長谷川素子

プリザーブドフラワーと白磁の絵付けのアーティスト。 アートを通して自分の心との付き合い…

長谷川素子

プリザーブドフラワーと白磁の絵付けのアーティスト。 アートを通して自分の心との付き合い方、世界の捉え方を見つけてきました。 自分の心へのアプローチ法としてのアートを探求中です。 http://bikkuribako.com

最近の記事

「大切」は生命維持装置

自分を構成する要素として「何が好きか?」も大切だけど、私にとっては「何を大切に思うか?」も大切です。「大切」の羅列で言葉遊びみたいですが、言いたい内容は伝わるのではないかと思います。 今年思いもよらず経験している新型コロナの流行。 私は元々友達も少ないし、家にこもって仕事をしているので前後で何が変わったということではないのですが、それでも心穏やかに過ごせない日々の中でたくさん考えました。 今までも「死」は誰にでも訪れるもので、怖いけれど仕方ないものだと割り切っていたつも

    • とびっきりを見つける

      私は好き嫌いこそがその人を形成する要素で、好き嫌いの認識が多いほど人生が濃く豊かになっていくと思っています。 「嫌い」との付き合い方が自分の感情コントロールにも大切だととも思っているのですが・・・やはり「好き」をいっぱい感じたい、味わいたいですね。 「好き」を味わうためには勉強したり、知識や経験を得たり、場合によってはそれが努力を要することも、必要なんだと感じています。 ぼぉーっと素のままの自分では物事は流れ去って行って、心のどこにも引っかからないことすら多いのではない

      • 好き嫌いで出来ている

        「好き嫌いはダメよ」誰でも一度くらいは言われたことがあるのではないかと思います。 食べ物とかモノとか・・・人に対しても。 そのくせ大人になって悩むのが「自分が何が好きなのかが分からない」ということでもあるのです。 これは私自身を振り返ってみてのですが、たぶん好き嫌いの問題だけでなく、向き不向き、得意不得意など仕事としてお金になるかどうかを加味しているから感情だけでは決められない問題もあるのでしょうけれど。 でもこれもやはり、向き不向きとか得意不得意とか何か評価の対象と

        • ピンクペンギンが教えてくれたこと

          脳科学についてお話を聞く機会があって、当たり前だけどおもしろかったのが・・・ 「脳は〇〇について考えてはいけないができない」ということでした。 その時はその場にいた人たちにとっては常識だったらしくサラッと流れていきましたが、後から実験してみて「わー!!!確かに!!」と新発見のように感じられてワクワクしたのを覚えています。 私がやってみたのは「ピンク色のペンギンなんて想像しないわよ~」です。 でももうその瞬間から頭の中ではピンク色のペンギンがペタペタ歩き回っているのです

        「大切」は生命維持装置

          「他人に認められたい」を止めたい

          私は子供の頃からずっと他人>自分だったので、とにかく誰かより先に自分の意見を言うことが怖かったです。 これは特に子供の頃ですが。 ある程度周りの人の意見を聞いてから、受け入れられそうな意見を言う癖がついてしまっていました。だから自分が先に口を開くなんて恐ろしいことできなかったのです。 他人と違うこと=自分がダメだったんだと思います。 他人と自分の意見が違っているときに他人が正しいと思うだけでなく、他人と同じように考えられなかった自分が恥ずかしいとも思っていました。

          「他人に認められたい」を止めたい

          失敗から解放される

          「失敗くらい気にするな」「失敗したら改良すればいい」「失敗も過程のひとつだ」こんな風に失敗を怖がらないために様々な文句で自分を言い聞かせてきましたが、根底に潜むものに気づきました。 私が「自分は失敗する、を前提としていること」、そして「失敗は悪いもの」という考えを前提としていることです。 だから失敗をいかに前向きに解釈できるかで勝負しようとしているのです。 そりゃいつまでたっても失敗が頭から離れないわけです。 そう気づいたら、じゃあどうしたらいいか? 失敗が失敗でな

          失敗から解放される

          私はそんなせこい女じゃない。

          今は、私は自分が大切で宝物です。 私の人生の在り方の目標のひとつとして「I love myself. I treat myself like a treasure.」と設定しています。 「今は」心からそう思っているのですが、以前は全く違っていました。 自分よりも他人の方が素晴らしい、自分は足りていないと思い込んでいたのです。 だから自分の意見と他人の意見が違った場合には他人の意見が正しいと思いがちで、相手に合わせて、自分が違う考えだということを隠そうとしていました。

          私はそんなせこい女じゃない。

          当たり前を作る

          私はプリザーブドフラワーやアーティフィシャル、白磁の絵付けで作品を制作していて、展示会に出展もしています。 急に仕事っ気を出してアピールし始めたわけではなく・・・ もちろんたくさんの人に見てもらいたいけれど、それは私の作品から何かを感じてほしいとか自分の力を試したいとかでは全くなくて 『「作ったら発表する」をまず当たり前にするため』なのかなぁと自分で気づいたのです。 「作品を作る=発表する」という位置づけを作ることが私にとってのまず第一段階。 第二段階は「発表する=

