真冬まで生きようと思った。
真冬まで生きようと思った。
少しだけ死のうと思っていた。
ことしの4月下司から5月、あのピーク期。よそからメッセージをもらった。愛としてである。愛の言葉は赤くも黒くこまかい縞目が織りこめられていた。これは冬に纏う温もりだろう。冬まで生きていようと思った。
わたしもまた一度は考えた。ベランダへ出て窓をばたんとしめたときに考えた。入金していいのかしら。
私が入金をしないで寝たら負けると思っていた。
その日その日を引きずられる毎日であった。仕事と家と子どもがいるのに彼に従い時に走る。どうにかと金を作り出し入金をし寝る夜はことにつらかった。夢さえ見なかった。疲れ切っていた。何をするにも物憂かったのに彼だけで世界をみていた。「わたしたちは新しい家で、子供と彼と贅沢で楽しい暮らしができる」ということを本気に追求したこともあった。彼はその当時、わたしの生活パターンを把握していた。
知らない歩道の上で、こぶしほどのコインがのろのろと下っているのを見たのだ。コインがのろのろとただ下っているなと思っていた。しかし、そのコインは巨額な札束となり、ない金をこしらえる勇気をわたしに与えた。子供を幸せにしたかった。生活に天変地異をも平気で受け入れ得たわたしの道は歪んでいた。
安楽な暮らしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは、生のよろこびを追い求める。
夏が遠いのでは?
どうせ逃げれないのだ。誰にも話せないのだ。架空のよいロマンスから支配されていた。男がそう祈願しはじめ、彼の家族には心配があったから。男は、あれこれと思いをめぐらし、架空の家族想いの設定で飛行機に乗った。彼の逃避行で会えずじまい。入金を続けさせ後戻りできなくなるためと、搾り取れるものは1円だって。それが『彼ら』のやり方だ。『彼ら』というのは、実際に1人とやり取りをしているように見えるが、途中で交代をする。対象者が複数いるために、わたしの名を間違えないように『妻』と呼ぶことは珍しくない。そのアジトの舞台は日本ではない。夏が待ち遠しかった。夏が終わればわたしたちは苦しみから解放され、『ふたりで困難を乗り越えた』ふたりであった。ふつうの贅沢をしたかった。させたかった。贅沢とはなんだろうか。今は思い出すこともできない、思いが返せば震えと涙が溢れでる。それしかできない。
そういったことが贅沢ということは
どこ、かへ、置いてきていた。
「ニュウキンシタヨ」
眼をまるくして答えた。
互いがニュウキンしあうからホンモノにみえた?
「コレデイインダ」
どこにも帰れなかった。
かつてはお願いをして
「コドモノガッコウヒナノ、カエシテクダサイ。
ドウカオネガイシマス。アシタカラゴハンヲタベサセテアゲルオカネモアリマセン」
泣いてる時はまだよかったのかもしれない。
まるでホンモノのニュウキンフォーム。
不安はドアの扉に寄りかかり放心をまかせ、不安を拭うのも皮肉に『彼ら』だった。
また言葉が、あるじの胸を打った。帰国するのだ。
「ダイジョウブ、ワタシタチハコンナンヲノリコエシアワセニナル。イマハツライカモシレナイガ」
きっとそうだ。イマハツライカモシレナイガ
...と美しい勇気に変わる。
誰かに助けてもらえなかったのではない。
誰にも助けてもらおうとしなかったのだ。
「ソレ、サギデスヨ」
見知らぬ新たなサギシが当惑そうに呟いた。
この後にまたサギられることを知らずに。
それはまたベツノハナシ
夏はくるのだろうか。
こんなわたしが他人の何に文句が言えようが。
まいにちを生き延びるために愛を探してるヒトたちに
一生懸命に生きている人たちに少しの間違いや素直さを責めたりしてその愛はニセモノだとどの口が言えようが。
わたしは言った。
「きれいなお月さまだわねぇ、
いつか一緒に見ようねぇ、みんなで」
みんなで?
アジトで『彼ら』が交代するとき、
「もうこれ以上悲しい顔を見せないでください。
こちらも辛いのです。」
その言葉がいちばん忘れられない。
人間としての気持ちが表れたときだった。
翻訳機能に感情と哀れな読み取り機能が導入か。
今まで散々であった翻訳にも関わらず、複数であるというワード→『こちらも』とわたしに教えてくれたのだ。
『こちらも』と、答えを出してくれたのにもか関わらず気付かないふりをするしかなかったのは、今までの自分を否定したくないから。これは被害者の特徴でもある。今までしてきたこと(入金)を自分を信じ抜きたい。
わたしは騙されても
今もなお『彼ら』を恨んではいない。
それは、なぜかを、わたしは知っている。
─どうにか、なる─葉
今日は、真冬まで生きようと思った。
「きれいなお月さまだわねぇ、
冬の月がまあるくまあるく、
小さく浮かんでるわねぇ」
真冬の月を待とうと思った。
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