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恩師との出会い

※注 たわ=コニシ 木ノ子 本名とも言う。

なんとなくいい天気で、空を見て
「世界は俺が回してる」などと、間違いもなく思っていて自分で自分を振り返るのを、当時の恥ずかしさを思い出したいからわざとするのだと思っている。

東京に出てきて、仕事をうだうだしていた22歳の私に、

「世の中もっと面白いから、こんなところにいたらダメ。面白く魅力的な人は、本当にいる」

と会社の総務にいた女性が、私に色々な方を紹介してくれた。どうして私に紹介してくれたのか分からないが、実際に何も面白いことなどないと思っていたのは確かだ。

その出会いの中で私に「イメージすれば叶う」と教えてくれた人がいる。当時40歳くらいで社会人になりたての私に、当たり前のようにサッと手を出してよろしくと握手された。

東京に出てきた私を初めて対等な大人として見てくれた。ほんのささいな事だが、それだけで世界が変わった。

その人は、「下町兄弟」としてアーティストしながら、BANANA ICE名義でも曲などを提供している。ミュージシャン兼音楽プロデューサーの工藤さんという方だ。

FMラジオJ-WAVEにかつて夕方公開生放送の人気番組があった。ピストン西沢と秀島史香のGROOVE LINEという番組だ。そこに、下町兄弟としてゲスト出演するということを教えてくれた。

自分の人生に、知り合ったばかりの人が、ラジオにゲスト出演するなど、起こり得ると思わなかった私は、渋谷のHMVサテライトスタジオまでそれこそ緊張して向かった。自分でもないのに高鳴る胸を押さえられなかった。

渋谷に向かう電車の車窓から見えた七分咲きの桜を未だに覚えている。

人で溢れている観客席でガラスの向こうで喋っている声が、ラジオの電波としてスピーカーを通して伝わってくる。生放送を生で観覧するなんて初めてだった。

番組が交通情報に入った時に思わぬ事が起きた。スタジオの外で見ている観客と話すのである。その時スピーカーから聴こえたのは

「たわくん。たわくん。来てる?」

という声だった。無意識に後ろの方にいた私は、精一杯ジャンプした。こんなに身体から力が出るなんて信じられなかった。
それこそ自分史上垂直飛び新記録だと思われる。

「ああ、いたいた」

それだけのやりとりだ。たけど今でもその一瞬が鮮明に心に焼きついている。

それから、ことあるごとに連絡して会いに行った。自分を知ってもらいたくて必死だった。毎回飲みに連れていってもらい、朝まで、朝まで、朝まで。自宅のスタジオで音楽を聞かせてもらったり、門前仲町の屋台のおでん屋さんで飲んだり。色々なはなし、色々な出会いを与えてもらった。

工藤さんは、酔っぱらいながらいつも同じことを言う。

「思いを強く持て、イメージしろ。そうすれば何をすればいいか分かる。それは叶う」

何度言われただろう。
それはしっかり私の身体の一部になっています。

恩師というのなら真っ先にあなたの名前を私はあげます。久しぶりにお会いしたいです。

そんなある時、BANANA ICE工藤と表示された電話が鳴る。

「たわくん、コニちゃんが音楽のレーベル作るからやらない?」

KONISHIKIこと、大関との出会いが近づいてきた。

そして、友人ポップと表示された携帯がこの夜も鳴り響く。

「たわちゃん、可愛い子が亀戸のキャバクラにいるから行かない?」

僕達の東京は夜しかない。
そしてそれは全てを差し置いて最優先される。

なんのはなしですか

2005年から2008年。東京3年平均睡眠2時間というはなしのはじまり。

2022年の秋に行う予定のKONISHIKI来日40周年記念イベントに向けて、自分達なりのお祝いを自分達の生まれた町、神奈川県伊勢原市で行うために、過去から現在を綴っていきます。ご一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

自分に何が書けるか、何を求めているか、探している途中ですが、サポートいただいたお気持ちは、忘れずに活かしたいと思っています。