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責任の所在

「(私の態度に)イライラさせられる。責任とってもらいたいくらい」と言われたことがあります。

「もしあなたが気に入らなかった場合は自分が責任とります」と言われたこともあります。

私はこの両方の言葉にずっとモヤモヤを抱えていました。

言われた言葉自体がショックだったり、荷が重いような、ちょっと馬鹿にされたような気分もあったのでモヤモヤの理由もそこにあるのかと思っていたけれど、「責任」の意味を考えてみて何となく分かってきたことがあります。

私は相手を怒らせてしまったんだなとは思うものの、なぜ責任問題になるのかが分からなかったのです。

そして「責任をとります」という言葉に心意気は感じるものの、「どうやって?」と「なんで?」という疑問しか浮かんでこなかったのです。それに先にそんなことを言われたら気に入らなかったとしても満足ですって言ってしまう自分が想像できて、遠回しな脅迫のようにも感じたのです。

きっと私にとって「責任」とは「自分の行動から生まれる結果を自分で負うこと」で、「自分の行動の後始末を自分でする」ことなのです。

だから私にとって責任をとれる範囲は自分に選択の余地があったり、自分の力の及ぶ範囲しかないのです。

ここで私が言われた言葉「イライラさせられたから責任をとってもらいたい」と「あなたが気に入らなかった場合は自分が責任をとる」に戻って考えてみると・・・。

私の感情は私のもので、私以外の人に責任をとってもらいたくない。

相手の感情は相手のもので、私は責任のとりようがない。

そして責任をとるとは感情も含めた自分の行動に対して負うものであって、他者に対して負うものでも負わされるものでもない。

もちろん私にとっての解釈だし、もともとの私の態度が悪かったりするのであれば反省の余地もあるから相手が悪いわけではないことも分かっているけれど・・・・私は責任という言葉の重さに足がすくんでしまうこともあるので、自分が生きやすくなるようにこう位置付けました。

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