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私はそんなせこい女じゃない。

今は、私は自分が大切で宝物です。

私の人生の在り方の目標のひとつとして「I love myself. I treat myself like a treasure.」と設定しています。


「今は」心からそう思っているのですが、以前は全く違っていました。

自分よりも他人の方が素晴らしい、自分は足りていないと思い込んでいたのです。

だから自分の意見と他人の意見が違った場合には他人の意見が正しいと思いがちで、相手に合わせて、自分が違う考えだということを隠そうとしていました。

だって、異なっている=劣っているだったから。

そして劣っていると知られることは恥ずかしいと思っていたから。


まず、なぜそう思うようになったのか?その理由を洗い出してみると・・・

①自分の意見は普段から触れているもので空気のように当たり前のもの。そこに他人の全く新しい考え方が登場してきたことで「未知」の底知れなさ、馴染みのなさに委縮してしまった

②相手に嫌われたくないという保身が常に私の中にあって、選択行動の際の道筋となっている

③そもそも私自身の考えに芯がなかった


時と場合により割合は違うけれど、概ね私の他人上位思考の理由はこれら三つのようです。


ではなぜこうなったか???

きっと私は「正解はひとつだけしかない」、というせこい女だったんだと思います。

「正解」というのは、「正しさ」という意味だけではなく「心地よさ」「美しさ」「大切さ」諸々についても。


今本当に気づいてよかったことは、「私にとってはこれが正解なんだけど、あなたにとってはそれが正解なのね。」がOKだということです。

つまり正解なんて好き嫌いにすぎないということ。


だから今は「私は自分自身が宝物。あなたのことも宝物。私は宝物をひとつしか持てないようなせこい女じゃない」と思えます。

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