Part 2 国際バカロレア教育が日本に必要な本当の理由
前に書いた国際バカロレアの記事の中で、IB教育ではグループワークを重視すると述べた。
日本では大学に入るまでグループ単位でアウトプットを出すのを、重視しない。小学校や中学校で班決めをして何かを決めるということはやるが、それは授業の課題として自分たちの成果を自分たちで出し、それが評価される、というアクティビティとは根本的に取り組み方が違う。
大抵は、大学に入って初めていくつかの授業の中で、グループプレゼンテーションを課されたり、グループでの実習が入る。だがそれは教える先生個人の裁量に任されることが多いため、システマティックにグループワークを教える場所は、日本の教育課程にはほとんどないといっていいだろう。
一方、実際の仕事では多くの場合、グループで仕事を進め、成果を出さなくてはならない。日本の若者は、大学を出て社会人になった途端、やったこともないグループワークで成果を出すことを求められる。つまり、日本の教育ではグループワークの訓練が足りていない。
IB教育では小学生低学年のうちからグループワークを行う。そこで学ぶことはひとつ。「いかにしてグループ全体のアウトプットを最大化するか」である。その集大成といえるのが、小学校6年生の最後に行う発表会だ。IBではその発表会の成功をもって卒業認定とする。
したがって、その準備期間は数か月にわたり、かなり過酷な労働となる。こここでは、先日それを行った僕の娘の例を紹介したい。この例が、特殊なのは、彼女が行ったグループワークがすべてリモートだったことだ。それが準備の大変さに拍車をかけていたのは言うまでもない。
だが、それはポストコロナ時代において、リモートワークの中で成果を出さなくてはならない職場環境に適応するための、貴重な訓練となった。それだけではない。今後の社会での働き方のトレンドに適応するため、日本ではまず経験できないような、得難い体験を得た。以下に詳しく述べる。
環境問題についてプレゼンテーションをする
娘が行ったプレゼンテーションは環境問題についてだった。それに先立ち、娘はすでに授業で環境問題についての知識を学んでいた。そして今の世界の状況でいかにして、環境問題を解決するべきか、自分たちにできることは何かを考え、それを発表会で訴えることをプレゼンの目的に定めた。
グループメンバー
娘のグループは3人。全員女の子だった。もう一人のメンバーはMちゃん。この子は優秀でいつもクラスのリーダー格だ。成績もよく、ほぼ毎年学年の最優秀学生賞をとるくらいだった。娘とも仲が良く、彼女がいれくれるのは非常に心強かった。
もう一人のメンバーはSちゃんという子だった。この子は、ダウン症児だった。彼女は何回か留年していて、今年なんとか6年生にはなったものの、勉強についていくのは、少し大変だった。ましてやこのプロジェクトが始まったときは、リモートでしか集まれないときだ。先生もリモートでしか助け舟を出してあげられない。
リモートでグループワークをするには、様々なITスキルも必要になる。娘たちは、Zoom、グーグルミーティング、グーグルクラスルーム、BEED、電子メール、学校でのクラスチャット機能を使い分け、クラウドスペースを共有して、それぞれが調べた内容を持ち寄り、ディスカッションする。
Sちゃんは、それらのアプリを使いこなせない。だから娘たちはSちゃんの最も使いやすいアプリに絞って、それをメインツールにコミュニケーションを行っていた。Sちゃんはそれでも時間通りにアクセスするのが困難なので、Sちゃんへのメール連絡では常にSちゃんのお母さんにもCCをして、リマインドする。
だが、大切なことは、Sちゃんは娘たちとグループワークをすることが大好きで、自分も役に立ちたいと切に思っていることだ。娘もMちゃんもそれがわかっているので、決してSちゃんをないがしろにして自分たちだけで話しを進めることはしなかった。
Sちゃんの、できること、できないことを、Mちゃんとともに見極め、自分たちのプレゼンの中で、Sちゃんができる最大の貢献とは何かを考えて、発表プログラムを作っていった。結果、Sちゃんにはパワーポイントで行う発表のイントロダクションを読み上げてもらうことになった。
Sちゃんは、娘とMちゃんと一緒にやることが楽しくて仕方なかったらしい。一度3人でZoomミーティングをしていたときに、回線の調子が悪くなったので、ビデオをオフにして話を進めたところ、突然Sちゃんが泣きだしてしまったという。どうしたのかお母さんに尋ねてみると、突然娘とMちゃんの顔が画面から消えてしまったので、自分がひとりぼっちになった気がして、悲して寂しくて泣いてしまったのだという。以来、娘もMちゃんも絶対にビデオをオフにせずにミーティングを続けた。
データ収集と分析
