう何もわからなくなった私は、提示額より上の金額を提示し、かつ今日中に取りに来てくれる人を選んだ。

「19時までには取りに行きます」と言われたが、結果的に30分ほど過ぎて、ようやく連絡があった。「下でハザード焚いてます」と。

一度共用部分の廊下から身を乗り出してみてみると、確かに車が止まっている。後で思うと、家にまで押しかけないという心遣いだったのかもしれない。幸い自転車は全然重くないので、持ち上げて持っていく。

挨拶を交わす。
実直そうな、おそらく年上の男性だった。

「これなんですけど…」
と不安な気持ちで自転車を見せ、まじまじと見つめた彼の第一声は
「あー、すごくきれいですね」
なんだかとても救われる思いがした。
これまでの不安を軽く吹き飛ばしてくれるだけの力がそこにはあった。

事前に付属品もつけると伝えており、彼もそれを望んだため取りに戻ろうとすると「あの、これ、裸で申し訳ないんですけど」と料金を支払ってくれた。すっかり忘れていた。何もなく、ただただ2枚の紙幣を渡されたのだが、その飾らなさは心地よさすらあった。

一度戻って、自宅にあった諸々を取ってくると、彼は車に自転車を乗せるため、前輪を外そうとしているところだった。
「…これ、外し方ってこうですかね?」
「あーだいぶ昔のことだから…でもそこを外して…」
「えぇ、そうですよね…でも何か違うみたいで…はは、普段安いバイクにしか乗ってないから、いい奴は仕組みが違うんですかね」
そういって彼は苦笑していたが、その言葉から、彼はきっとこの自転車を転売するではなく、きちんと乗ってくれる人なんだとそう思った。買いかぶりすぎかもしれないが、少なくとも彼に貰われるのであれば、きっと悪いようにはしないだろう、そう思った。

取ってきた残りの品を説明しつつ渡した。
彼もテキパキと受け取り、感謝の言葉も送ってくれた。
前輪は最後まで取れないままだったが、
「あ、あとは自分でやってみますんで。お忙しいところありがとうございました」と引き上げてくれた。貰うもの貰ったからさようなら、という言い方ではないことが伝わってきて、改めてほっとしながら別れの挨拶を交わした。後で届いた、アプリを通じた彼からのメッセージにも「大切に乗らせていただきます」と一文が添えてあった。

無事に取引が終えられたという安堵感に包まれて自宅に戻った。
ドアを開けて自宅に戻ると、そこにはがらんどうになったスペースがあった。もうすっかり電気のスイッチは押しやすいし、洗面所に向かうときにぶつかることもない。残ったのはただただ大きなスペースと、ペダルを擦って黒くシミになった壁だけだった。
でもそれは私の心を揺るがすのに十分なものだった。

10年以上連れ添ったモノが無くなったことも、かつての自分も失ってしまったような気がした。たった2枚の紙幣に釣られて交換してしまった自分の愚かさを呪いたくもなった。何も考えていなかった自分の浅はかさを問いただしたくもなった。何もないことの存在感は計り知れず、壁のシミも何かをしきりに訴えているようだった。

◇◇◇

そうして私は今、これを書いている。
書き殴りながら、こう思った。

意外と、残っているじゃない。

あの白い自転車も、縦置きのスタンドも、圧力式の空気入れも、みんなみんな、居なくなってしまった。

それでも、
スピードに酔いしれた青い私も、
手の握力を失いながら街の明かりに安堵した私も、
”危ない”で片付けながら情けなさを噛みしめる私も、
みんなみんな、私の中にあるじゃないか。

あの時、風の中で探し求めた自分は見つからなかったかもしれないけれど、その積み重なりが自分なんだとようやく気付いた。
掴みどころのない風の中を必死に進んでおいて、埃を堆積させて放置していた自転車のように、向き合えないままここまできてしまった。それはきっと、私の弱さ。耐えられなかった、私の幼さ。
それでもやっと、風の中で宙ぶらりんだった体験たちに言葉を付けて、ようやくあの時の自分がカタチになってきたような、そんな気がする。
そんなに綺麗な思い出でもないけれど、それは何もなくなったこのスペースのように、そしてこの壁のシミのように、しっかりと私の心の中に息づいている。

ようやく言えそうだよ。

今までどうも、ありがとう。
そして、さようなら。
壁のシミは、もう少し残しておくことにするから、
君はまた、風の中を走っておいで。













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