「想像」の実現難易度
想像力とは「今ここにないものを見る力」だと気づくことで私は「今という時代にないものがないのではないか」という考えが間違っていたことに気づきました。
それは私が「ないもの」について想像できていないからであって、きっとないものはいっぱいあるんだ、ということです。
そこからさらに「ないもの」について、その実現可能度について考えてみました。
分かりやすいのはたぶん「なかった過去」と「それがある現在」の比較になると思うのですが・・・・
例えば今の私たちは電話はあって当たり前で、その原理なんて知らないくせに疑いもしないほど受け入れているけれど、電話なんてその存在すら知らなかった時代もあるのです。
同じように今の私たちは瞬間移動できる何かについて、あったらいいな的には想像できるけどそれについてもビジョンは何も持っていない。
電話がなかった頃の人にとっては「電話」も「瞬間移動装置」も同じように難しものだっただろうと思うですが、私たちにとっては「電話」は簡単で「瞬間移動装置」は難しいものなのです。
何が言いたいかというと・・・想像の段階では難しさの区別なんて本当はないのではないかということで・・・さらにそれは、
私たちの可能性についても言えるのではないかということ、です。
想像がテーマなだけに、また喩え話になってしまいますが、
私は四国に行ったことがまだないのです。
そして私は海外のギャラリーで作品が売れたこともまだない。
どっちも私にとっては未知のはずなのに私は四国には行こうと思えば行けると思っているし、海外のギャラリーで売れるのは相当の運の良さと努力が必要で簡単には叶いっこないと思っています。
でももしかしたら四国に行くより先に海外のギャラリーで売れちゃうかもしれない、そんな未来も同じように存在している、そんな気がしてくるのです。
してくるのですが・・・虫が良すぎるのだろうか(笑)
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