一方、発表を充実させるため、娘とMちゃんは、2つのデータ収集に取り掛かっていた。まずマレーシアにおいて大人の人々は、環境問題についてどれくらいの知識と関心を持っているか、身近な人々にインタビューをした。インタビューはビデオ録画され、娘たちがそれを編集してWebinarで流した。当然ながら、その際にはビデオ編集ソフトのスキルが必要となる。学校でちょっと使っただけだが、Youtuber世代の娘たちは、難なく編集をこなしていた。
もう一つは、アンケート調査だった。もちろん紙など使わず、オンラインだ。3人で質問項目を話しあって、グーグルフォームを使ってアンケート画面を作る。それができたらきちんとデータ収集できることを確認し、知り合いという知り合いにリンクを送って回答してくれるように働きかける。もちろん先生からも各父兄にお願いのメールを送るようにお願いする。
データが集まったら、それをどういうふうに見せるのかを議論する。グーグルシートやエクセルを使ってグラフを作ったり、図表に意見をまとめて載せたりするやり方について、娘は専門家である僕に何度か質問をしてきた。
その過程はすべてクラウドで共有され、担任の先生は毎日、娘たちとチャットで進捗状況を確認し、できたものに間違いや改善点があれば指摘する。その会話は土日問わず、夜11時過ぎまで続いたこともあった。
他のグループへのサポート
娘たちはかなり早期から真面目に取り組んだ甲斐があって、進捗は他のグループに比較して順調だった。本番前の数日は、内容の吟味よりも、発表の練習に時間を割くことができた。
だが、そんな進んでいるグループのメンバーに、先生からお願いが来た。進捗が遅れているグループを手伝ってほしいというのだ。
日本ならば自己責任だと突き放すところかもしれない。だが、IB学習者に求められる資質には
「心を開く人」「思いやりのある人」「挑戦する人」
というものがある。自分が忙しくても、遅れている人を助けて、教えてあげる役割が望まれるのだ。
そんなわけで、娘は発表本番1週間前くらいからは、自分たちの発表練習というよりも、他のグループの資料作成手伝いや発表練習に対するフィードバック等で忙しくなり、寝るのは毎日夜の12時近くだった。
Webinar本番当日は、校長、副校長、担任、父兄だけではなく、他学年(将来自分たちがやることの見学)、その担任、その他関係者はだれでも閲覧できるようにしていた。ほぼ100名近くのオーディエンスを相手に発表を行った。
娘たちの発表はうまくいった。自分の娘ながら英語の発表のうまさにはびっくりした。今の僕よりも上手かもしれない。
しかも娘は自分の発表の後、すぐ別のグループのプレゼンの司会とモデレーターまでやっていた。前日に先生に頼まれたそうだ。自分の発表練習の傍ら、担当グループの発表内容資料をチェックし、概要をつかみ、いくつかの質問を用意し、構成を考える、という作業もやっていたらしい。自分の娘ながら大した働きぶりだと感心した。
僕の娘は日本で生まれ、4歳の時にマレーシアに来た。いきなり地元の幼稚園に入れられ、日本人など一人もいない状況で過ごしてきた。1年半後、IBの小学校に入学。そこでも誰も日本人はいなかった。日本にいた時から、もともとシャイで、そんなに自分から話す子ではない。1年生の時は、全く話をせず、でもいつもニコニコしてるおとなしい子だった。そんな娘が、マレーシアにきて6年間IB教育を受けた結果、不特定多数の前で緊張もせず、堂々とプレゼンし、自分の考えを表明できるようになった。これはIB教育の賜物だと僕は思っている。
そして卒業試験プレゼンが終わった後、Sちゃんのお母さんから感謝のメッセージが届いた。ダウン症の娘をいつも自然に受け入れ、励まし、グループワークにも積極的に参加させてくれたクラスメートに心から感謝するというものだった。残念ながらSちゃんの実力ではみんなと一緒に中学には上がれない。それはとてもつらいけど、みんなとの時間は決して彼女は忘れないだろう、という内容だった。それを読んで娘はちょっとだけ涙を流した。
親バカながら、僕は自分の娘がSちゃんを常にグループワークに参加させるように働きかけたことと、それを可能にしてくれたこの学校のIB教育を誇りに思っている。
今マネジメントの世界では、ダイバーシティ・マネジメントが重要課題となっている。最近ではダイバーシティという言葉ではなく、インクルーシブ・マネジメントという言葉に変化してきている。ダイバーシティを越えて、インク―ジョン(参加)を志向するという意味だ。
娘の体験は、インクルージョンの実践という意味で、とても貴重なものだったと思う。もともとマレーシアはダイバーシティの高い国だ。娘のクラスメートだって、中華系、インド系、マレー系がいて、それぞれ家で話す言葉が違っていたり宗教も違っている他、娘を含めて他国人もいる。「違っていて当然」という環境なのだ。だから、ダウン症の子がいても、それはダイバーシティの1バージョンでしかない、という認識が共有されている。
その中で、グループワークを実践するころが、グローバル人材を育てる上でどれだけ大切なものか、僕は実感している。
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