朝6時のVロード
神奈川県伊勢原市で一番有名な中学校知っているかい?
もちろん俺が卒業した中学。
理由は、俺がいたから。
そう、伊勢原中学校。略して伊中(イチュー)。2017年に創立70周年を迎えたらしい。
中学に入学した俺は、親戚から貰ったブカブカの学生服で入学式を迎えた。
すぐ大きくなるからとかではなく、
単純に普段は
ジャージ登校、
ジャージ下校、
ジャージ授業、
ジャージ恋愛だからだ。
イチューの青ジャージとは、歴史の青ジャージであり、ちょうど俺の代が最後の青ジャージにあたる。
現在は、その後のデザインが続いている。
イチューは、登校が徒歩と自転車通学に分かれる。
実家は、ほんとにギリギリ道路一本足らず、徒歩だった。
中学に入ると、なぜか理不尽な階級制になる。上級生など、まさに天上人。直立不動で道を開けなきゃいけないくらいだった。
そもそも俺は、142センチというナデナデしたくなるようなルックスと小ささで、まさに成長期を迎えている上級生など、怖いものの対象でしかなかった。
そんななか、そこそこ強かった剣道のおかげで、剣道部への入部が決まっていた俺は、一年生で三年生の引退試合の団体メンバーに選ばれていた。
これが本当に嫌だった。
三年間練習続けてきた先輩方を差し置いて、入学3ヵ月の可愛い男の子が、レギュラーになる。勝っても負けても居場所などなかった。
ましてや、人が揃う時代には、揃うもので、団体五人のうち、三年生2人。二年生1人。一年生2人。補欠に一年生1人。という布陣だった。俺の代は他にも強い奴らが揃っていたのである。
部活など軍隊みたいな感じで、試合に出られない先輩からの風当たりが物凄かった。
そして、圧倒的実力者であり、権力者の剣道部の支配者の先輩と俺は、家が近かった。
先輩は、道路一本挟んだ向こう側であり、自転車通学であった。
ある日、先輩から
「これから毎日6時に迎えに行く」と言われた。
ハイしか言えない俺は、家まで迎えに来る先輩の、自転車の後ろに乗っけてもらい中学まで通っていた。
イチューの裏門通りは、別名Vロードと言われている。なぜなら、坂の上にあるイチューまでちょうど下って上るVの形をした坂なのである。
先輩は、俺を乗っけたまんまVロードに挑戦するというのを毎日繰り返していた。
大抵、坂の途中から足がプルプルしてきて俺が降りて背中を押して行くという毎日だった。
調子が良くても八分目くらいで、登れなかった。
毎朝6時の集合は、4ヶ月。先輩が引退まで続いた。
引退試合が行われる前の練習最後の朝。
もちろんいつも通り最後の6時集合だった。
なんとなく俺も先輩もよそよそしく、少し寂しさも混ざった蝉の鳴き始めの夏。
いつものようにVロードに着いたとき先輩が言った。
「今日は、降りるな」
この時までに、上り切るというのは、1.2回あったと思う。ただ、どうして上れたかなんてのはなく、たまたまだった。
降りるなと宣言されて上るのは、初めてだった。
はい。しか言えなかった。最後だし。
意味は、全くないけど、お尻を少し浮かす事を考えた。俺の精一杯の軽くなって下さいの願いだ。
先輩は、前半下り坂をガンガン飛ばす。
俺もしがみつく。
上りに差し掛かる。
お尻を浮かせる。
ガンガン回す。あっという間に。
ほんとに、スムーズにゴールした。
かといって、感動を分かち合うとかでもなく、最後の余韻を味わうでもなく、2人でいつもの朝練に向かった。
なんのはなしですか
朝6時に集合して体育館でバスケの練習をさせられていたはなし。
俺は、剣道部なのにフリースローが上手くなった夏。
今でも忘れない。無駄な6時。
そして自分が先輩になり、近所の後輩に乗っけてもらい、Vロードは、後輩が先輩を乗せて登るものと教えたはなし。
歴史は、こう変更される。
このはなしは、当然
スノーボールクッキーイセハラ
ぜひ、伊勢原に来た時は、伊勢原中学校とVロード。チャレンジしてみてね。
自分に何が書けるか、何を求めているか、探している途中ですが、サポートいただいたお気持ちは、忘れずに活かしたいと思っています。