          当たり前を作る

          ダメな自分をやめる

          「私はダメな人間だから上手くいかない」はやめる。 「私はダメなところがいっぱいあるけど、でも自分のことが好き」 もやめる。 最近私はこう、決めました。 自分のダメなところも受け入れて、それでも好きでいるって一番いい在り方だと思っていた時もあったけれど、 すぐには慣れず心がついてこないだろうけど、 どちらもやめると決めたのです。 それらはどちらにせよ「自分はダメ」が前提となっていると気づいたからです。 さらにこれは自分には欠けたところ、問題、足りないものが常にあ

          ダメな自分をやめる

          自分を磨く、その本意

          「自分らしい」とは「他人と違う」という意味ではなく「自分の好き・嫌いや、快・不快を追究すること」と気づいて、さらに考えたことがあります。 それは「自分磨き」。 「自分磨き」というと新しい何かを新たに身につけることと捉えてきました。今できることの精度や完成度を高めることも含めて。 だから勉強したり、習い事をしたり、ブラッシュアップしたりしてきたのですが・・・きっとこれも少し間違っていたのです。 新しい学びをすることは間違っていない、それは挑戦であり生きている限り求めるも

          自分を磨く、その本意

          自分らしさに気づく方法

          私はずっと「自分らしさ」とは「他人とは違う、自分だけの特徴」だと思ってきました。 だから他人と被ることは「自分らしく」ナイからダメ。 「自分らしく」なるためにはまだ誰もやっていないことを見つけなきゃ。 こんな風に勘違いしていました。 今では勘違いだと分かっているけれど、少し前までかなり本気で思っていたのです。 まず確実に他人が基準になっています。 他人が基準のものに「自分らしさ」があるとは思えませんものね。 たぶんこれって私の中の「他人からこう思われたい」という

          自分らしさに気づく方法

          理想の自分ってどこにいるの?

          「もし神様(みたいな存在)が理想のあなたに変えてあげると言われたら何をお願いするか?遠慮しなくていい、1個でなくても好きなだけ、どんなに今とかけ離れていてもいい」 こんな仮定をして理想の自分を描こうとしたとき、私は案外出てこないことに驚きました。 普段「〇〇だったらいいのになぁ」とか、「私は〇〇じゃないから無理だわ」と並べ立てているのに、いざ叶うとなったらこれらのだったらいいのになぁは本心からの願いではないことに気づきます。 例えば、昔から変わらず絶えず思っている「可愛

          理想の自分ってどこにいるの?

          「まだ見たことのないものを作りたい」壁

          「まだ見たことのないものを作りたい」 そう思っていたし、今でもまだその心は残っています。 今は「作ろうと思って作れるものじゃないんだろうな」が一番近い気持ちです。 理想として「まだ見たことを無いものを作ることが夢です」なんて言っているうちは気持ちいいけれど・・・ さて「見たことないもの作るぞ」と机に向かった時にいったい何を作ってよいやら想像すらできないのです。 人は経験したことのあるものしか(見たこと、聞いたこと、読んだことも含めて)想像できないのです。 こんな大

          「まだ見たことのないものを作りたい」壁

          「イヤ」と言えない傲慢

          私は以前はなかなか「嫌」、「否」が言えなくて悩んでいた頃がありました。 ありました、というよりも物心ついたころにはそんな感じになっていたから「イヤ」というのが苦手なんだということにすら気づいていなかったくらいです。 何より自分より他者を優先することを「思いやり」のひとつと捉えていたし、断ったら傷つけてしまうとも考えていたので、本当は「イヤ」と言いたい自分を見ないフリをしていました。 見直すきっかけとなったのは家族との関係からです。 祖父母の生活のお世話をしたり、そのお

          「イヤ」と言えない傲慢

          責任の所在

          「(私の態度に)イライラさせられる。責任とってもらいたいくらい」と言われたことがあります。 「もしあなたが気に入らなかった場合は自分が責任とります」と言われたこともあります。 私はこの両方の言葉にずっとモヤモヤを抱えていました。 言われた言葉自体がショックだったり、荷が重いような、ちょっと馬鹿にされたような気分もあったのでモヤモヤの理由もそこにあるのかと思っていたけれど、「責任」の意味を考えてみて何となく分かってきたことがあります。 私は相手を怒らせてしまったんだなと

          責任の所在

          「想像」の実現難易度

          想像力とは「今ここにないものを見る力」だと気づくことで私は「今という時代にないものがないのではないか」という考えが間違っていたことに気づきました。 それは私が「ないもの」について想像できていないからであって、きっとないものはいっぱいあるんだ、ということです。 そこからさらに「ないもの」について、その実現可能度について考えてみました。 分かりやすいのはたぶん「なかった過去」と「それがある現在」の比較になると思うのですが・・・・ 例えば今の私たちは電話はあって当たり前で、

          「想像」の実現難易度