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「イヤ」と言えない傲慢

私は以前はなかなか「嫌」、「否」が言えなくて悩んでいた頃がありました。

ありました、というよりも物心ついたころにはそんな感じになっていたから「イヤ」というのが苦手なんだということにすら気づいていなかったくらいです。

何より自分より他者を優先することを「思いやり」のひとつと捉えていたし、断ったら傷つけてしまうとも考えていたので、本当は「イヤ」と言いたい自分を見ないフリをしていました。


見直すきっかけとなったのは家族との関係からです。

祖父母の生活のお世話をしたり、そのお世話がだんだん介護寄りになっていく中で「もう無理」という瞬間が増えてきたのです。

昭和ひと桁生まれの祖父母は家父長制度、男尊女卑の教育を受けてきて、孫の私はお手伝いさんのようなものだったから、食事もいろいろ決まり事みたいなものがあったし、夕方髪を洗ってくれとか頼まれた用事はできる限りすぐするとか、生活が祖父母を中心に回っていて、どんどん占領されていく感じでした。

私も育ててもらったからお返ししなきゃとも思っていたし、家族だから当たり前とも思っていたけれど・・・・

でも逃げられなくなった一番の原因は祖母の「あんたは思いやりがない」「あんたは弱い人の気持ちが分からない」「お嬢さんでもないのに仕事して」の言葉。

子供の頃は仲が良かった祖母から言われると辛い言葉で、これからはもう言われないようにしようという思いから「言われたとおりにしておこう」となっていました。

当然、疲れます。

だから一旦いうことを聞くのをやめてみました。

やめてみたなんて軽やかなものではなく、「もうやりたくない」宣言をして半分喧嘩みたいな状況にしてしまいましたけど、無理なことや急ぎでも何でもないことはやらないと決めました。


そして気づいたこと。

私の手も足も私しか動かせる人はいないのだからどんな行動も私の選択だったこと。

私が我慢して他者のためにやるときに相手にも同じことを求めてしまっているのかもしれないということ。つまり私だけがやっているという関係が不服だったのは私の方だったということ。



時間が経って祖父母が施設に入所して、私の勝手な意見かもしれないけれどやってみなくちゃ分からなかったから、思いっきり言いなりになったことも、喧嘩してやめたことも、どっちもOKだった、と改めて思います。




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